のらねこ物語 其の三「イワシ」
リリー

 「どう、あんたも。旦那様が飲んだ出涸らしで、お茶入れてきたわよ。」

 女中部屋の粗末な座卓に
 不似合いな 黒砂糖饅頭が五つも
 「どうしたの?コレっ。」
 目を丸くする 飯炊きおりんへ
 急須片手に自慢げな笑みを讃える
 おゆう

 「昼間さ、おきぬさんに呼ばれて。奥様から叱られてきた、そのお礼よ。」
 「どういう事?」

 近江屋の勝手口
 戸板にイワシが爪を研いだ跡
 それを見つけた奥様が、お嬢様のお部屋の金魚鉢を心配して
 気をつけるように注告したのだ

 「あたしが、残飯やった事になってんのよ。」

 イワシとは 近江屋のある一帯でひっそり小間物屋を営んでいた 
 茂六さんの忘れ形見
 彼はいつも 鰯料理で一杯やるのが好きだった
 昨冬の明朝に厠で倒れて
 それきりポックリ亡くなってしまったのだ
 身寄りも無く 茂六さんの人柄を知る長屋の人達が
 面倒みるようになった 地域猫
 
 「女中頭の手前、言えないじゃない。」
   おきぬさん、郷里にいた十歳の子供
   二年前に病で亡くしてるから
   今も元気のないイワシの気持ち分かるのよ。

 「おきぬさんって、顔に似合わず優しいところもあるのね。」

 「面白いところもあるわよ。」

  この間、奥様が風邪をひかれてお医者様が来られた時、
  寝間へ案内した おきぬへ
  奥様が、疲れがたまっているといけないからって
  脈を診てもらうように勧めたのだ

  後からお茶をお持ちした おゆうの前で
  おきぬは目を見開き すかさず両手を左右に振った

 「いえいえ、なんの。私らのようなものに脈なんぞ、あるものですかっ。」

  
 

 
 第十二連目 『小さなわらいばなし』上巻 題目「女中の脈」より引用連想表記しました。


自由詩 のらねこ物語 其の三「イワシ」 Copyright リリー 2024-02-11 16:16:45
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