陽の埋葬
田中宏輔
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。
(ルカによる福音書五・三二)
目がさめると、アトリエの前に立っていた。
──子よ。 *01
扉の内から声がする。
──わたしの子よ。 *02
死んだ父の声がする。
──わたしはここにいる。 *03
どこにいるのですか。
──子よ、わたしはここにいます。 *04
ここにあるのは、絵と骨のオブジェばかり。
──子よ、近寄りなさい。 *05
おまえは死んだ鸚鵡、ただの剥製の鸚鵡ではないか。
──わたしです。 *06
おまえが父だというのか。
──わたしがそれである。 *07
父の霊が、おまえに取り憑いたとでもいうのか。
──わが子よ、今となっては、あなたのために何ができようか。 *08
おまえに何ができる。わたしに何をしてくれるというのだ。
──あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。 *09
そのようなことを告げるために、わざわざ、わたしをここに呼び寄せたのか。
──子よ、わたしの言葉にしたがい、わたしの言うとおりにしなさい。 *10
おまえの口が語る、その言葉とは何か。
──目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。 *11
いったい何のために祈れというのか。
──信仰に基づく神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。 *12
なぜ、キリストのうちに自分を見いださなければならないのか。
──新しいいのちに生きるためである。 *13
おお、おまえは、死んだ父のように、聖書にある言葉を繰り返す。
──あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。 *14
いいや、一度として、愛してはくれなかった。愛してなどくれなかった。
──心のねじけた者は主に憎まれ、まっすぐに道を歩む者は彼に喜ばれる。 *15
これを見よ。この指を見よ。父の手によって折られた、このねじくれた指を見よ。
──むちを加えない者はその子を憎むのである。子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる。 *16
その言葉を耳にするたび、わたしの父に対する憎しみは、ますます増していった。
──わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。 *17
ああ、もういい。もう、たくさんだ。おまえは、聖書にある言葉を繰り返すだけではないか。
──わたしの子よ、あなたはイエス・キリストにある恵みによって、強くなりなさい。 *18
むしろ、ユダの恵みにこそ、あやかりたいものだ。
──愛する者よ。悪にならわないで、善にならいなさい。 *19
わたしのこころは、肉の欲に満ちている。その肉の欲は大いにはなはだしく、欠けるところがない。
──御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。 *20
わたしのこころが癒されるのは、ただ肉の欲に満ち足りたときのみ。
──肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。 *21
まだ女を知らぬ、美しい少年たちよ。その美しさは、わたしを虜にしてやまない。
──あなたは女と寝るように男と寝てはならない。 *22
むしろ、その美しさを前にすれば、わたしの方が女となるのである。
──わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。 *23
誘うのはわたし、つねにわたしの方から誘うのである。
──子よ、わたしの言葉にしたがい、わたしの言うとおりにしなさい。 *24
わたしには、この古釘で、おまえの腹をかき裂くことができる。
──罪を犯してはならない。 *25
きっと、おまえの腹のなかには、聖句がぎっしり詰まっているに違いない。
──ここから出て行きなさい。 *26
いま、それを抉り出してやる。
──立ってこの所から出なさい。 *27
この紙屑は何だ。聖書ではないか。聖書のページを切り取って丸めたものではないか。
──手を引きなさい。 *28
この聖書の切れっ端は、父がおまえの腹のなかに詰め込んだものだな
──それだけでやめなさい。 *29
こんなもの、みんな取り出してやる。それでもまだ、おまえは口をきくことができるだろうか。
──もうじゅうぶんだ。今あなたの手をとどめよ。 *30
おお、父よ。父ではないか。なぜいまさら、そのような姿で現われるのか。
──あなたは愚かなことをした。 *31
愚かなこととは何か。
──あなたはしてはならぬことをわたしにしたのです。 *32
いったい、わたしが何をしたというのか。
──自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない。 *33
世には、呪われるべき親もいよう。あなたは、わたしにとって、呪われるべき父親であったのだ。
──どうぞ主がこれをみそなわして罰せられるように。 *34
何という言葉を口にするのだろう。父よ、それが、わたしに聞かせたかった言葉なのか。
──あなたは死にます。生きながらえることはできません。 *35
父よ、わたしの言葉を聞いているのか。
──神はあなたを滅ぼされるでしょう。 *36
父よ、わたしの言葉を聞いているのか。
──地のおもてから、あなたを滅ぼし去られるであろう。 *37
References
*01:創世記二七・一、罫線加筆。
*02:テモテへの第二の手紙二・一、罫線加筆。
*03:創世記二七・一八、罫線加筆。
*04:創世記二二・七、罫線加筆。
*05:創世記二七・二一、罫線加筆。
*06:サムエル記下二・二〇、罫線加筆。
*07:マルコによる福音書一四・六二、罫線加筆。
*08:創世記二七・三七、罫線加筆。
*09:ヨハネの第三の手紙二、罫線加筆。
*10:創世記二七・八、罫線加筆。
*11:コロサイ人への手紙四・二、罫線加筆。
*12:ピリピ人への手紙三・九、罫線加筆。
*13:ローマ人への手紙六・四、罫線加筆。
*14:マルコによる福音書一・一一、罫線加筆。
*15:箴言一一・二〇、罫線加筆。
*16:箴言一三・二四、罫線加筆。
*17:箴言四・二〇、罫線加筆。
*18:テモテ人への第二の手紙二・一、罫線加筆。
*19:ヨハネの第三の手紙一一、罫線加筆。
*20:ガラテヤ人への手紙五・一六、罫線加筆。
*21:ローマ人への手紙一三・一四、罫線加筆。