不気味さの正体
アラガイs
これは詩というか散文というのか、(書き)つつも迷ってしまうのだが、
、というのも僕は何人かの詩を読んで気持ちわるい、あるいは~わり~いよ、とか過去にコメントしたことがあるのね。ごめんなさいね。それで気持ちわるいは本当にわるいのだろうか、と常々考えていたら具体的にいい見本題材がありました。たとえば縄文時代の土器や埴輪なんてのはあたまのどこに反応してしまうのか過敏に気持ちわるいし、そこから感化された岡本太郎や原色がにょきにょきした草間彌生のなんてのもわたしには気持ちわるく見えるのだ。いくら気持ちわるく見えると言っても縄文時代の土器や埴輪や草間や岡本太郎の作品が拙いなんて思わない。むしろ称賛に値するだろうと思えて、そうは思わないのだから、やはりわたしが気持ちわるいと思えることは優れていいことだろう。なのだろう。と思えてきた今日という混沌した暗鬱な日々。過去にそうコメント付けた人たち。~陽向くんごめんね。きみは優れて特異で奇異な存在の詩人かも知れないし、よくわからない、わからないのは未知な経験から、そのヒトのあたまを開けてついでに時間を通り越してみなければわからない。そうだよ。過去は幻と過ぎて、でも未来って確かにくるよね。しかしこれが幽霊となれば話しはべつで、いくら技巧的に優れた幽霊画の評価が高いとは言っても、これは気持ちわるいを通り越して怖いのだ。幽霊なんて実際見たこともなければ遭遇したこともない。たまに風や月影の悪戯にそう思えて震えを覚えてしまうこともあるし。人間だってそうだろう。いきなり薄い衣を羽織って暗闇の隅から覗かれたり音もなく忍び寄られたら、ありゃら、やらら、ドキッ!わあ~~ と、これは心臓にわるいよ。怖い、恐怖なんだよう~ってことで話しは終えるけど、僕はまだまだ大人の子供です。だから怖いと気持ちわるいの区別もハッキリしない。なので今一度気持ちわるいをマジに考察してみようか、となどは思わないけれどもつい書き込んだ次第で。やはり今宵も怖い現実気色わるい夢物語とはご遠慮願いたく閻魔様。おまえは誰なんだよ。詩というか徒労というか、ああ汚れ話しちまちま、なんのことやらです。 終わり。