帰る (散文詩にしてみました 4)
AB(なかほど)
五反田へは品川まわりの方が早いけど、君を
思いだすために、久しぶりの家並みを見なが
ら。今の僕には、池上線がちょうどいい速度
で。君と出かけた日、洗足池で降りだした雨
は五反田で本降りになっていた。東急デパー
トの屋上にテレビヒーローが来るはずだった
んだよね。もう帰ろう。その一言だけが君の
思い出。たったそれだけだったのかな。足を
ぶらぶらして。
でんしゃ
でんしゃ
えほんのとおりに
ガタン ゴトン
おうたのとおりに
ガタン ゴトン
洗足池で降りて、ベンチに座って僕は待って
いる。次の電車が来るのを、その次の電車が
来るのを、その次のあの日の君の電車が来る
のを。洗足池の水面に、信号のない横断歩道
に、君が乗っている電車に、僕が立ち上がっ
たホームに、雨が落ちて来るのを。君は電車
の椅子に座って足をぶらぶら。
でんしゃ
でんしゃ
えほんのとおりに
ガタン ゴトン
おうたのとおりに
ガタン ゴトン
君を思い出すために、僕も足をぶらぶらさせ
てみる。もう少しで降ってきそうだから、も
う少しぶらぶら。もう降らないのかもしれな
い。もう降っているのかもしれない。
東京出張の際にはいつも、千鳥町の駅近くの
旅館に素泊まりをする。「観月」という名前
は、大観が仕事宿として長逗留した折に部屋
から見えた月を愛でたことに由来する、らし
い。その屋敷の鬱蒼とした木立の合間から見
える月よりも、その葉々に当たる雨音の方が
「よっぽどいいよ」と言ったのは幼い頃から
その旅館前を通学路にしていた君の言葉だっ
た。田舎から進学のため上京した僕にはその
あかぬけた標準語に、浅い嫉妬のようなもの
もあったが、もうそんな言葉も聞く事はない
のだろうと思いながら千鳥町の駅で降りた。
いつもの旅館で素泊まりを頼むが、いつもと
違って、テレビも点けずに窓を少し開ける。
自転車の音、子供の帰る声、シャッターを閉
める音、客の出入りを検知するチャイム、葉
ずれの音、踏み切りの音、雨の音はまだ聞こ
えず、いつもは待ち望んでいた月が見え始め
るから。まだ僕は、窓の外の音に耳を澄ませ
ている。ようやく、雲がかかり始めた月を見
ながら、君の「よっぽど いいよ」という声
をまた思いだしている。ざわっとひと風ふい
た。もう少しで降ってきそうだから、もう少
し耳を澄ませている。もう降らないのかもし
れない。もう降っているのかもしれない。
戸越銀座商店街は貧乏研究生のオアシスで、
なかなか馴染みにしてもらえなかったが、い
きつけの定食屋もいくつかあり、あの日一服
した後「雨もあがったから国文研に行かない
か」と君がなにげにいいだしたので、行って
はみたものの、古文アレルギーの僕は中に入
る気にもなれず、時間を決めて隣の戸越公園
で噴水を眺めてた。帰り道、戸越銀座の駅が
見える頃から、かゆいなと思いながらモゾモ
ゾとしている僕の顔を見て、君は怪訝そうな
顔をしてたが、家具屋の鏡に映った僕の首筋
からプツプツが沸き上がって、顔中に広がろ
うとしていた。「雨上がりの樹木からしたた
り落ちる液にかぶれたんだろう。やわだな
あ」なんて、あんなに笑うことはなかっじゃ
ないか。君のせいなんだから。それに、君の
方がずっとやわなのは知っていたさ。僕より
もずっとやわなのは。と思いながら、戸越銀
座の駅で降りた。もう一度公園まで歩いて噴
水を眺めてくれば、笑い声が聞こえてくるの
だろうか。雨も降っていないのに。君の専攻
はなんだったっけ、君の探していた文書はな
んだったんだろう、君の見たかった世界はな
んだったんだろう。あの店の前で笑い転げて
た君にはもう、もう見えていたんだろうか。
雨を待ちながらゆっくりと歩き、あの日入れ
なかった国文研に入る。もう少しで降ってき
そうだから、もう少しここで探してみる。も
う降らないのかもしれない。もう降っている
のかもしれない。
あの日の雨は、もう降らないのかもしれない。
もう降っているのかもしれない。僕は目を閉
じて、五月雨に降られたなら、君の笑顔が見
えるのだろうか。それとも、あの五月雨に濡
れたなら、君は遠くへ消えてしまうのか。
五月雨ふられあの日の君は。五月雨ふられ今
僕は。雨、洗足池に降る雨を、鈍行列車に降
る雨を、庭の木立に降る雨を、窓の木枠に滲
む雨を、商店街に降る雨を、書架の向こう降
る雨を、あの日の、君の全てに降る雨を。
その雨は、もう降らないのかもしれない、も
う降っているのかもしれない。雨、五月雨ふ
られ君は笑うのか。五月雨降られ君は消える
のか。雨、五月雨ふられ僕はどこにいこう。
もう少しで降ってきそうだから、もう少し目
を閉じてる。雨、もう降らないのかもしれな
い。もう、降っているのかもしれない。雨、
あの日の雨は、もう降らないのかもしれな
い。もう降っているのかもしれない。