スパイダーマン
本田憲嵩

もうどこを見まわしても見あたらない、かつての巣の主に固執して、海の近くにある電話ボックスと送電線のあいだに張り巡らされた、とうめいな八角形の蜘蛛の巣に、その手足と触角をみずから余計に絡ませて、そんな複雑に絡まった恋の糸を、なかば強引に二本の指でひき剝がす。手の平から大空へとよろめきながらも羽ばたいてゆく、その白い蝶の大きな羽。


晴れているのか曇っているのかよく分からない
ひかりと雨がいっぺんに降りそそいでいる


海の近くにある電話ボックスの中、閉じたビニール傘を手に持った白いワンピースを着た一人の少女がいた。だれかに電話をかけているわけでもない。電話ボックスのドアが静かに開かれて少女が夏の戸外へと出てきたとき、その透明な傘の先端をこちらへと向けてそのままの状態で開いてくる、その八角形の透明なビニール製の生地ごしには、彼女のクセのない顔の輪郭がわずかにぼやけながらも、その輪郭と透明感がよりいっそうクローズアップされているようにも見えた。白いスカートの足元からのぞく二足の白い靴は、雨にぬれたアスファルトの上、そこに溶けだしたわずかな泥やそれに混じっているゴツゴツとした小石なんかをときおり踏みしめながら、その白いスカートの裾がそれらに触れて汚れてしまうのではないかと思われてしまうほど路面すれすれのところをあるいてゆく。けれども俺はけっして声をかけない。彼女も俺もそれぞれ正反対の方向に過ぎ去ってゆく――。


だって俺はスパイダーではなく、スパイダーマンだから。



自由詩 スパイダーマン Copyright 本田憲嵩 2023-07-18 22:16:20
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