羊水
fujisaki

子が産まれる、とわかって、
しっかり喜んでみたのだが、
まだ、わからないのよ
そうか、まだわからないのだ
無事に産まれてこない胎児たちもいる

産院の、陽がよく入る待合室
お腹の大きな妊婦たちに囲まれて
いま、名前を呼ばれたらどれほど嬉しいだろう
何をしていたらいいか、わからなくて
(うつむいているのも変だよな)
暖色に統一されたチラシたちを
右上から順に、僕は読み込む

以来、
すれ違う女たちが
妊娠していないか、気になる
妊娠していないように見えても
実は妊娠していることがある
(荷物、持ちましょうか)(お酒、飲まれるんですか)
そして同様に、
若く、肩で風を切って歩く女を見ると、
妊娠する前の女だ、とも思う
(妊婦とは、お腹が大きい女の人だ)
(必ずしもそうではないが、お腹の出ていない女の人は、妊婦ではないな、と思う)
動いた、と、妻が言う
僕は手を当てることを許されて、
パパですよーなんて言ってみるけれど
とたんに胎児は、運動をやめる
人見知りなんだね
そらそうだろう
僕が父親だと、どうしてわかるだろう

あの時、手放しに喜ぶのではなくて
頑張っていかなきゃね、と
神妙な顔で伝えるべきだっただろうか
産めないものが、産むものにかけるべき言葉
あらゆるところで、これから、学んだとして、
妻が忘れても、僕の困惑、
はっきり書かれているだろう
胎児のつける通信簿に

文字通り身を挺して、すべてを守る妻を、
食卓の向かいから微笑んでみている、僕、
は、いま、
妻が入った残り湯に浸かっている、
すると、
もしかしたら
胎児の細胞の一部が、溶けだしているかもしれない、
と思って、
はじめて
触れられた気がする
柔らかいもち肌、と
長い長い、まつげ
(君の子だもの)
急に追い焚きがはじまって
すっかり冷めたはずの残り湯が、
じん、じん、と、温かくなる
(まるで、羊水のように)
(僕だって胎児だ)
(世界に生かされている)

ポプラの木は、まさに新緑で
僕はひどく感じ入ってしまい、
もし冬生まれだったなら、
待合室から見えるだろう雪景色に感激して
名前、ゆきちゃんにしただろう
そんな話をしていたら、妻は呼ばれて、
僕は、目を瞑って、
診察されている、
僕の姿を想像する
(ゆうすけさん、今日は20週検診ですね 
 だいぶ大きくなってきましたね)
僕は産めない
けれど、パパになる。


自由詩 羊水 Copyright fujisaki 2023-05-31 09:58:50
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