二〇二二年八月一日 「海東セラさん」
あしたは高木精神科医院に行く日だ。
ワールズ・ベスト1965『時のはざま』5作目は、ウィリアム・F・テンプルの「時のはざま」ゴッホのいる時代にタイムトリップして、失意のゴッホをはげます主人公。その経緯を日記にして出したら、その日記が大評判になる。
海東セラさんから、個人誌『ピエ』第24号を送っていただいた。セラさんの「ウサギのルール (気球と王冠)」の「生命は色のない季節を休眠するが、色をなくする行為は循環を断つ。」といった詩句が、ぼくには書けない。硬質の詩句だ。
https://pic.twitter.com/mhvMZPJdyg
二〇二二年八月二日 「草野理恵子さん」
6作目は、エドワード・ジェズビーの「海藻」鰓のある海棲人間に恋した人間の女性の物語。別れで終わる。
ホラーアンソロジー『999 聖金曜日』と『999 妖女たち』を Amazon のネット古書店で買った。両方で送料込みで、それぞれ、1106円と576円だった。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4488584020/ref=ppx_yo_dt_b_asin_image_o01_s00?ie=UTF8&psc=1…
https://www.amazon.co.jp/999-%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%B3-%E2%80%95%E5%A6%96%E5%A5%B3%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA/dp/4488584012/ref=sr_1_3?qid=1659408623&refinements=p_27%3A%E3%82%A2%E3%83%AB+%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA&s=books&sr=1-3&text=%E3%82%A2%E3%83%AB+%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA…
『999 聖金曜日』のほう、状態のいいものを買ったので、少々高くて、1106円だったが、『999 妖女たち』のほう、いちばん安いのを買ったので、576円だった。
『999 聖金曜日』には、ジーン・ウルフが、『999 妖女たち』には、トマス・M・ディッシュが書いているらしい。ふたりとも、コンプリートに文庫本と単行本を集めた作家なので、短篇ではどんなの書いてるのか楽しみ。
あっ、ジーン・ウルフもトマス・M・ディッシュも短篇集も持ってたから、ほかにどんな短篇を書いてるのか楽しみってこと。ただ、これまでの経験から、アンソロジーに入ってるふたりの短篇の出来はよくなかったから、どんな短篇を書いてるのか楽しみだけど、こわごわであることは確か。どうだろうか?
草野理恵子さんから、同人詩誌『Rurikarakusa』第20号を送っていただいた。草野さんの「リュウグウノツカイと」の最後の二行「行こっかって言うと/もう少しって答えた」がフランシス・ジャムの「哀歌 十四」の最後の二行「すると僕が答へた/──も一度言つてごらん……。」と。」を思い出させた。
https://pic.twitter.com/pv0BnOgOEG
あっ、ここで言うアンソロジーっていうのは、ジーン・ウルフ、トマス・M・ディッシュ自身のアンソロジーではなくて、海外SF短篇傑作選とか、ホラー短篇傑作選とか、そんなもののアンソロジーのことで、収録されていたジーン・ウルフやトマス・M・ディッシュの短篇がいまいちだったってことだからね。
二〇二二年八月三日 「夢」
夢を見た。地方を旅していたのだが、京都への帰り道がわからない。土地のひとに聞くと、なんだかブツブツと言って要領を得ない。そこで、まあ、いいや、独力で帰るぞって思ったところで目が覚めた。これは何を暗示しているのだろうか。
二度寝してた。そしてまた夢を見たのだけれど、立命館高校の先生になってて、教材研究をしてたのだけれど、教科書を失くす夢を見た。でも、教科は数学ではなくて、社会のようだった。鉱山で働かされる日本人の奴隷のことが出てきた。
日本の鉱山では奴隷はいなかったはずだけれど。
だけれど、盗まれる夢はよく見るけど、失くす夢ははじめてかも。どこが違うんだろう。
三度寝したときに見た夢では新宿にいて、喫茶店で少女にお説教されてた。「東京に来てまで、喫茶店で小説なんか読んでちゃだめでしょ。」って言われて。
