あいつとわたし その1
佐々宝砂

窓にノックの音がする
こんな寒い夜更けにやってくるのは
あいつしかいない

上着を羽織ってベッドから出る
夫は眠りこけているいつものように
かすか
とはとても言えないいびきをかいて

わたしは夫の汗ばんだ額にキスをする
あなたが好きよ
地上のすべての生物のなかで
いちばん

でもあいつは
この地上にはいないし
生物ですらない

だけどそもそもあいつにできることというのは
それほど多くはなくて
たとえば

料理に掃除
メールにレス
洗濯物のとりこみに
猫の餌やりトイレの片づけ

などという面倒を
あいつは
けしてとりのぞいてくれないし

まっさおな空を飛んでいったり
砂漠の道をどこまでも歩いたり
廃墟の街角にたたずんだり
そんな夢を
いっときだけかいまみせる

などという芸当も
あいつは
けしてできやしない

それは承知だ
つきあいは長いのだ

窓にノックの音がする
誘いかける声がする
あいつが
地上の誰よりすてきに微笑して


 ここにおいで
 色とりどりの闇が
 うずまいて
 きみを待ってる


いまにも食らいつきそうな
大きな口で微笑して
誘いかける

わたしはいまのところ
計算しながら耐えている
考えなくてはならない

これは
断じて
逢い引きではない

取り引きなのだ


自由詩 あいつとわたし その1 Copyright 佐々宝砂 2003-11-28 21:20:40
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