記憶に残るライブエピソード
板谷みきょう

あごあしまくら込みでも
赤字になってしまうライブを打って
ツアー巡業をしていた頃
芝居小屋と劇団を持つ
江別ドラマシアターどもⅣで
弾き語りライブをした

店主は演出家でもあり
ボクは16歳の時に初めて会ってから
お世話になりっぱなしの
ホームと呼んでも良いハコのはずだが

歌心がない
伝えたいものが見えない
余計な話をするな
何処を見て歌ってるんだ
無駄な動きが多い

店主からは何年もの間
ずっと
ダメだしが続いていた

ライブ終了後
打ち上げ交流前に
帰っていく観客を見送り
挨拶をしていると
年配の男性が若い男性を連れ
近付いてきた

「もう、覚えてはおられないでしょうが
以前、ニセコのひらふスキー場のペンションで
歌っていたのを、息子と見たことがあります。
当時、息子は小学生で
あれから、ミュージシャンになると言って
ずっと、バンドをしているんですが。
みきょうさんから、音楽では食べれないと
息子に行ってくれませんか?」

そう言うと若い男性を前に出した。
とてもシャイな感じの二十代後半の男が
ペコリと頭を下げた。

ボクは四十代になっていた
歌を歌ってるだけでは
暮らしていけないこと
その為
友人、知人のミュージシャン達は
他に教室を持っていること
ラジオ番組でDJやパーソナリティーをしたり
他に職業を持っていること
そんな話をした。

力無く
「へえ」「うん。」「そうなんだ。」
そして、なんとなく
「はい。」

ところで
君は何をしてるの

「あっ。月光グリーンて云うバンドで
ベース弾いてます。」

それが
2008年に脱退した
“はな”だった。

六十代のボクは
今も
彼の活動を応援してるよ


自由詩 記憶に残るライブエピソード Copyright 板谷みきょう 2023-10-05 07:06:27
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