先日、Amazon のネット古書店で買った『999 妖女たち』が、古書店側から注文キャンセルされてた。なので、他の Amazon の古書店でいま購入した。状態のよいものを求めたので、送料込みで、1312円だった。本体400円のものもあったのだけれど、それは買わなかった。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4488584012/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o00_s00?ie=UTF8&psc=1…
二〇二二年八月四日 「完璧な装備」
7作目は、C・C・マキャップの「完璧な装備」2回読んだけれど、なにが書いてあるのかさっぱりわからなかった。編者はいったいどういう頭をしているのだろうか。それとも、ぼくがバカなのだろうか。宇宙船とそれのエンジン部分を包み込む隕石のようなもののことが書かれてあるのだが、さっぱり。
けさ見た夢はびっくりした。絵のオークションに父親と行ってたら、落札したんだけれど、いつの間にか、父親が女装してたのだ。生前は男らしくて女性問題で継母を何度も困らせていたのだけれど。絵のオークションなんか行ったことないけれど。
二〇二二年八月五日 「吸血鬼株式会社」
8作目は、ヨゼフ・ネズヴァドバの「吸血鬼株式会社」主人公が譲り受けた車は、運転する者の血を吸って駆動していたのだった。猛スピードを出せる車。さいごに主人公は、ある夫人に車を譲る。夫人はその車で命を失ってもいい、レースに勝てるならと思っている。奇妙な話だ。ぼくなら命のほうが惜しい。
Amazon のネット古書店から、ホラー・アンソロジー『999 聖金曜日』が届いた。カヴァーも本文も、まっさらのようにきれい。高い方のものを注文してよかった。
https://pic.twitter.com/U7hDdbuXX8
二〇二二年八月六日 「最後の
孤独者」
9作目は、ジョン・ブラナーの「最後の
孤独者」読んだことあるなあと思ってたら、ジョディス・メリル編の『年間SF傑作選5』に入ってた。記憶をひとに残せる〈コンタクト〉によって人間が不死になる話。孤独な青年と〈コンタクト〉した主人公が青年が自殺して被害妄想になる。『年間SF傑作選5』でのタイトルは、「最後の孤独な人間」だった。
この齢で中学校にいる夢を見た。むかし祇園の家を改築するために1年ちょっといた醍醐中学にだ。川のせせらぎで遊んでいた。家に戻ると、弟がやってきて、きれいな蛇を部屋に残して出て行った。蛇は赤いきれいな羽毛に包まれたもので、入れ物から出てきて這いまわっていた。そこで目が覚めた。
facebook で、突然、ほかのひとの記事が読めなくなった。
二〇二二年八月七日 「スター・パーティ」
本来ならば、あしたやるべきことを、きょうの夜中にしたので、あしたは読書に時間を取れるだろう。きょうは、もう疲れたし、寝る。
facebook で、ほかのひとの記事も読めることができた。いろいろ試してみて、ほかのひとの記事が出るようにできることがわかったのだった。
10作目は、ロバート・ロリーの「スター・パーティ」主人公の妻はとびきりの美人だった。友人のパーティーではじめて会った男にじっと観察される妻。男は占星術に長けていた。妻は土星に支配される山羊座だった。妻は男を殺して事故にみせかけた。土星の連中がやがてここにやってきて支配するのだ。唐突に終わる叙述にけむに巻かれたようになった。よくわからない話だった。
これから高倉のドトールへ、読書をしに。そのあと、日知庵へ。ジミーちゃんと5時30分に約束している。
二〇二二年八月八日 「地下世界の天気」
11作目は、コリン・フリーの「地下世界の天気」完全自動化された地下世界で、主人公は女性型アンドロイドを殺す。主人公は、荒廃した地上に放たれる。地上には3人の男たちがいた。男たちは主人公を殴り殺す。食べるために。
12作目は、フィリップ・k・ディックの「おお、ブローベルになろう」主人公は人間だが、ブローベル人と戦争中にスパイとして、ゼリー状のブローベル人になる手術を受けていた。戦後になって、人間の姿をしている時間とブローベル人の姿となっている時があって、困っていたが、商売のために、完全にブローベル人の姿になる手術を受ける。自分が軽蔑していたゼリー状になる。それも商売のために。
Amazon のネット古書店で買った『999 妖女たち』が到着した。まっさらのようにきれいで満足している。
https://pic.twitter.com/lX5frXIzGW
13作目は、エドワード・マッキンの「思い出されぬもの」回春治療院なるものがある世界で、老人である主人公が世界について考えるもろもろのことを書いてある。よくわからない作品である。このアンソロジーはシリーズで4冊買ったのだがもったいないことをしたような気がする。編者とは気が合わない。
