腹じゃないものが飢えてる
ホロウ・シカエルボク
表皮を焼くような冬の陽射しの下で蛇玉のようにうろついた焦燥は冷蔵庫の中で鎮魂歌を求める、その下の段で賞味期限を数日過ぎたグラタンが世界を呪いながら変色していく、何も食べたくないと思いながらボ・ディドリー、マガジンの片隅にはポール・ウェラーのニュース、羽虫の死骸でいっぱいの電灯の傘は部屋中に取るに足らない死のコラージュをぶちまける、まるでバラバラになった単語帳みたいだ、ひとつひとつの意味は維持出来てもそれ以上どこにも繋がりはしない、ハムエッグを焼いていたことを忘れたまま数時間が過ぎていた、近頃の換気扇と家庭用コンロの性能には感謝せざるを得ない、これが数十年前ならとっくに消炭になっていたはずさ、もしかしたらそのまま、近所の野次馬に踏み潰されていたかもしれない、いつだって見物してるやつらが一番ふんぞり返ってる国なんだ、自分からは決して何にも差し出しやしない、インスタントコーヒーを止めたら悪い夢ばかり見るようになったなんて話をまともに聞いてくれるやつなんかどこにも居やしない、それ系のクリニックに行けばポーズだけは死守してくれるだろうけど、まあそんなことはどうでもいい、悪夢などと言ったところでただの夢だ、口先だけの連中と同じで傷ひとつつけられやしないからね、明日は夕方から雨だとウェザーニュース、冷えた指先を温めながらウィリアムサローヤン、三年くらい日記を付け続けたことがあったけれどなんの役にも立ちはしなかった、目的の無い羅列は無精子症だ、だから必要以上に言葉を詰め込んだ詩ばかり書き続けてしまう、人々がなにか表現の為に手段を手にするとき、そこには必ず混沌とした情景がのしかかっているのが見えるだろう、誰だって超えたいんだ、善悪や倫理、常識や規律、知った顔で勃起したイチモツを隠しているのはいつだってインテリ気取りさ、ひとつふたつ突っつくと面の皮なんてすぐに剝がれちまう、どうしてそんなに目先の勝ちを拾いたいんだ?それはお前をどこに連れて行ってくれるというんだい、どこにも行けやしないよ、安っぽい虚栄心が満たされるだけのことさ、これまでしてきたことに新しい味付けをするべきだとデュアルコアのラップトップに潜む神が言った、でもそいつはとんでも面倒臭い作業なんだ、黒焦げになったフライパンの中を全て片付けて綺麗に洗った、水気を拭き取って火に翳し新しい油を引いた、今度はきちんと作って食べるつもりだった、新しいことを始めるには種類の違う体力が必要なのだ、精神を集中してハムエッグを焼いた、詩とはハムエッグみたいなものだ、誰でも同じように作ることが出来る、でも本当に美味いものを作るにはほんの数十秒の判断を間違えないことが大事なのだ、今日はまずまずだった、誰かが家に訪ねて来るならふるまってやってもいいくらいの出来だった、家に誰かが訪ねてきたことなどここ数年で数回しかないけどね、鼠達が天井裏や壁の中を駆け回っている、構造体を把握しようとしているわけでもあるまい、時折壁に刺したピンに身体を引っかけてカリンバのような高い音を立てる、時々それをサンプリングして使ってやろうと目論むけれどそんな時に限ってやつらは身体を休めている、穴の開いたチーズでもどこかで手に入れたのかもしれない、皿を流しにつけると小さな虫に気付いて指で潰した、紙よりも薄っぺらで弱い感触だった、そんな生きものたちは輪廻の中でどんな気づきを得るのだろう?「生き永らえるには強い身体が必要だ」それがもしもそんな結論だったりしたらあまりに悲し過ぎる、午後の早い時間、太陽光の強さに反して気温はどんどん下がる、いつかそんな夢を見たことがあった、火事の最中に溺死する夢、ディティールはもう思い出せない、結果そんなシチュエーションだけが忘れられた旗みたいに静かに揺らいでいる、十年経っていようと突然記憶の中で鮮やかに息を吹き返す夢もある、たった一度しか見てはいないのに、タンブラーで水道水を飲む、床に落ちたスナックを掃除機で吸い上げた、カーペットは本来の色を取り戻した、どいつもこいつも大人になったような口をきくけれどそれはただ汚れただけのことさ、浴室で正しく身体を洗うことが出来たら様々なことを思い出すだろう、でも誰もそんな方法を知らないんだ、掘り下げるということをしないせいさ、川の側にあるこの住処じゃ余程の温度じゃなければ冷たさに負けてしまう、裏の家の屋根に居る猫が鳴き続けている、神経症の患者の患者の癇癪みたいな鳴き方をするんだ、それからグラタンを皿から剥がして捨てる、冷え切ったそいつからはどんな臭いも伝わっては来ない、グラタンを捨てたビニール袋を一回り大きなビニール袋でくるんできつく縛る、怠惰からは無駄しか生まれることはない、一日は騙し絵のように鈍重に過ぎて行く、太陽が西の窓を威嚇する時間になれば、もう起きていることにも飽きてしまうだろう。