二〇二二年十月一日 「ネモ船長の最後の冒険」
海外SF傑作選『異邦からの眺め』6作目は、ヨゼフ・ネスヴァドバの「ネモ船長の最後の冒険」太陽系を破壊しに来た異星人たちをやっつけに地球からネモ船長らが派遣された。敵とまみえたとき、敵は地球人に攻撃もせずにいた。ネモ船長らは地球に帰ってきた。アインシュタイン効果で1000年後の地球に戻ってきた。地球人はひとりにつき1台のアンドロイドを持ち、労働などをさせていた。ネモ船長はふたたび宇宙に飛び立とうとしたが、部下たちがひとりとして従わなかったので、自分も地球に残ることにした。さびしい物語だった。
二〇二二年十月二日 「確率神の祭壇」
7作目は、アドリアン・ロゴスの「確率神の祭壇」時速九百七十キロで走っていた主人公は事故を起こす。しかし、奇跡的に助かった。町にある確率神のところへ行くと、その奇跡がいかに低い確率で起こったのか主人公に話す。そして主人公を殺す。よくわからない物語だった。どういうつもりで書いたのか。
二〇二二年十月三日 「おやすみ、ソフィア」
あした高木精神科医院に行く。
きょうは壮絶な夢を見た。ぼくの貯金をすべて盗んだ継母を思いきり責めさいなんでいる夢だ。終わりのほうでは死んでもいいと思って、頭をコンクリートの床にぶつけていた。ぼくはいままで自分は暴力的な人間だと思わなかったのだけれど、状況によって、十分に狂暴になるんだなって思った。
8作目は、リーノ・アルダーニの「おやすみ、ソフィア」アシモフの『録夢業』を思い出した。フィルム・メーカーの話。女優は作品を大いに気に入る。迫真の演技。
9作目は、セーヴェル・ガンソフスキーの「実験場」人間の恐怖心に反応する戦車が発明された。実験に参加した者はみな戦車に殺された。
二〇二二年十月四日 「〈風神〉アイオロスの子、シシフォス」
10作目は、フセヴォロド・イワーノフの「〈風神〉アイオロスの子、シシフォス」兵士が故郷を目指して帰る途中で、シシフォスに出合った。兵士はシシフォスに、王になれるぞと言うが、シシフォスは断った。
さいごの11作目は、ワジム・シェフネルの「内気な天才」タイトル通りの天才の青年が水上スケートを発明し、若返りの装置を発明する。
きょうから寝るまえの読書は、『999─妖女たち』だ。いまアマゾンでは9000円くらいしている。ぼくは高くなるまえに、1000円ほどで買った。
https://pic.twitter.com/bRrsCvDp29
最安値で、8800円。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4488584012/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o01_s00?ie=UTF8&psc=1…
二〇二二年十月五日 「モスクワのモルグにおける死せるアメリクァ人」
1作目は、キム・ニューマンの「モスクワのモルグにおける死せるアメリクァ人」頭部を打ち砕けば、もう大丈夫なゾンビがモスクワに大勢いた。しかし、事態は悪くなるばかりで、みんな襲われてしまう。混沌とした状況のなかで物語は終わる。
二〇二二年十月六日 「日原正彦さん」
日原正彦さんから、詩誌『橄欖』第126号を送っていただいた。日原さんの詩「みち」、「短詩 十五篇」どの詩もわかりやすい言葉でつづられており、こころのなかに響いてくるものがあった。日原さんは大ベテランなのに、まだこういったみずみずしさをお持ちなのだと思うと、自分と比べてしまう。
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二〇二二年十月七日 「夢」
夢でSFを見た。そのまま書けば小説になるだろうが、古いタイプのSFで、とっくに書かれているタイプのものだ。もったいないけれど、放棄することにした。
二〇二二年十月八日 「詐欺」