二〇二二年八月九日 「マスロー軍曹になにが起こったか」
14作目は、ハリイ・ムリッシュの「マスロー軍曹になにが起こったか」わかりやすい作品だった。ニューギニアのジャングルで、ひとりの軍人が、身体が石化する病気に罹った。ただそれだけの物語である。
15作目は、トーマス・M・ディッシュの「
永遠なる現在」万能な再生機がつくられて社会秩序は崩壊した。食べ物でもなんでも、人間までも再生機で再生できることになったのだ。若者たちは毎日のように繰り返し自殺している。主人公の銀行の元頭取も殺された日の晩に再生機にかけられた。
ぼくは、女子高生の彼女に、左手首をいちばん大きいカッターで切断してもう一度手首に戻してくっつけて見せた。彼女がどうしてって聞くから、ぼくは神さまに死なないようにしてもらってるんだ、と返事したところで目が覚めた。ぼくも男子高生だった。
戦争がまだつづいていることを再認識させられた。けさ学校に行くと、社会科の若い先生が招集されたという。代わりに、若い女性の先生が来てた。ぼくはもう齢だから、戦争に行かせられることはないだろうから安心だけれど、教師が招集され出したことに軽いショックを受けている。勝てるのだろうか。
シャリーン
ぼくはきみの笑顔が好きだ
そうして、きみが悲しそうにしている顔も好きだ
どうしたら、きみを幸せそうにさせられるか
それを考えられるからだ
二度寝して見た夢は、幼い弟とウサギを飼っているという夢だった。そんな事実はなかった。
二〇二二年八月十日 「競争者」
16作目は、ジャック・B・ロウスンの「競争者」人類はロボットと共生していた。宇宙人と邂逅する。宇宙人は自らつくったロボットに支配されていた。宇宙人に攻撃される人類。主人公は、人類がつくったロボットとともに敵側の惑星に赴く。作戦は失敗したが、救援を待つところで作品は終わった。主人公が人類側のロボットに、おまえも敵宇宙人のロボットのように、主人側の人間を支配したいのではないかと尋ねる場面がさいごにある。その答えは、「それでは申しましょう。あなたもおっしゃるようにわたしはあなたが嫌いだし、あなたがた人間のすべてが嫌いです」
さいごの17作目は、フリッツ・ライバーの「変化の風が吹くとき」火星で宇宙船を操縦している主人公が、火星に降りて、火星の昆虫生物がつくった地球の遺跡そっくりな建物のなかに入る。主人公は妻を地球の原爆爆発で失くしている。生きているのか、死んでいるのかと何度も自問する主人公。
きょうから寝るまえの読書は、ワールズ・ベスト1966『忘却の惑星』である。収録作品15作品のうち、読んだものは2作品か3作品である。おもしろくなるだろうか。シリーズ1作目は★ひとつにしてレビューした。
https://pic.twitter.com/2cjjhmLBgA
二〇二二年八月十一日 「平井 謙さん」
平井 謙さんから、豪華なボックス付きの詩集、句集、歌集、川柳集を送っていただいた。多才なひとだ。たとえば、句集に、「暗転の燕飛ぶマフィアかな」とかある。ぼくには思いつけない作品だ。詩集はヤリタミサコさんの解説付きだ。
https://pic.twitter.com/ka1LLEVyWs
1作目は、アーサー・C・クラークの「太陽からの風」太陽の光で進む宇宙船ヨットのレースの話。けっきょくは太陽面の異常でヨットレースは中止になったのだけれど、主人公の宇宙船ヨットは、主人公が離脱したので、無人のまま宇宙空間をどこまでも地球から遠くへ離れて行ってしまうというもの。
2作目は、ロン・グーラートの「時計じかけの医者」タイトル通り、アンドロイドの医者がでてくる。主人公は病院に知り合いの見舞いに行って、患者の胸から血が出てるのを見て気を失い、それ以来、病院から出してもらえずに人間の医者とアンドロイドの医者に診てもらいつづけるというもの。
3作目は、ラリイ・ニーヴンの「地獄で立往生」サイボーグ宇宙船で金星で立往生していた主人公は、故障がサイボーグの心理状態にあることを思いついて、ある意味で、サイボーグを騙すことで、うまく金星から脱出することができた。さいごに、地球に戻ったとき、ほんとうに故障していたことがわかった。
4作目は、ヴァーナー・ヴィンジの「居留区」世界戦争が起こり、生き残りはわずか。白人のアメリカ人は数少なく、南極に逃れていた。黒人やインディアンたちからなる新しい帝国ができた。探検隊が白人たちのその生き残りを見つけた。その生き残りを生かそうか殺そうかというところで話は終わる。
