一昨日後ろの僕と
アラガイs


広島では二十歳を過ぎると自分のことを(わし)という。これは三十を過ぎても六十を過ぎても変わらない。
(わし)の僕は僕という時期を過ぎても俺という呼び方が少し足らなかったような気がする。
俺、などという自分を指す言い方は広島では馬鹿にされるのだ。だった。
それでも好きな娘を前にして(わし)などという輩はよほど田舎街の出身で、そういう奴に限ってジーンズの裾を返していたりする。
僕は髪を茶色に染めパーマをかけ不良ぶっていたが、短パンに開襟のシャツを着こなさなかったので、半分なめられていたはずだ。
どうみても自分よりも弱そうな奴は無視と決め込んでいた、だけれども腕っぷしの強そうなイカツイ奴からガンつけられるとどうにも我慢ならない、これも損な性格だと気づかずに、僕は一生損な役回りを演じてしまうことになるだろう。きっとそうだ。あの頃は煮え切らない獣だった。夜はずっと鏡を見つめていた。

母親や姉が使う鏡台の前に座りこみ、なんの気まぐれか一度だけ化粧を試したことがある。
 綺麗な脚をしてるね。姉の知り合いや、同級生の女の子たちからそう言われていたのでスタイルには自信があったんだ。運動能力も高かったので筋肉は締まり身体も細かった。そしてなによりも体毛が薄くて肌もつるつる。腕や脚のすねにはほとんど毛という毛が目立たなかった。それでも女は弱くて気まぐれな天の邪鬼。男の子は女に頼るものではない。そう言い聞かされて来たので、僕は控えめで常に硬派だった。自分から誘うこともなかったので失礼なんてしたこともない。僕の最後の晩餐は、好きでもない年上の女の子との初体験だった。何回か会ううちにカクテルはますます薄くなる。昔買ったゲーテの詩集を少しだけ読んでみた。暇さえあれば鏡を眺め自惚れていた。

俺が俺という時期は短くて、あたまの中はバナナの皮だった。
たったの一週間で仕事を辞めて、それからは家にしばらく閉じこもっていた。僕は広島で(わし)らに負けたのだ。壱年半。今ではそれを引きこもりと言うそうで、明るくてモヤモヤした引きこもりが僕を俺にした。
姉が買って溜め込んでいた女性雑誌の、ニューモードを着たハーフのモデルたち。その写真画を切り取り硝子板に貼り付けて眺める。隣に座る絵柄の色合いを考えてみる。そんなことで俺は一日をつぶして遊んでいた。カセットに録音した洋楽や陽水ばかりを聴いて、ひとりの時間が夜と朝のけじめを無くしていた。
つぶされた時間が間延びしていく。半年も続けばたいていの親は心配する。仕事、仕事を探せと口うるさく罵るようになる。そんなときには俺はもう俺ではいられなくなった。本屋に行き様々な詩集を手にした。詩集なんてゲーテ以来まともに読んだこともなかった。
毎日という目的は失われ時計の針だけが繰り返し過ぎていく。閉じこもる部屋はガラスの要塞で、透明な板に貼り付けた写真画の女の子たちから誘いを受けるのだ。僕は都会のアスファルトを風を切って歩き、最新のモードを着て、街ゆく女の子たちはみんなごそごそと振り返る。気分はアランドロン。ずっと鏡ばかり眺めていた。口を開かずに餌を待つ雛鳥だった。

同級生から誘いを受けた料理屋でアルバイトをしていた。夜専門の料理屋は二年足らずで潰れた。暇になれば一緒にアルバイトをしていた女の子と隠れてはキッスをする。桜桃にレモンの味がした。その女の子は結婚を控えていて、友人を紹介されたが僕は自信がなくて何も言い出せなかった。小麦色の肌をした笑顔の可愛らしい女の子だった。
それから一年と二回目の夏が過ぎた辺り、定職に落ち着いた。着いたというのは間違いで、実際は着かされたのだ。
しばらくして僕は(わし)になった。俺という時期は挫折した小説のように短くて、それでも強く印象に残っている。
あの頃の鏡は曇り、汚れた硝子板だけが残されている。映りみる空の時間も短くなった。(広島でも(わし)という言い方は消えかけている)
一度しか試さなかった僕の化粧。派手やかな女装。もしも夢中になってずっとずっと、親や姉の眼を盗み続けていたならば、ひょっとして僕の俺は硝子板のモードになっていたかも知れない。




自由詩 一昨日後ろの僕と Copyright アラガイs 2023-09-20 08:35:25
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