女學生日記について
TAT






本当は完結したなりにしておこうと思っていましたが、今回のシリーズを読んで下さった方々のために幾らかの説明責任がある気がずっとしていました。そんな訳で蛇足を足し添えておきます。

およそ一年をかけてこちらに投稿させて頂いた女學生日記シリーズは僕のオリジナル作品ではありません。僕がした事はただ手元にある古い手書きの日記を解読し、それをそのまま転記させてもらっただけです。昭和十四年の日記は、紛うことなく本物のとある女學生の日記です。

ですから件のシリーズ作品への賛辞や評価やポイントの全ては当然の事ながら彼女ただ一人にあります。

遠い過去の日記ですが、せめて季節の片鱗だけでも現実とリンクさせながら読んで頂ければと思い、例えば五月の日記は五月に、九月の二日の日記は出来るだけ九月二日に近い日付で投稿する事を心掛けました。

この一年の間、僕はトム・リドルの日記に憑り付かれたジニー・ウィーズリーであったと言えます。

詳細な経緯は伏せさせて頂きますが、僕とこの日記の持ち主の方との関係性はと問われるなら「永瀬正敏と樹木希林の「あん」という映画を観てみて下さい。ほぼああいう感じです」とお答えしておこうかと思います。

何んしぃそんなん読みたいのんよと笑いながら照れ臭そうに彼女は本棚の日記を僕に読ませてくれました(この日記は古い文学全集の隙間にそっと差し込んであったのです)。
今では本人さんは既に鬼籍に入られました。
加えて、これは書こうか迷いましたが、決して裕福で幸せな生涯ではなかったのかもしれません。

ある雨の日に、彼女の家財道具は冷たいコンテナに全て打ち棄てられていました。そしてその光景は、僕の心臓に冷たい爪を立てました。
おそらくは一生残る傷を。

この日記が書かれたのは昭和十四年。
第二次世界大戦の勃発した年です。
太平洋戦争が昭和十六年ですから彼女もほどなく戦争の大きな渦に巻き込まれていった事でしょう。

長い人生の間、彼女は時にはこの日記の中にいる戦争前夜の自分の姿を読み返したでしょうか。女學生だった頃の自分を思い出す夜もあったでしょうか。

戦争。焼け野原。高度経済成長。オイルショック。バブル経済。失われた数十年。

彼女の長い長い長い人生の道を想像する度に僕はめまいがします。

第二次世界大戦の開戦を知り、ポーランドの子ども達の運命に思いを馳せた十二月二十五日の夜の彼女の日記。と。今現在、ロシアの侵攻に脅かされるウクライナの子ども達の事を憂う我々とで何が違うのでしょうか。

中国は香港を飲み干し、今度は台湾という大皿にまで手を伸ばそうとしています。

僕らとアメリカが正義で、BRICSが次の敵で、彼等が悪なのでしょうか?

もうあと何年かすれば僕らはみんな第三次世界大戦の鍋底に叩き込まれるのかもしれません。それは全くの0%の絵空事ではないと、僕は思います。

そんな今の時代だからこそ彼女の遺したこの日記を遍く読み、残したいと、強く思いました。この日記の中に戦争はありません。ただただあるのは日常です。けれどもその日常を命と替えても後に残したいと、なぜだか僕はそう思いました。

時に見栄坊でもあり密告屋気質でもある女の子は決して大聖人ではありませんが、日々に疑問や恐れを持たず無垢な青春の時代を現在進行形で生きていて、僕にはそれがとても眩しく映ったりもしたのです。

という綺麗事もまぁ真実ではあるのですが、、。

告白すると僕は大昔の旧字体の手書き日記を端から端まで読むパワーとモチベーションを、現代詩フォーラム上にアーカイブするという作業の中に求めたというのが本当の所だと思います。

いつもサンクス。現フォ。
まったく役に立つサイトだぜ。
本当にありがとうございました。




日記中の人名は全て仮名に変えさせて頂きました。地名等は極力そのままとしましたが、学校名や個人商店の名称等は架空のものに置き換えさせて頂きました。

慌てん坊でおっちょこちょいな彼女のキャラクターをそのまま感じてもらいたくて日記中の誤字脱字も出来るだけ僕の方で訂正する事なく転記させて頂きました。
旧仮名遣いについても「ゐ」や「せう」や「さう」を使ってある箇所がまちまちであったり、「間違ひ」「お迎へ」等の箇所が時折「間違い」「お迎え」となっていたりするのに違和感を感じた方がいらっしゃったかもしれません。
でもまあ走り書きの日記ですから「お使ひに行きました」の次の行に「お使いの後で」と書かれているような事も少なくありませんでした。

戦前から戦後にかけて日本語の表記等についても過渡期だったようで人々ももう面倒くさいから口語で書いちゃったり「ゐ」とか「ヰ」とか要は「い」で良いんでしょ?みたいな、そんな感じだったのではないかと想像します。

文部省のお偉いさんやGHQやらが「この漢字はもう使うな」とか「右横書きはやめろ」とかルールを変えていき、人々は困惑しつつ渋々従っていった、そんな時代だったのでしょうか。

まあ結局の所は学生が嫌々書く宿題の日記なんて、意味が通じて文字が読めれば良いのではないでしょうか。どんな時代も。













もしもこのシリーズ作品を根気強く一年間読んで下さった奇特な方がいらっしゃったとしたら、始まりと終わりに桜を二度観られた事でしょう。

卒業式。入学式。歓送迎会。入社式。定年退職。
人生を彩る出会いと別れの季節の。

傍らで
この日記を読んで下さった事に
心からの感謝をお伝えしたいと思います。










令和五年五月四日
とある海岸沿いの藤棚の下から

TAT拝
























散文(批評随筆小説等) 女學生日記について Copyright TAT 2023-05-04 19:57:43
notebook Home 戻る  過去 未来