ひとりのメモ
由比良 倖
1
ディスプレイの向こう側の壁に、ポロックの絵の複製を貼っている。落ち着いて座っていられないときや、動悸がするときなどに、僕はその絵を何となく見ている。
ビル・エヴァンスのピアノには死の匂いがある。機械に過ぎないピアノが、心の音を奏でられることが、とても不思議だ。
どんなにお金があっても、業績があっても、死んだら消える。いや、生きている内から、そんなものは、僕自身の人生にとって無意味だ。
――電子の文字盤に触れたい。何処かに繋がっているという感覚。暗闇の中でiPhoneやiPadやタッチスクリーンに触れられるのはとてもいいこと。無愛想な画面が反応してくれることの温かさ。
心が水ならいいと思う。水の流れや、氷の結晶は、いつも個性的で美しいから。水にはきっと意識なんて無いけれど、水は自分自身を使って、意識で考えるよりも、ずっと美しい形状を表現出来る。僕の思考では真似の出来ないこと。
僕の細胞とディスプレイが、指先とキーボードを経て、繋がっている感じが好きだ。でも今は、脳で考えた言葉を、ただ機械的に打ち込んでいるだけだと感じる。僕の細胞は衰弱している。乾きに向かっている。脳がうるさい。痛みが欲しい。
指先が自然に語り始めるまでは決して書かないこと。脳を使うのではなくて、指先が踊り出すように、自然に書けるのが理想。ピアニストがピアノを奏でるように。書くたびに永遠を感じたい。眼をしっかり開いたままで。
僕の能力は、きっと脳の電源を切ったときに発揮される。脳には心は無い。そこには光の街があるだけ。そこを旅するのが心。脳は多分、もやもやしたことから、何らかの答えを導き出す能力を持っている。意識することは本当に大事。でも、意識に辿り着く前の、下の方にある領域は、もっと大事。
本当は星はひとつしか無いのかもしれないし、物質はたったひとつしか存在しないのに、人間の眼がものすごい乱視だから、やたらたくさんの物が見えるだけかもしれない。現実は想像であり、想像は現実。
ウォークマンを作ったのは僕じゃないし、ヘッドホンも、そこから流れてくるビートルズの歌も、僕が作ったものじゃない。だから独我論は信じない。
泡、泡、泡、震える泡。
西陽が当たる、音楽よりずっと強く、鮮明に。
2
他人に向けて、自分を演じるのはやめた。
音楽をヘッドホンで聴いている。聴いているのは脳ではなくて心臓だ。
リズムやメロディや音色を、指先でなぞっていく。誰にも見せない恥じらいのようなものに、そっと寄り添う。毎日箱を開けては埃を払う。その箱を、僕は死後まで持って行くだろう。
箱の中には虹が掛かっている。カラフルでモノクロな流れ。感情や、生活の中の喜怒哀楽。微かに遠い場所から、僕の心や身体へと降り注ぐ音の粒たち。細胞の中の海が震える。大好きな音楽たち。
僕の身体も、意識も、感情も、みんな音楽で出来ている。音楽との親和性。消えてしまうことが僕の最終的な願い。終止符の無い永遠の音楽。あらゆる音楽は永遠の断片。好きな音楽もあれば、嫌いだったり、分からない音楽もある。
僕の心身は見えない光で発光している。音楽はあり続ける。僕もまた音楽の一部。
音楽の中には詩がある。死角の方へと音楽は拡がっていく。
何も無くていい。音楽と、キーボードを打つ感触。それさえあれば。
この世で一番面白いのは、詩と音楽だと思う。それから小説も。いつも目覚めていたい。そして、自分自身を離脱していたい。詩に永遠を感じること。それは、本当に素晴らしい体験だ。
僕は、個人的には瞑想も運動もしない。幸せもいいけれど、不幸も不機嫌も憂鬱も、心の引き出しに、そっと仕舞っておきたい。ときどき取り出して、思い切り落ち込んだりしたい。
オレンジの住み家。漢字のスペース。……