永らえる夜の中で
ホロウ・シカエルボク


阿片が微かに香る七月二十五日の秘密の船着き場で一人の男が二人の男に殺され、身ぐるみを剥がれて海に投げ込まれた、雨の前の湿気がそこら中に立ち込めている寝苦しい夜だった、殺された男は異国育ちのいけ好かないヤサ男だったが、女には人気があった、でもそのことと殺されたこととはまったく関係がなかった、殺した男二人はたまたまそのあたりに迷い込んだ旅行者で、一人は大男、一人は小男という、チンピラによくある組み合わせで、ともに小汚い身なりをしていた、その辺で拾ったブロックを幾つか殺した男の身体にきつく縛り付けてから放り投げたのだ、二人はしばらく注意深く海面を眺めていたが、数十分もするともう大丈夫だろうというように頷き合ってどこかへ去って行った、財布はちゃっかり頂いておいた、二人ともしこたま酒を飲んでいたのではっきり覚えていなかったけれど、確かなにか気に入らないことがあってこちらから因縁をつけたはずだった、気にならなくはなかったがせめて酒が抜けないことには考えることもままならなかった、ところで…男たち二人が立ち去ってからほとんど間を開けずに、船着き場のそばにある倉庫の中からひとつの影が現れ二人の男のあとをつけていた、不思議なほどに真っ暗い影で背格好以外なにもわからないほどだった、すすきのように左右に揺れながら歩いていた、人間の形はしていたけれど人間でないことはほぼ明らかだった、その影は凄く長い間二人のあとをつけていた、二人の男は何度かそっちを振り返ったが、明らかに目に留まるはずのその奇妙な影はなぜか二人の注意をまるで引いていないようだった、二人の男はさすがに少し不安を感じていた、酒を飲んでカッとなってやったことだ、でも今更どうしようもなかった、なにもなかったようにホテルに戻り、明日の朝にはここを発つ、それで多分問題ないはずだった、タクシー拾おうぜ、と、小男のほうが言った、どうやら早く宿へ戻りたいらしい、大男も気持ちは同じだった、出来るだけ広い通りへ出てタクシーを捕まえホテルの名を告げた、運転手は頷いて車を再び走らせた、これで影は振り切られるだろうと思われたが驚いたことにそれはほとんど動きを変えていないにも関わらずぴったりとタクシーについてくるのだった―お客さんたち、旅行でいらしたのですか、と運転手が聞くので、二人は頷いた、あんな辺鄙なところでなにしてたんです?、と運転手はさらに聞いた、酔い覚ましにね、と、出来るだけ自然に聞こえるように気を使いながら大男はそう言った、車を拾ったのは間違いだったかな、と、二人は後悔し始めていた、けれど運転手はそれ以上はなにも聞いてこなかった、しきりにバックミラーを気にしているように見えたので大男は一度後ろをう振り返ってみたがそこにはただまばらな車の流れがあるだけだった、やがて車はホテルの前でドアを開いた、二人が金を払って降りようとしたとき、運転手はどこか緊張した面持ちで奇妙なことを言った、今日お客さんたちのお部屋に、夜中に誰かが訪ねてくるかもしれない、でも決してドアを開けてはいけないよ、と伝えるその声は少し震えているようにも感じられた、ああ、うん、と、二人はわからないながらも適当に返事をして、車を降りた、二人がホテルへ消えて行くのを見届けて運転手はもう一度後ろを振り返り、それから二人の後ろ姿を眺め、ひとつ長い溜息をついてそれからその場を離れた、(あの二人は、あの船着き場で誰かを殺したに違いない)子供の頃からずっとその街で暮らしている運転手にはそのことがわかっていた―ホテルの部屋に戻る頃には二人は運転手の言葉などすっかり忘れていた、買い置きしていた酒を飲んでいい気分になるとさっきまでの警戒心もどこへやら、女を呼ぼうぜということになってその手の店に上玉を二、三人寄越せと電話をした、殺した男の財布にはそれくらいしてもかまわないくらいの金が入っていた、三人揃ってから寄越すから一時間はかかる、と店の男は言った、それでかまわん、と小男が言って、電話を切った…二十分後、部屋のベルが鳴った、やけに早いな、と小男は思ったが、それでも運転手の忠告のことはまるで思い出さなかった、小男は、早いじゃねえか、と言いながらドアを開けた、そこには奇妙なほどに黒い影のような人間が居た、目だけがマグネシウムの燃焼を思わせる色で輝いていた―それから半時間後、飛び切り着飾った女が三人、部屋のベルを鳴らした、何度鳴らしても出てこないのでおかしいと思ってノブを回してみると、オートロックの筈のドアは難なく開いた、足元を見ると部屋用のスリッパが廊下にはみ出していた、それが挟まっていたせいで閉まりきらなかったらしい…女たちははじめ、男たちが留守にしているのだと思った、だが天井からなにか垂れているのに気づきそちらを見上げると、小男の顔がそこに張り付いていた、女たちは悲鳴を上げ尻もちをつき、周りの部屋に居た客たちが何事かと飛び出して部屋を覗き込み、逃げ帰ったり嘔吐したりへたり込んだりした、男二人の身体はすべてが人の拳程度の大きさに切り刻まれ、そのすべてが部屋の天井や壁に張り付いていた、それからは悪夢のような騒ぎだった、失神した女たちやその他数名の泊り客の為に救急車が呼ばれ、それから警察に連絡が行った、若い刑事を引き連れて現れた年配の警部は、部屋を一瞥してああ、という顔をした、捜査は淡々と行われた、年老いた数人の関係者だけが、この事件の犯人が永久に捕まらないだろうことを理解していた、そして、数日中に、街外れの船着き場で死体が上がるだろうことも―「その財布拾っておけ」と、警部は若い刑事にそう指示した、刑事は財布を拾い、中に免許証が入っているのを確認した、そいつの顔を覚えておくんだぞ、と警部は白けた調子で言った、「近いうちに出会うだろうからな」。



自由詩 永らえる夜の中で Copyright ホロウ・シカエルボク 2023-12-09 18:00:08
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