夜が騙している
ホロウ・シカエルボク
ある日、部屋の灯りをつけないことに決めた、中心部に近い住宅地にあるこのハイツでは、街路の灯りだけで充分過ごせることに気付いたのだ、この街には暗闇が無い、俺はずっと山の近くで育った、そのあたりじゃ陽が落ちてしまうと完全な暗闇と静寂に包まれてしまう、だから、小さな灯りを点けておかないと眠れなかった、暗過ぎるし、静か過ぎるのだ…半年ほどまるで眠れない日々が続いたとき、灯りをすべて消して、あの暗闇の中でずっとなにかを考えていたことを覚えている、でも覚えているのは、なにかを考えていたということだけで、具体的にどんなことを考えていたのかということについてはまるで思い出せない、きっと、そのときだけ飢えていた事柄だったのだろう…考えことをするときは明るい場所でしなければならない、雑誌でそんな記事を読んだことがある、暗闇の中での思考は絶対にいい方向にはいかないと―だけどそう、暗闇だろうと太陽の下に居ようと、本当に考えるべきことは認識されないセクションで常に更新され続けているのだ、だから、そう―偏執的な病みたいなポジティビティに満ちた文言は信用しないことにしている…話を戻そう、そんな暗闇に慣れていたせいで、この部屋に越して来た当初はしばらく落ち着かなかった、暗闇だけじゃなく、静寂だって無かった、表通りを走る車のエンジン音が絶えず聞こえてくるし、少し歩いたところに繁華街があるせいで、フェイクムービーのような陽気さをまとった酔っ払いたちが汚い声を張り上げながら通り過ぎて行く、時々は道端で痴話喧嘩を始めるチープな恋人たちの会話が一言一句まるまる聞こえ続けることだってある、だから、部屋の灯りを点けないことに決めた、すると俺は簡単に眠れるようになった、眠りの在り方に気付いたとき、俺は街に認知されたのだ、いつも、日付変更線の前に床について、数時間眠る、一度目覚める、その時までにとても鮮明な夢を見ている、奇妙さだけがいつまでも、庇の下の蜘蛛のように静かに居座っている、そんな夢を―記憶など信用出来ない、過去は必ず感情によって捏造されている、そうでなければ生きていることに意味など見出せない、街の暗闇は、静寂は、すべてがただ生温い、こんな風に考えたことはないか?明るい照明の下に居る時ほど、生きているかどうかわからないって―自分の肉体は実はこの世界にディスプレイされた無意味なオブジェなのではないかって…人工物に囲まれて暮らすあまり、生体としての本質を忘れてしまっているのさ、そういう時は指先に力を入れてみるんだ、ぶるぶると震えるくらいに思いっきりね、そうすると手首が熱を持ってくる、そうして、そこから始まるんだ、と考える、おまじないを信じないと駄目さ、先祖代々、直感が信じ続けてきたものに従わなければ…生温い闇の中で眠りながら、俺はどんな夢を見ているのだろう?生温い静寂に囲まれて、鼓膜はどんな振動を感じているんだろう?思えば完全な暗闇を感じていた頃、精神は流動体のようだった、でもいまは、そのところどころに鋭利な針が紛れ込んでいるように感じる、忙しく、なのにどことなく緩慢な流れの中で、日常はいつしか切り刻まれたフィルムのようなものに変わってしまっていた、それは完全な暗闇のせいではなく、静寂が過ぎる夜のせいでもなく、明る過ぎる街中の夜のせいでもなく、夜明け前まで騒々しい繁華街から流れてくる連中のせいでもない、部屋の灯りをつけないことにした、それがいったいなんだというのだ?眠りや、目覚めや、確信や、記憶、本当のところそんなものは、環境によって塗り替えられたりするようなものではないはずなのだ、なぜだ、なんの問題もなく眠れるようになると精神は必ず袋小路に迷い込む、元来た道を戻ればいいだけなのに、無性にその先へ進み違って、どん詰まりのブロック塀の前でまごついている、塀を乗り越えればいいのかもしれない、でもそれはルール違反なのだ、安定した眠りのせいで自分を見失うのは、そこに自分が存在していないと感じるせいなのだろうか?例えばそれが眠りではなく死だったとしても、俺がそれを認識出来ることは決して無いのだ、そう、そんな経緯で俺はまた眠れなくなった、そして灯りを点けて寝床に横たわるようになった、街中の暗闇は灯りを点けたところでまるで印象を変えやしなかった、そうさ、実際それは暗闇だなんて呼べる程度のものではなかったんだ、俺はなにか、もっと違う風に受信するべきだったものを、灯りの有無なんて形で受信していたのかもしれない、電波時計に目をやったが前に見た時から数分と経っていなかった、あれは本当に動いているのだろうか―?俺はいつだって世界を疑って生きているだけなんだ。