シン・ジャガ
たま
シン・ジャガのシンは新です。
収穫されたばかりの新しいジャガイモです。
シン・タマは新しいタマネギです。
新しいたまさんではありません。
残念ながら、ぼくはもう再生不可能です。
では、
シン・ゴジラのシンは何でしょうか。
シン・ゴジラのシンはShinです。
新ではありません。
神だというひともいますが、
あくまでもshinです。
シンはshinそれ以上でも、それ以下でもありません。
ところで、正月休みは古い映画ばかり観ていました。
クロサワの『生きる』凄かったです。
見終ってしばらくは呆然として、というか、
途方に暮れる、というか。
なぜか阿呆らしくて悲しくなりました。
クロサワもハシモトも悪です。
平瀬さん、もう脚本なんて書くの辞めましょうよ。
ぼくはもう小説書くの辞めますから。
年末に観たNHKテレビでは、
ミヤザキが声優に向かって注文を付けるのです。
「そこのところもう少し遠くなりませんか……」って、
遠く? どんなセリフでしょうか。
声を絞り出せっていう意味でしょうか。
たぶん声優は困ります。(自転車乗りの俳優でしたけど)
ひとは偉くなると我が儘です。
特に映画監督なんて俳優をこき使います。
俳優はこき使われてナンボなのでしょうか。
ゴジラだって中身は俳優です。
可愛そうです。
そうすると詩人はやっぱし優しいのかなと思います。
誰も困らないからです。
ぼくの詩を読んで困った人はいないと思うけど……。
小説家は身を削って小説を書く、のだといいます。
でも、痛いのは小説家だけであって読者は痛くないはずです。
詩人は身を削って詩を書くでしょうか。
少なくともぼくはそんなことしません。
そんなことしたって一銭の得にもならないから、
誰も困らない優しい詩ばかり書くのです。
ところで、
新しい詩を探しています。
新しい詩だから新だと思うのですが、
新はもはや手垢まみれですから、
読者にはすっかり敬遠されてしまって出番がありません。
それでシンを使ってシン・ポエムならどうかと思うのですが、
もちろんシンはshinです。
それ以上でも、それ以下でもありません。
でも、そんなのって窮屈です。
それ以上もそれ以下もあるから創作は楽しいのです。
ですからこの際シンという言葉は死語にしましょう。
シンは新でもshinでもなく、
シンは死んじまったことにするのです。
それでもって、
今年のぼくの詩が始まるのです。
たまさんはもう再生不可能だといわれても、
ぼくは書きます。
クロサワも、ミヤザキも、ぶっ飛ばしてやりたいから。