のらねこ物語 其の六「アワビ皿」
リリー

 「あら、この通りじゃ見かけない顔ですね。」

 近江屋の厨の隅
 水桶や たらいが置かれる陰にしゃがむ
 おきぬの頭上から覗きこむ おゆう
 
 「そうだよね。今晩の連れは、ちょいと痩せてるね。かわいそうに。」

 イワシと並び アワビの皿で
 魚の骨と残り飯に汁かけてもらって無心に食べている 
 トラだったが、
 覗きこんだ おゆうに警戒し身を屈め後退り
 頭を低くして皿から離れた

 「こらっ、こんなとこで油売ってないで、トットと後片付けしておしまいな!」

 おゆうはトラから目を離し
 急に 甘えた声色で
 「そう言わず、ねえ聞いてくださいよぉ。」
 左手を腰に当て、指で鼻の下こすりながら愚痴り始める

  今日も居間へお通ししたお客様にお茶をお出ししたら
  旦那様から 最初は褒められたんですよ。

 「おや、珍しいじゃないか!」
 
 「いえ、そしたらですね…。」
 話を続ける おゆう

  「これ、おゆう。おまえは田舎者だと思っていたが、どうしてどうして
   たいしたもんだ。今のお茶の持って来かたなんぞ、しずしずと、
   すり足をして来て、まこと、うまいもんだったぞ。」

  「はい。さっき板の間で飯粒踏んづけたんで、畳にすりつけ すりつけ
   歩きました。」

  ばか者めって叱られました。

 軽いため息つく おきぬ
 「あんたには、もう怒る気もしないよ。器量はそこそこなのに、どうして
  そうヌケてるんだろうねぇ。」

 また皿に顔を埋めて飯を頬張るトラ
 苦笑いしている 気の良さそうな二人をチラッと見上げ
 安堵するのだった。

  

 注)厨は、台所のこと。
   
   江戸時代、アワビの貝殻は猫のごはん皿として定番だった。
   他にもホタテや牡蠣の貝殻も使用されたが、ホタテでは
   水分の多いものはあまり入れられず、牡蠣は不安定。
   アワビ皿が最適とされた。


 第十連目、第十一連目は『小さなわらいばなし』上巻 
 作・さとうわきこ 協力・松本新八郎 題目「すり足」より引用連想表記
 しました。
 


自由詩 のらねこ物語 其の六「アワビ皿」 Copyright リリー 2024-02-13 15:20:00
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