仮名桜待ち惚け
万願寺
仮名の桜は星害によわい。もう少し適した土地に植われば善かったのだろうが、残念ながらこちらの星には、系の恒星となる日廻りによる明白とだんだら闇が存在する。明白のあいだには仮名桜は水を吸うことしかできず、だんだら闇のあいだは、呼吸ができず、苦しい。このような苦難のうちに育つので仮名桜たちはだいたいにおいて、受難をその思考の基底とし、つねに逆説的にかんがえる癖がある。そのせいで恐ろしく聡明な、明るい諦観のもとに未来を信ずるしか道がないと思い込む、破滅的に創造的な個体が多く生まれる。道理だ。かれら、多くは雌の人間の義体を持つが、おもにバレイ、技術のおそろしく先鋭化された谷でちいさな基盤をつかった精密な言語を操るものである。そのつぎにおおいのが、やはり作家、詩人、弁護士、また意外と、風船やポップコーンを売って、好きな本だけ読んで暮らしているものもある。仮名桜同士のネットワークは緊密に発達していて、弁護士が訪ねた先の公園で、ポップコーン売りを手伝うことも、強面のエンジニアが、詩人の家を燃やすのを手伝ったりすることも、この星ではよく見られる光景だった。星害がかれらを強くし、また、密にし、信仰に信仰を重ねるような仕組みで強化することを荒立てた。明白とだんだら闇の交互化にたいして脆弱性をもつ種は他にもあるが、かれらだけがなぜか、ハイリスク・ハイリターンの生活を好む。そして時には土で顔を汚し、芋を掘って、灰で焼き、甘すぎる黄色い芋をふんだんに使ったシチューの炊き出しをおこなう。視覚草たちも、ムーンチャイルドも、かれらにはよく懐く。道理だ。炊き出しの列に並んでいたものが、数ヶ月後には運営側にまわっているのはざらで、仮名桜に吸い寄せられるようにその全ての行いに魅了されてしまう種、個体があとを絶たない。
それでも仮名桜の個体自体は、数年で命を終える。絶妙に個体数調整をしていて、同時に存在するのは五十五体までと決まっているらしい。記録堅固隊のアフリカ象の筆記が仮名桜の担当だが、個体は五十四か五十五で、該当欄がそれ以外の数字になることは無い。こちらの星で星害に耐え、奇妙な思考で逆境を信仰の足場とし、たまに弱種族を惹き付けては共に本を焼くシチューを楽しむかれらは、絶対的な個体数調整を行いながら、待っているという。星害が無くなる日、恒星がほろびる日のことを。それまでただ惚けたように、こちらの星に従うのだと、声明を移植のかなり始めのほうに出している。こちらの星では、運悪くかれらにそれなりに適した土の成分が生成されており、「存在」自体にはたしかにかれらに利益もある。存在することだけがかれらの目的であり、星害に震え、またあえぎ、どれだけ痛みと冷度にのどを焼かれようとも、みずから命を絶つ個体がない。これは異常なことだった。存在だけを志向し、滅びの日を待ち、弱種族を手なずけながら、かれらは、その思考を破綻させることがない。長い長い春の日なのだと言う。そのような日に、生命の自死を多く抱えた人間たち(今は義体の素材としてその名が残るだけだが)、弱種族たち、そして恒星、系にまつわる惑星、は、仮名桜のはなびらが水面に落ちる様子を、逆再生された悲しみとして味わうことがあった。誕生の逆車線。かれらの存在が、いやおうなしに、そうした「気持ち」を爆発させるものらしい。仮名桜に出会ったら、今はいつですか、と聞くのが由緒正しい形而下お伺いであり、仮名桜はこう言う。「待ちくたびれました」。