オペ看となって初めて帰省した時のこと
板谷みきょう

一体お前は、何を考えてるんだ!
母さんが継母って、どういう意味なんだ!!

看護学校を卒業し
脳外科の術場看護師として
やっと休みを貰い
実家に帰った早々
お袋は
エライ剣幕で叱責し始めた

何のことなのか解らず
ボクは何とかお袋を
宥め賺して話を聞いた

お袋の話はこうだ

病棟婦として
協会病院に勤めているお袋は
今年看護学校を卒業して
入社した新卒の看護師の
新入職員歓迎会で
同じ病棟に勤務となった看護師から
「板谷さんてみきょうさんのお母さんですか?」と
尋ねられたという

「そうですよ。」と答えてから
新卒の看護師が
ぎこちない態度を取り始めたことを
いぶかしく思ったお袋は
その訳を聞いた

・・・・・

「板谷」って苗字は、この町では
珍しい名前だったから
尋ねたことから話は始まった

中学の時の修学旅行で
この町の三つの中学全部が
青函連絡船で一緒になった時に
西中学の男子生徒が
50円のチューインガムを
船内で100円で売っていた

彼は
「ウチの母親は継母で
小遣いもくれなくて
持たせてくれたのは
ガムだけなんだ。」
そう話していた

みんな可哀想に思って
チューインガムを
100円で買ってあげていた

私が彼の名前を聞いたら
西中の「イタヤ」と言ってた
だからみきょう君のお母さんと知って
「あぁ。イタヤ君の継母なんだぁ。」
そう思ったら
なんだか話し難くなったんです

・・・・・

今まで、すっかり忘れていたけど
そうだ
中学の修学旅行で
十和田湖に行く連絡船でガムを売って
帰って来た時には
結構な金額になって
儲けた分で欲しかったギター用品を
買ったんだった

でも、もう今から
六・七年も経ってしまったことを
昨日今日の出来事みたいに
そんなに怒らなくても…

ボクはその時、そう思っていた

お袋は、知らない人たちが
自分のことを未だに
「継母」と
思い続けているだろうことを
哀しんでいたのだ


自由詩 オペ看となって初めて帰省した時のこと Copyright 板谷みきょう 2023-09-06 11:27:09
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