ぼくの第1詩集の『Pastiche』は花神社というところから出したのだが、表紙をぼくがデザインしたことに社長が怒って、詩集を書店に並べてもらえなかったばかりでなく、全冊ぼくが引き上げたのに、保管料の20万円もとってた。詐欺に遭ったようなものだ。いや、詐欺だ。出版社は考えなければならない。
二〇二二年十月九日 「夢」
きょう見た夢はおかしなものだった。勤め先の日知庵まで行くのに、自転車に乗ってたのだ。自転車なんて10年以上も乗ってないのに。それで、自転車に乗ってたら、地面の割れ目に落っこちて、でもまだ乗れてて、進んでいくと、つぎつぎと地面の割れ目に出っくわして、夢だこれはと思って目を覚ました。
二〇二二年十月十日 「コントラカールの廃墟」
2作目は、ジョイス・キャロル・オーツの「コントラカールの廃墟」判事一家は落ちぶれて、古い家に移り住んだ。兄と弟と妹と双子の兄妹がいた。弟が顔のない男を見た。弟が姿を消した。兄が顔のない男にけがをさせた。父母は人形になっていた。という不思議なお話。さいごは子供たちだけで街に出る。
二〇二二年十月十一日 「膝の痛み」
いま市立病院から帰ってきた。3週間ほどまえから、右の膝が痛くて、痛み止めを飲んでごまかしたのだけれど、きょう行っておかないと、もっとひどくなると思って行ったのだった。レントゲンまで撮ってもらって診てもらったら、ただの炎症だって。湿布を貼ってたらそのうち痛みはなくなるでしょう、とのことだった。大げさに考えてたぼくが浅はかだった。きっと膝に水でも溜まっているのだと思ってた。病院で診察してもらったら、なんだか膝の痛みも薄れていて、ぼくって単純なんだなって思った。診察料金1600円、湿布の代金は670円だった。もっと取られると思っていたのだが、案外、安かった。
二〇二二年十月十二日 「フクロウと子猫ちゃん」
3作目は、トマス・M・ディッシュの「フクロウと子猫ちゃん」フクロウと子猫ちゃんがもらわれた家には夫婦がいて、その妻は二度目の嫁さんで、男はさいしょの妻を殺したことで刑務所に入れられる。フクロウと子猫ちゃんは、そんなことなども思いながらいっしょに暮らす。仲よく暮らす。メルヘン調だ。
4作目は、スティーヴン・キングの「道路ウイルスは北にむかう」作家が一枚の絵をガレージセールで買う。絵は車を運転しているひとりの男を描いたものだった。作家が見るたびに絵柄が変化した。作家は絵を捨てた。捨てた絵が作家の家にあった。絵の中の男が作家を殺しにきた。絵はそこまで変化してた。
二〇二二年十月十三日 「順列 並べ替え詩。3×2×1」
ひと壜の霧の湖。
霧の湖のひと壜。
湖のひと壜の霧。
ひと壜の湖の霧。
霧のひと壜の湖。
湖の霧のひと壜。
二〇二二年十月十四日 「形見と宝:ある愛の歌」
5作目は、ニール・ゲイマンの「形見と宝:ある愛の歌」主人公は美人の母親をもっていた。父親の候補は何人もいた。そのうち4人を殺した。主人公はある有力な人物に仕えていた。その人物はゲイではなかったが、世界中でもっとも美しい男たちを犯すことを喜びとしていた。一行空きの多い文体だった。
二〇二二年十月十五日 「増殖」
6作目は、T・E・D・クラインの「増殖」田舎の一軒家を買った夫婦の話。まえの住人が残していった家庭画報のような本を読むというだけの物語。ホラー・アンソロジーなのに、ホラー的なところがいっさいなかった。短かったのが取り柄の小説だった。叙述は、すいすいと読みやすいものだったけれど。いや違った。ぼくの読み落としだ。まえの住人の残していった雑誌に投稿欄があって、浴室の床の中央が盛り上がってきているのを相談していて、つぎの号では、さらに盛り上がりが増えていってるという話だったのだが、主人公の夫婦の家でも同じように浴室の床の中央が盛り上がってきたという展開だった。
二〇二二年十月十六日 「北沢十一さん」
北沢十一さんから、詩集『夏の終わりの俯瞰図』を送っていただいた。一篇一篇の詩が短篇小説のように思われた。アイデアは、いろいろなところから得られたであろうことが推測された。読みやすい、わかりやすい詩句だ。安心して読める詩と言えば、変に聞こえるかもしれないが、じっさい安心して読めた。
https://pic.twitter.com/6nwrvF3Uc5
