照準鏡の軋む声を
ホロウ・シカエルボク
閉じかけた本の中に、切れ切れのラジオの電波に、街路にこだまする無数の生業の中に、隠れている、隠れている、引き攣った神経の残響に、レールを軋ませる列車の速度計に―伝令は駆け巡る、宛先も無いのに、沢山の警告と叱咤、一時保管所の中で煙を上げている、お前は真実という名の下着を探して街中の試着室を引っ掻き回す、俺はアブサンの酔いの中であの世の冗句を思い出そうとしている、いつかきっと、遥か昔に、誰かに直に教えてもらった筈だった、でも挨拶の言葉以外何も思い出せない、酔い過ぎたのかもしれない、あるいは、もっと酔わなければいけないのかもしれない、俺という個人の境界を踏み越える、どんな手段で?形振り構わぬ姿勢であるほど門番は笑ってくれる、きっとそういうものだ、ソファに座っていたのか、それとも冷たい床の上か―記憶が記憶でなくなる、でも俺は俺でしか居ようがない、甘いボーカルのジャズ、夢見がちな年増のような歌、煙が漂っている、もしかしたら麻薬かもしれない、正しいリズムにこだわり始めた瞬間に、あいつはカルト・ヒーローではなくなった、誰の話だ、指先が小皿に入ったピーナッツを探している、出来の悪い夢は醒めにくい、だから酒屋の主人は今日も、収入と支出の計算で忙しい、お前は試着室の中で天使に出会う、でもそいつは何も話しかけてくることはない、とっつきにくい純粋さを貼り付けてただ微笑んでいるだけなのだ、ああ、俺の天使、そんなものがもしも居るとしたら、そいつはいったい俺の為に何をしてくれるというのだろう?あいつらは目の前で幸せを演じてくれるだけだという気がする、俺はゴミ箱に嘔吐する、天使を殺してしまえば永遠の罪に問われるかもしれない、だけど、いま目の前にそいつが現れたなら、余程の自制をしなければ俺はそいつを捌いてしまうかもしれない…三丁目の試着室で死体がひとつ見つかったって、ラジオが…ああ、俺の幻に引き摺られてしまったのかもしれないね、アルコールが引き潮みたいに身体から居なくなり、ほんの少し寒さを感じた俺は正気に戻る、試着室のニュースだって少しは関係しているかもしれない、だけど何故だろう、醒めてしまったあとのノーマルな自分は、何故だか少し嘘をついているように感じられる、ぼんやりと虚空を見つめている俺には、天使どころか虫けら一匹殺せることはないだろう…ぶらぶらとどこかを歩こうか?もうどんな店も開いていないだろう時間だ、薄暗い路地をぶらつこうか、殺人者の目つきでさ、でも身体は動いてはくれない、なんという忌々しく煩わしい肉体、他人のせいにするわけにもいかない、カーペットの上を砂漠の蛇みたいにうねりながら移動した、テーブルの上のグラスが落ちて欠けたけれど気にはならなかった、床と壁の接地面は冷たく、アルコールのダメージを癒すにはちょうどよかった、気をつけなければいけない、そのまま眠り込むと悪夢を見る―いつだってそうなのだ、迂闊に目を閉じてしまった日には…建造物の冷たさは日常が途切れる瞬間に似ている、ぼんやりとして―その感覚の中にすべてを委ねてしまうのだ、俺は殺人者になりたい、被害者は必要としていない、だからいつだってこんなものを書き続けている、セオリーに乗っかることで安心したくない、そう、そこにある熱を翻訳するときっと一番殺意に似ているのだ、俺がこんな言葉を使ってしまうのは…こんな概念にどっぷりと漬かってしまうのは、根本に埋もれている動機にそんな視線が隠れているからさ…美しさ、真っ当さなどなんの基準にもならない、そんなものを良しとするのならこぞって仏門でも潜ればいい、美しさや正しさこそを美徳とした結果どうなった?下らない言葉狩りが始まっただけさ、みんな本気でそれが正義だと信じているんだ、まるで邪教じゃないか?どんな感情でも構わないんだ、それが次の行に手を付ける理由になるならさ―だから俺は殺意だって、殺人だって言うんだ、俺が誰かから受け取って、美しいと思った衝撃もやっぱりそういうものだったからさ、人間で居続けようと思ったら、人間を飛び越え続けなければならない、俺は自分が詩人でなくたって構わない、俺がこだわり続けているのは詩情だけなんだから…本流に背を向けたのに、違う流れの中で列に並んでいったいどうなるというのだね、みんな本当にそういうのが好きだよね、自分にとって魅力的だと思える教義に並ぶだけなんだ、いつだって―壊れるだけ壊れてしまった一日に名前を付けてくれ、誰かがそんなことを叫び続けるから俺は衝動の為に踊るんだ、いつだってそうだぜ、行動が無ければ、その結果が無ければ本当は主義主張なんかどこからも生まれてきやしないのさ、今日という一日が俺の眉間に狙いをつける時、そいつの眉間を突き破るくらいの声で叫ぶことが出来たらそれでいい、それで俺の欲望はほんのひと時満たされるんだ、いつだって…