木漏れ日と風
荒井 修一郎
日差しは木漏れ日のなかに差し、青葉は道を確かめてゆくように私の歩みの中に風と戯れていた。
新しい日々が、五月の若い初夏に緑は深くまた私を誘っている。
私は永遠のなかの刹那になかに生きている。
緑の揺れる青葉が、風のなかに住まい憩おっているように、七十年、八十年、今日という日はまた来ることもしない。
雀は私の道に来る。歩けば勿忘草が、ゆく人の影を追うように、夏の音を追っている。
私は明日を知らない。明日の禍福を、誰もが分からないように、風のなかの新緑のなかの一枚に私は遠く及ばないことだろう。おそらく何千年の中に何億とも時代を重ねて旅人は同じように新緑の思いのなかに生き続けているのであろう。
私は明日も、また昨日も旅人、永遠のなかの杜の風の声となる、遠く今日の日を忘れた頃、私はまた同じようにこの時代を旅をする。