炎は繁殖期の蛇のようにのたうっている
ホロウ・シカエルボク
天井の亀裂につけられた名前は俺と同じだった、衝動的な絶望が蝗の群れのように襲い掛かって来る、大丈夫…少なくともそれには鋭い歯はついてはいないさ、午後、化粧板を張り合わせた室内ドアのような、午後…俺は良くも悪くも、そんな午後には慣れっこになっていた―良くも悪くも―ハエトリグモが用事を思い出そうとしているみたいにうろうろとしていたが、俺の気配に気づくと踏み潰されないように次第に距離を取って、いつの間にか家具の後ろへと姿を消していた、極めて人間的な行為だ、と俺は思った、臆病な人間は背中へ背中へと回るものさ…何かが延髄に刺さったような感触があったけれど、アナログの壁掛け時計が一分進んだだけだった、デジタル時計が詳細に映し出す時刻は好きになれない、一分一秒、おまけに気温や湿度まで…時計にそんなものを教えてもらう必要があるか?―いや、所詮は、好みの問題というだけのことかもしれない、携帯電話は電話以外の機能でセールスを伸ばしているのだ…円盤、そこに書かれた一二個の数字、決められた感覚で動く三つの、長さの異なる針―その形が一番、「時」というものを強く意識させてくれる、地球と同じ形をしているからかもしれない、なんて思う時もあるが、たいていの場合にはそんなこと考えもしない…なにか書くべきかもしれない、という気分になる、だけどそれは次の瞬間にはどこかへ行ってしまう、書こうという気持ちと、書くという気持ちは必ずしも同じではない、気持ちがあるとすべてを台無しにしてしまうことだってある―詩を書くときには自分が詩人であるという気持ちなどはどこかへ置いておくべきだ、そうでなければ取り返しのつかない過ちをおかしてしまう…詩人であるということが、詩を書くことよりも先に来てはいけない、そんなことあたりまえのことではあるのだが…わかるだろう、いまはともかくなにもかも、スローガンや肩書が先行しがちだ、内容の為に生きていないからそんな単純なミスをおかすのだ、スローガンや肩書は行為の結果としてそこにあればいい、総括のようなものだ、そうは思わないか?狂った世界に生きている、いつだって俺たちは…そうだよね?いったいなにがこれほどまでに、バランスを危うくさせてしまうのか?そう、先行すべきものを間違えているのだ、便宜上の正解というものに踊らされて、考えることもなくひたすらそれを追い求めた挙句便宜上の正解が唯一の正解になってしまって、それ以外は全部駄目と信じ込んでしまう…こうしてあらためて言葉にしてみると信じられない現象のようだが、だけど言わせて欲しい、人間はどこまでも愚かになることが出来る生きものだ、俺は人間のほとんどは草食動物なのだと思う、群れて集まり、皆で同じ行動をして、列を乱すことなく、生活を営んでいく、そんな習性をどこかに残したまま、世界に投げ出されてくるのだ、調和を乱すことを不思議なほどに恐れ、辺りに居る者を片っ端から同じ流れに引き摺り込もうと目論んでいる、こっちに来い、列を乱すな、目立った真似をすればあっという間に肉食動物の餌食だぞ…そう、僅かだが肉食動物の記憶を持って生まれてくる人間も居る、そうしてそいつらには、草食動物を食うなんてことになどもうなんの興味もありはしない、彼らは学んだのだ、人としての野性の在り方を、寄り添うべき流れなどみな幻想だと、ひとりで生きた記憶を持つ彼らは知っていたからだ、そうして、野性の為にこの命の中で生きるべきだと気付いたとき、その思いを吐き出すことを覚えるのだ、アーティスト!人の群れの中で声を張り上げる連中は皆、そうした蠢きを持っている、彼らが過去生からずっとその内に感じてきた、肉体性と精神性の具現化なのだ、飛び込まねば得られぬことを彼らは皆知っている、その思いが、その思いが…血の中で野性として沸騰するのだ、無数の死があり、無数の生があった、自分が関わったものもあった、もちろん手を下し、屠ったものも―他の命を食らい、なおかつ明日もそれを食らうためになにかをしようと鼻息を荒げている自分は、この俺はいったいなんなのだ?そんな思いが彼らの中ではいつでも渦巻いでいる、そうして物陰に隠れて逃げていくやつらを見つめ、なんて下らないんだと考えるのだ、俺はステップを持ち出し、背伸びをして天井の亀裂を指でなぞる、そしてこの空間は果たして天井なのだろうかと考える、それはもしかしたら、人間というカテゴリーからはいくらかはみ出している自分自身の、身勝手なシンパシーなのではないかなどと考える、換気の為に少し開けた窓から冷たい風が吹き込み、微かに思い返された現実は、やがて来る夕焼けの中で、火葬される死体のようにいつか見えなくなってしまうだろう。