ひえ~、きょうは借金取りの夢を見たわ。パソコンまで持っていくのよ。目が覚めるまで夢だと思わなかった。借金なんてしてないけど、真に迫ってたわ。これ、なにを暗示してるんだろう。
二度寝の夢は、ぼくが霊的接触を終えて、身体が麻痺しているあいだに、ぼくが注文していたビフテキを魚の姿をした弟が食べてしらばっくれていたので、身体をばらばらにしてやったという夢だった。霊的接触は、ぼくの部屋で死んだ子どもたちと行っていたもの。
二〇二二年十月十七日 「《新十二宮クラブ》議事録とヘンリー・ワトスン・フェアファックスの日記よりの抜粋」
7作目は、チェット・ウィリアムスンの「《新十二宮クラブ》議事録とヘンリー・ワトスン・フェアファックスの日記よりの抜粋」12人の世界の富豪たちからなる食事会の日記。食べるものが過激になっていき、人肉にまで至る。
8作目は、アル・サラントニの「ロープ・モンスター」地底から怪物が街じゅうに出てきて人間を地中に引きずり込んでいった。というただそれだけの話。
9作目は、ティム・パワーズの「遍歴」大好きな作家だが、なにを書いているのかさっぱりわからなかった。主人公も存在感がないし、筋書きも筋書きらしくないし。言葉がただ綴られているシロモノだった。作家の手抜きの作品を読まされているかのようだった。
10作目は、ベントリー・リトルの「劇場」古本屋にバイトにきてる主人公が、古本屋の二階に行くと、そこは古い劇場跡だった。不気味な人形たち。主人公は古本屋の主人を殺して人形にして二階の劇場に飾った。劇場の人形たちは主人公のまえで動いた。まあ、ホラーっぽいけど、まったく怖くはなかった。
二〇二二年十月十八日 「妖女たち」
さいごの11作目は、エリック・ヴァン・ラストベーダーの「妖女たち」これは傑作だった。長めの短篇というか、中篇というのだろうか、読んだらさいごまで本を手から手放せなくなった。主人公は作家。精神と身体の不自由な妹がいる。作家は彼女の存在を無視していた。彼女は死ぬ直前に作家に悟らせた。作家自身のなかの怪物の存在を。作家はこころから妹に詫びた。その悟らせ方がSFでもあった。彼女は超能力者だったのだ。
ちなみに、つぎのような言葉があって、記憶に残りそうな言葉だと思った。「なんであれ、あっさりわかるようなものにはたいした価値がないんじゃない?」(エリック・ヴァン・ラストベーダー『妖女たち』金子 浩訳、410ページ・8,9行目)
きょうから寝るまえの読書は、『999─聖金曜日』だ。『999』シリーズで、まだ読んでなかったもの。ホラーにも傑作がある。これは、どうかな。
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二〇二二年十月十九日 「夏野 雨さん」
夏野 雨さんから、詩集『じゃんけんをしながら渡る歩道橋がいちばん好きだ』を送っていただいた。せっついた文章というものがある。夏野さんの詩句は落ち着いて書かれたものだと思った。アイデアもいいものが何作もあった。若いひとなのだろう。有望な方なのだなと思った。
https://pic.twitter.com/TuTaM59WA3
二〇二二年十月二十日 「夢」
またお金を盗まれる夢を見た。電車のなかでだった。リュックの財布を入れてるところからだった。
二〇二二年十月二十一日 「日知庵」
日知庵に行った。いつもどおり、楽しいおしゃべりだった。
二〇二二年十月二十二日 「聖金曜日」
ジョン・ヴァーリイの『ティーターン』、『ウィザード』上下巻をヤフオクで落札した。むかし持ってたけど、いま本棚になかったので買い直した。『ティーターン』は130円、『ウィザード』上下巻は350円で落札した。おもしろい作品だったけれど、手放してしまっていたんだな。こんなことが多い。
@lzSbTWvooJWritQ 買い直しは極力避けたいと思っているのですが、気分屋さんなので、気分でひとに本を譲ることがあって、譲ったあと、すぐに買い直した経験もあります。自分の性格にはほとほと呆れます。
