産み辺のカルマ
平井容子

1.ジャンク・フード・メモリ


冷蔵庫にババロアがあるから
と言って仕事に行ったけれど
それが本当のことなのか
過去のことなのか未来のことなのか
わからなくなってしまった

残業をして帰ると
安っぽい蛍光灯の下
あなたは他人の顔で
豆腐にいちごジャムをのせて食べている



2.◯月◯日 杉並にて


めずらしく夕方で仕事が終わった日、「彼でも呼び出してビールでも飲もうか」と思いながら会社を出たら、世界が赤く燃えていた。
西日が斜めから東京のビル郡を貫いて、ピンクやオレンジや紫、ぜんぶの暖色を含んだ赤がのっぺりと、背の高いビルも、街路樹も、アスファルトも、道ゆく車も、人々も、みな一様に染めている。
現実のなかに唐突に差し込まれる夢、呆然となりながら、フラフラとその中を駅まで泳いでいった。
そんな夕陽を無視して足早にゆく人波のなかで、ポツリポツリと、赤い街にカメラを向ける人たちだけが立ち止まっている。
交差点の角の、定食屋さんの前で、バックパッカーらしい外国人の男女が、目を深く閉じてひしと抱き合っていた。
その二人だけが、この赤い世界をただ一身に受け止めて、心の奥にまで夕陽をていねいに広げていた。
もう、なにもいらない、これ以上なにも必要ない、ただこの瞬間燃える世界の中で喜ぶむき出しの心が2つ寄り添って現実の東京の街角で震えていること。
たった数分の中にある永遠をとらえた魂の恋人たち。

さびしかった。
さっきまで彼とどこで飲もうかなんて考えていたのに。
美しさをおなじだけ味わうことのできない予感の前に、その微熱は完全にひしゃげてしまった。



3.湯気


気だるくて起き上がれないけれど
ベランダの外はきっと海になっているだろう
そこに
真綿みたいな雪が
ほそ、ほそ、と落ちているだろう
きっと……

エロい夢をみたあとに
シンクの前で
爪先立ちで飲むぬるい白湯

熱が下がれば急に笑えてきてしまう
うるおうためだけに
必死に乾こうとしているわたしたちを



4.◯月◯日 渋谷にて


その日は何もかもが色褪せて退屈だった。
だから、渋谷のWOMBを日付が変わる前に抜け出して、フカの家で飲み直すことにした。
入り口を出るやいなや、道玄坂を、人の波を縫って北風がびゅーっと抜けていく。

フカはゲイの男の子で、女のわたしよりよっぽど細い体にぴったりと張り付いた小さなTシャツに細身の革のパンツを履いていた。肩より伸ばしたブリーチで白く抜いたバサバサの髪が、まるで映画ブロードランナーに出てくる未来の人類みたい。
オシャレな漫画の中のキャラクターを真似て開けたラブレットのピアスが少し膿んで腫れていたのだけが現実で、それ以外はまるで実在している感じがしない、そんな男の子。

その夜誘ったのはフカだった。
仕事で疲れきっていたので「男と行けよ、」と言ったら、「別れたんだよね」と妙に明るい調子で返すから出てくるしかなくなったのだった。
案の定20:00の待ち合わせの時点で酔っぱらって妙にうるさいし、酔いざましに初台まで歩こうと言ったのに、フカはコンビニでビールを買って歩きながらまた飲んだ。

結局、初台のアパートに疲れと酔いでヨレヨレになって着いた足でそのままベッドになだれ込む。
歩いていたときは飲んでいたし気づかなかったけれど爪先から頭の先までしんしんと冷えていた。布団の冷たさが拍車をかけ、とにかく二人で抱き合い脚を絡ませてなんとか暖をとる。

「なんか俺、やっぱりゲイじゃないかも。2ヶ月やらなかったらさ、もういいわって捨てられたんだよね」
唐突にフカが一度にそう言った。
このシチュエーションでそれを言うわけ?と一瞬止まったわたしの沈黙に察して、「あーそういうことじゃなくて、」と続ける。

「なんか、そういうのしない人間なのかもって。俺は。漠然と男が好きだと思ってたけどそれはなんか、女とそういうことしたいと思わないからそうだってなんとなく、本当になんとなくで色んなやつと付き合ったけど、結局は、どっちもちがったなって思ったっていうか。なんなんだろな、男にも女にもなりたくないし男にも女にも抱かれたくないし、そういう人間だって気づいたら今までいた人の隣に急に居られなくなったんだよ」
フカは声だけ妙に明るくそう言いながらボロボロと泣いた。こんなときも軽薄なフリが必要なやわらかな心がこの寒いアパートで一人震えているのがあまりに憐れだと思った。
「ほら。」
わたしはフカの手をとって、自分のおへその下あたりへ導く。
「なんて言っていいかわかんないけど、わたしはそんなあんたが可愛くていじらしくて、今すぐあんたをお腹に入れて、十月十日育てて、産んでやりたいような、そんな気持ちだよ」
なにそれ気持ち悪い、とフカは情けない笑い顔で手をのけたけれど、わたしの体を強く引き寄せておでこにキスをした。

夜明けとともに目覚めた。東向の窓から、楕円形の朝日が現れてくる。小さなイビキを立てて眠るフカは、メイクもぐちゃぐちゃで小汚ないのに、その寝顔はまるで彫刻のように清らかだった。

どうしてそれだけじゃだめなんだろう。



5.魂の恋人たち


与えられた陰を進んだよ

一瞬の今に永遠を感じる子もいる
内側に花を隠し二度とそれに気づかない子もいる
体なく生まれ1憶年生きる子もいる
けれど
起きることなく眠ることはできません

波が
無限にくりかえすただひとつの波が
ひとり帆を張りなさいという

幾千身を清め
砂で眼を洗って
桃色の血を流したびたつ
増えることもなく減ることもなく
産まれてしまう
わたしたち


自由詩 産み辺のカルマ Copyright 平井容子 2023-12-13 23:13:11
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