おねがいをしたころ
祐伸
百 かぞえるまで待ちなさいと
沈んでしまいそうな体が
それでも我慢できていたのは
逆に願いが無味乾燥していたからなのかもしれない
おぼつかない7歳の乗るブランコは
未来の重さを天秤で量ろうとすることさえ知らずに
ただ遠くまで 遠くまで行ければ良いと
想って
迷走の結果 今じゃランタイムエラーが出て
世間という言葉で遮断されるようになった
僕はどうやらパソコンを見続けることに
それは例えばある種の低迷だとかブランクだとか
いつのまにか引き摺ってしまうものさしに
逆に測られてしまっていたんだと感じる
おねがいというものは
不誠実だからこそ
いつまでもきれいなんだ
教養を強要されるかのように植えつづけて
花が咲くまで待てないと喚きちらした
小学校と中学校は隣接していて
広い世界を見る事が出来ないからいやだと 喚きちらした
子供が入ったって精一杯な 狭い狭い風呂釜の中で
僕が100秒絶え続けた理由は
そこはかとなく ある種 そこはかとなく
一つの建造物をつくるかのような はかなさで
すすんでいくだろう時間を 待ち侘びたからだ
おねがい という曲を小学生の時に作った
子供心に 悩みが常に押し寄せるような
そんな多幸な時間を
望んでいた結果かもしれない
百 待てなかったからって
とやかく言われたくないし 言いたくもないわけだ
だけど百 待つことに意味を齎せれてるから
こうして言葉を弄したり
笑いあったり 無駄な事で頭を抱えていれる
ねがいをかけたあとすぐに
ねがいがかなうわけじゃないから
いろんなことに感謝をしなきゃいけないと感じる