1作目は、F・ポール・ウィルスンの「聖金曜日」吸血鬼が修道院を襲う。主人公の修道女は友人を吸血鬼にされたが、彼女を木の杭で殺す。そして誓う。日が照れば、わたしが吸血鬼を狩っていくと。
二〇二二年十月二十三日 「夢」
携帯が壊れる夢を見た。
二〇二二年十月二十四日 「ナマズ娘のブルース」
2作目は、ナンシー・A・コリンズの「ナマズ娘のブルース」ミシシッピー川にはナマズ娘がいた。主人公の男はギターの音色でナマズ娘のこころを虜にしていた。ナマズ娘は豪華な沈没船からお金を取ってきて男に渡していた。さいごにナマズ娘の恋人のワニ男が、主人公の男に嫉妬して主人公を食い殺した。
二〇二二年十月二十五日 「Captain Fantastic And The Brown Dirt Cowboy」
ぼくとエルトン・ジョンの出合いは中学校のときのことだと思うんだけど、Captain Fantastic And The Brown Dirt Cowboy のアルバムを買ったときだったと思うんだけど、このアルバムがいまでも、エルトン・ジョンのアルバムのなかで、いちばん好きだ。
https://www.youtube.com/watch?v=OAqYeqd4C8o&t=609s…
Amazon の購買履歴を見ようとしたら、見れなくなっていたので、パソコンと携帯を使って、どうにか見れるようにしたのだけれど、それだけで1時間近くかかった。パソコンのことも携帯のこともよくわからないぼくだからだけれど、ぼくよりダメなひともいるのだなあと思うと、ちょっとかわいそうな気分。
二〇二二年十月二十六日 「小松正二郎さん」
ヤフオクで落札したジョン・ヴァーリイの『ティーターン』と『ウィザード』上下巻が到着した。『ティーターン』はヤケが強くてカヴァーに傷みがあった。『ウィザード』は並の状態かな。
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小松正二郎さんから、詩集『聲』を送っていただいた。詩の題材が豊富で、たくさんの知識をお持ちなのだなあと思った。
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二〇二二年十月二十七日 「花潜 幸さん」
花潜 幸さんから、『詩学入門』を送っていただいた。ぼくも興味のある詩人について書いてらっしゃてて、ぼくが知らないことや気がつかなかったことを書いてらっしゃてて参考になった。
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二〇二二年十月二十八日 「ザ・エンターテインメント」
3作目は、ラムジー・キャンベルの「ザ・エンターテインメント」主人公はホテルに宿を取った。他の客全員が主人公の余興が見たいと言う。仕方なく指人形で余興をする主人公。しかし、嫌になって逃げだした。警官に保護されてホテルに帰ってきた主人公。警官は帰り、さらなる余興をするように迫られる。
二〇二二年十月二十九日 「I・C・U」
4作目は、エドワード・リーの「I・C・U」殺人や幼児強姦などの違法ビデオを売買してる男が主人公。そういったビデオを販売している組織は二つあって、主人公は幼児強姦を扱っている方の者で、警察に捕まったが、警察により変態ビデオを扱っている方の組織に売られた。主人公は強姦され撮影される。
5作目は、P・D・カセックの「墓」小学校の主任司書が主人公。彼女が通う帰り道で、ふと墓が目についた。子どもの墓だった。彼女はその墓から頭蓋骨を拾い上げ、家に持ち帰って、人形の首に差し込んだ。よい母に恵まれなかった主人公は、頭蓋骨に言い聞かせた。わたしはよい母になるわよと。
6作目は、リック・ホータラの「ノックの音」千年紀の12月、ひとびとは街中で暴れに暴れ、警察も機能しなくなっていた。主人公の若者は、ひとり部屋に閉じこもっていた。そこへノックの音が。しだいに強まるノックの音。主人公の青年は気がおかしくなって、さいごは、自分からドアを叩きだしていた。
