だからもう一度、初演の舞台の中に
ホロウ・シカエルボク


凝固した毛細血管のような形状の幻が網膜の中で踊る午後、飛散した詩篇の一番重要な欠片で人差指の腹を切る、往生際の悪い具合で滲む血の赤は、どういうわけだか若い頃に会うことが無くなった誰かのことを思い出させた、手のひらで傷を拭うのはやめて、それはいつだって傷をより広げてしまう、冷たい水に浸して、そこだけが緩やかに死んでいくのを待っているのが本当なのに、裂傷は一番古い記憶とリンクする、奥底にしまいこんだまま、中に何が入っているのかも忘れてしまった小箱、そんなものの中に入っているガラクタのようないくつかのコード…噎せ返るような初夏の午後、飛びつかれた羽虫みたいにじっとして、ただただ時間が汗に変換されるのを待っている、どうでもいいことに違いない、指先の傷だの、しまいこんだ記憶だの…だけど人生のほとんどはどうでもいいことで出来ている、そんな一見無意味な出来事をあれこれと紐解いているうちに、猛烈な電流が全身を駆け抜けるみたいな真理を見つけることだってある―だけどあまりそんな解答に固執してはならない、生命活動において固定された解答というものは在り得ない、そうでなければ見つけてしまった瞬間にすべてが幕を閉じてしまうだろう、唐突に閉じられた緞帳の前で、茫然としてアンコールを待つだろう…でもそんな機会は二度と訪れない、そこには観客が存在しないからだ、誰も居ない劇場でたった一人で舞台に立って即興芝居を続けているのさ、そしてそれは決して、寂しい話などでは在り得ない、共有出来る真実など無い、それが規則や共通概念によって甘やかされたような人生でなければ、たった一人で見つけなければならないものはごまんとある、覚えがある筈だ、どこかへ行きたかった、なにかを見つけたかった、誰にも会いたくなかった…そんな時人はいつも、自分自身の真実を力ずくで呼び込もうとしているのだ、衝動の向かう先は、詩文や絵画や音楽だ、なぜ書くのか、なぜ歌うのか、それは、己が存在の認知であり、確認だ、まだこれがある、まだこれを求めている、もうこれは失くしてしまった、これは必要がなくなった、これはそのうちに変化するだろう…生きてる理由など生きている間にはたぶんわからない、だから魂が求めるものには正直であるべきだ、周りの目を気にして恰好をつけていたって時間は過ぎていく、真実がいつか自分の脇をかすめたときに、それをどんな風にも受け止められない上っ面だけの自分では遅いのだ、知るためのことは、知ろうとし続けていない限り姿を現してくれはしない、本当は誰もがそのことに気付いているはずさ、だからみんな始めは、躍起になってそこに近付こうとする、最初の熱が冷めて駄目になって、都合のいい言い訳をしながら熱の無い世界に身を横たえてしまう―情熱は若さだけの特権だろうか?いや違う、ごく一般的な情熱のイメージは実は、相対的に熱量の割に手に入れるものは少ない、そのさなかに、疑問に感じたことはなかったか―本当に?力と勢いのみで突き進んでいるせいだ、それは一見美しいものに見えるだろう、けれどそれに騙され続けていてはいけないのだ、人がその時代に己が道を確信するのは、闇雲な思い入れの強さがあるからなのだ、けれどみんな、そんな熱量ばかりを信じてしまう、そうして、熱を忘れ―大人になる、絵に描いたような、テンプレ通りの大人になってしまう、昔懸命だった自分に舌鼓を打ちながら、弛んだ身体に嗜みとばかりに酒やニコチンを叩きこむ、卒業って言うんだろう…残念ながらそれはドロップアウトさ、人生そのものからのね―固執しなくてはならない、自分を人生に縛り付けているいくつかの物事については…絶対に―そんなの辛いだけじゃないか、なんて思うかもしれない、だけど言わせてもらえれば、空っぽの両手を肯定しながら周囲に迎合して生きるだけの人生は―この世で最も残酷な拷問のようなものだ、そんな世界に飛び込むくらいなら多少の苦難など問題にもならない、捨てることが出来ないものを持っている人間は絶対にそういう風に考えるものさ、運でもない、意地でもない、見栄でも、或いは自虐でもない、身体に張り付けるラベルが欲しくてそれを選んだわけじゃない、ただどうしようもなく、それが自分にもたらしてくれる世界が美しくてたまらないというだけのことなんだ…無数の記憶と共に世界を塗り替える、誰にも覚えることが出来ない名前をつけてあげよう、一生をかけて繰り返す自己紹介、自分自身の為の…余計な鏡はすべて叩き割ってしまえばいい、鈍い光をあちこちに反射する煩わしい瓦礫の中で、ようやく見つけたものに映る鏡像は、こちらを真っすぐに見据えたままにやりと笑うだろう。



自由詩 だからもう一度、初演の舞台の中に Copyright ホロウ・シカエルボク 2023-05-02 21:21:58
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