ムイグヮー
AB(なかほど)

  

本島中部の小学校で よくあるように
高台を開いた土地に建てられていました
二年生の教室だけは校庭をはさんだ東側に
平屋建ての校舎でした
その校舎の裏に緑の小さな森山(ムイ)があり
放課後(誰に)かは忘れてしまいましたが
連れられて登りました
近くで見ると岩肌に
ガジュマルやエンジュの木がへばりつき
あらぬ方向から急に角度を変えて
空に伸びていました

途中 岩を抱くように歩き
また 四つん這いでしか通れない
そんなところもありましたが
子供でも歩ける小さな道が上まで通じていたので
島によくある御嶽、ウグヮンジュ
あるいは内地によくある日和見山
のようなものだったのかもしれません
上からの見晴しは素晴らしく
海に向かって沼地、サトウキビ畑、製糖工場
振り返って自分の教室が見えたとき 
意味も無く両手を高くあげました

何回目かに行ったときのバンザイが
先生に見つかることになり
そのムイに行けなくなったんですが
なぜかもう一度登ってみたくなり
見つからないようにと
違う道を行ったことがあります
知らない小道は中へ中へと
結局 胸の高さの洞穴で行き止まり
中を覗くと人骨が転がっていました
「裏の小山に入っちゃいけない」
という意味がわかりました

戦争からそのまま
ブリキの道具もそのまま
生まれる前の ずっと前のことなのに
そのまま 
かん高い機械音に見上げた空に
超音速の飛行機雲が南へ伸びていました
そのころ 街の方では

  「那覇市小禄 聖マタイ幼稚園横の下水道工事現場
   で、打ち込まれたパイルが当たり不発弾が爆発。
   作業員三人と女児一人が死亡し、三十四人が重軽
   傷を負った。
   旧日本軍が埋めた地雷であった。
           (一九七四年三月 琉球新報)」

ムイの下の沼地が
サトウキビ畑に変わりました
おそらく壕は閉じられたでしょう
復帰から二年
島が翌年の海洋博で昂っている頃です

今ではもう ムイ自体なくなりました


   


自由詩 ムイグヮー Copyright AB(なかほど) 2003-11-27 04:37:17
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