7作目は、ピーター・シュナイダーの「紛う方なき愚行」殺人の場面のあと、目が覚めたらふだんの生活だった。しかし、さいごの一行が曲者だ。「ふとコーヒーを見ると、茶褐色の乳首が、ゆっくりと表面に浮かんできた」(ピーター・シュナイダーの『紛う方なき愚行』金子 浩訳、199ページ最終行)
二〇二二年十月三十日 「アンジー」
8作目は、エド・ゴーマンの「アンジー」銀行強盗の愛人を持った女が主人公。愛人は妻を殺した。そのことを11歳の実の息子に知られた。そこで愛人は息子を殺そうとするが主人公が愛人を殺して助けた。その後、主人公は子供連れでモーテルに泊り、新しい男を見つける。子供は足手まといだから殺した。
きょうは休みだったので。ウルトラQの「1/8計画」、「虹の卵」、「2020年の挑戦」、「海底原人ラゴン」を見ながら、缶酎ハイ2杯とお菓子2袋を飲んで食べた。膝が痛いので、もう寝る用意をした。61歳、年寄りだ。
こんな夢を見た。川べりで老いた犬が捨てられていた。餌をやろうとして、川べりで獲った魚をやろうとしたら「これは臭いから食わん」と言う。牛乳配達のお兄さんがミルクをやったら、ようやくそれを飲んだ。漫画のような雰囲気でほかの登場人物も漫画に出てくるような感じのひとたちばっかりだった。
二〇二二年十月三十一日 「木は我が帽子」
9作目は、ジーン・ウルフの「木は我が帽子」太平洋の島に派遣された政府の職員が主人公。島に妻と息子を呼び寄せるが、鮫に襲われて妻は死に、自分も右腕を失ってしまう。主人公はもともと身体がよくなかった。ジーン・ウルフにしては、つまらない作品だった。
10作目は、エドワード・ブライアントの「愛につぶされて」二股をかけて女性と付き合っている男が主人公。眠っているあいだに骨が骨折していた。主人公は自由のきかない身体になっていた。女に呪いをかけられていたのだった。
11作目は、マイケル・マーシャル・スミスの「無理数の話」ぼくの好きな作家だが、これまたぼくの好きなジーン・ウルフといっしょで、このアンソロジーに収録されているものは、つまらない話だった。数に憑りつかれた男の物語なのだが、いっこうにつまらなかった。ウルフと同じくホラーでさえない。
さいごの12作目は、デイヴィッド・マレルの「リオ・グランデ・ゴシック」ホラーではなくサスペンスの長めの短篇、中篇だった。おもしろかった。教会まえに捨てられる靴。その靴に意味があると思った執念の警部が犯人と対峙する物語。この『999』シリーズは、中篇がおもしろいことがわかった。
きょうから寝るまえの読書は、このあいだ買い直した『世界SFパロディ傑作選』の再読だ。収録作品11作中、憶えてるのは、ノーマン・スピンラッドの「スーパーマン症候群」と、ロジャー・ゼラズニイの「吸血機伝説」の2作のみ。この偉大なる忘却力よ。さらっぴんの作品を読むようなもの。お得じゃ。
https://pic.twitter.com/6aEMJ5YM26
きょうは、夕方から、ジミーちゃんといっしょに日知庵に行く。帰りはセボンに寄ってく。ジミーちゃんとは、2週間か、3週間かぶりに会う。特別なにかがあってというわけじゃなく、ただ食べ飲みに出るといったところ。いま、本を読みながら、洋楽の80年代ポップスをチューブで聴いている。
1作目は、ノーマン・スピンラッドの「スーパーマン症候群(シンドローム)」精神科医のところに次々とクラーク・ケントがくる。そのひとりが自分がスーパーマンであることを思い出させてもらえる。精神科医のほうも、じつはスーパー精神科医だったというわけで、ふたりともニューヨークの空を翔ける。
あしたは高木精神科医院に行く。
2作目は、ポール・アンダースン&ゴードン・ディクスンの「ホーカミの群れ」テディ・ベア型宇宙人のホーカ・シリーズ。なんのパロディになってるのかさっぱりわからず、物語自体もおもしろくなかった。
3作目は、ウィリアム・ノールズの「好色な神へのささげ物」1930年代までのSFが美女を出してきても、それが単なるエロスのおまけみたいなものだったというエッセイ。ふうん、というふうに読んだ。