捨て寿命
こんにちは!みんです

寿命は限られていて貴重なものだが、別に今は必要じゃないなというときにセーブできる機能があれば便利だと思う。心身の調子がよくないときは治るまで命をとっておいて、治ってからまた寿命を使って何かするというように。みんなそうできたらあと300年くらいは平均寿命が延びそうだ(自殺率の低下も込みで考えて)。

「捨て飯」という概念が存在する。食事を楽しむわけでもなく、ただ栄養を補給するためだけに食べられる食料。行きたかった店が臨時休業で代わりに行った店がすごく不味かった場合とか、一緒に食べてる相手が不快な場合とか、時間がないときとかにほとんど無理やり消化器に詰め込むように食べられるのが「捨て飯」だ。それと同じように、生きることを楽しむわけでもなくただ時間を潰すためだけに消費される寿命もあるだろう。渋滞、行列、五月病、二日酔い、何の予定もない週末。これらの時間のために寿命を使うのがもったいないと思われるくらい人生は短いため、これらを「捨て」の部分として切り捨てる見方も可能だろう。

しかし、「捨て」とは言ったもののその飯や時間は現実上必要だ。理由はいろいろな方向から考えられるが、とにかくそういう連続性は必要だ。個人的にかき揚げは繋ぎに使われている小麦粉みたいな粉が苦手で積極的には食べたいと思わない料理だが、その繋ぎがなければかき揚げは保っていられないのと同じように、「飯」や「人生」を一連の行為として繋ぎとめておくために「捨て」部分は存在しているのだといえよう。

しかし、「捨て」という言葉はあまり飯や人生やヒトに使うものでもないのでこれ以上考えても無駄だと思う。いま本当の意味で問題視されるべきことは、役割や意味のないものを切り捨てようとしてしまう意識のほうにある。特に、うどんなどのカロリーの低い食べ物を買って食べるときに、金額がカロリーを上回ってしまっていると感じる「損したなぁ」という気持ちはうどんに対して傲慢だ。うどんを好むことをまるで車の燃費が悪いみたいに考えやがって!絶対に許されない。


散文(批評随筆小説等) 捨て寿命 Copyright こんにちは!みんです 2023-02-24 22:57:55
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