5作目は、クリフォード・D・シマックの「河を渡って木立をぬけて」田舎に住む老夫婦のところに、10歳くらいの男の子と8歳くらいの女の子がくる。お婆さんに会いに行くように父親に言われて。ところがそんな孫はいない。あとで二人の子供は100年後の世界から逃れて来た子孫だったことがわかる。
6作目は、ジェイムズ・H・シュミッツの「忘却の惑星」惑星のジャングルで目を覚ました主人公は記憶を失っていた。記憶を取り戻していくが、主人公は地球政府から使命を受けていた。それも果たして地球に戻るときにまた記憶が失われていく。その原因は惑星の生物が発する念波だったのである。
7作目は、ハーラン・エリスンの「「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった」であるが、これは既読だった。短篇集『世界の中心で愛を叫んだけもの』 でも読んでいたし、河出文庫の『20世紀SF』の第3巻・1960年代でも読んでいた。しかし内容は忘れてしまっている。読み直そう。
ハーレクィンことエヴァレット・C・マームはいつも遅れてくる男だった。世間の人間たちの時間さえ遅らせていた。時間厳守のチクタクマンはハーレクィンを捕まえる。ハーレクィンの彼女が密告したからである。彼女も秩序を愛していたのだった。ハーレクィンは公共放送でもう遅刻しないと言う。終わり。
8作目は、ジョセフ・グリーンの「決断者たち」植民しようとしている惑星に、知的生命体がいる場合は、植民しないことになっている。導師という立場からそれを決断する主人公。惑星には、あざらしに似た集合知生体がいた。惑星には鉱物資源が豊富だ。決断はいかに? この作品はすごくおもしろかった。
二〇二二年八月十二日 「夢」
大岡 信先生の夢を見た。先生の授業は複雑な経路を見せてそれが閉回路になっているかどうかと尋ねられる授業だった。回路にはカレーが流された。ぼくたち生徒はキャッキャと言っては騒ぎながら回路をいじっていたのだった。先生の解説は論理的で明晰で、ぼくたちはあこがれの目で先生を見ていたのだった。
@shindesuyo53 シルヴァーナ・マンガーノさん、まえの『DUNE』に出てましたね。惑星DUNEの教母役で。
二〇二二年八月十三日 「橋場仁奈さん」
橋場仁奈さんから、2冊の詩集『血はねむり血はけむり』と『あーる/、は駆ける』を送っていただいた。前者は、一行の詩句が長い改行詩と散文詩とからなるもので、後者は、実験的な作風のものが収められている。両者とも、けっしてわかりやすいものではなかったが、技巧的であることは言えると思う。
https://pic.twitter.com/YEMgL1CnSi
前期か後期かわからないけど、大学の定期テストを受けてる夢を見た。大学院に進学するために猛勉強をしていたのだった。夢のなかでは苦手の英語のテストを受けて苦戦していた。
二〇二二年八月十四日 「旅人の憩い」
きのうの夜中に、きょうしなければならないことをやってしまったので、きょうは読書三昧である。アンソロジー『忘却の惑星』あと半分なのだけれど、どこまで読めるかな。
https://pic.twitter.com/bzqM8Zy2Yp
@RT36115795 拙作、お読みくださり、ありがとうございました。『神鯨』は傑作ですが、『スターシップと俳句』は日本を舞台にした作品で、傑作ではなく怪作といったところでしょうか。カヴァーの絵はすばらしいですが、ふたつの作が白島さんのおこころに触れることを祈っております。
9作目は、デイヴィッド・I・マッスンの「旅人の憩い」この作品はいろいろなアンソロジーで読んでいた。ジュディス・メリル編の『年間SF傑作選6』、大森 望編の『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』、伊藤典夫編の『ボロゴーヴはミムジイ』。作品はよく考えてある時間もののSFだ。戦争中なのだが、戦線では時間がたつのが速い。戦線から離れると遅い。主人公は戦線から離れて、中心地でゆっくりとした時間に結婚し、子どもを設ける。会社でも重職に就く。ところがまた戦線に復帰するように命令される。復帰した戦線では、いったい敵はいるのだろうかという具合に混乱している。逆だった。戦線では時間がたつのが遅い。戦線から離れると速い。中心地で安穏とした時間は何年間にも及ぶものであったが、戦線ではそんなに時間がたってなかったのである。
10作目は、リン・カーターの「未収録作品」老批評家が主人公。主人公が若かりし頃、パリで出会った男の話。男は発明家で、無作為に文字を打ち込む機械を造って文学作品を産み出していた。さいしょは古代作品を、それから現代文学を。そして未来に書かれるであろう文学作品を、という話を聞かされる。
11作目は、ジャナサン・ブランドの「消失点」ある惑星に老人がいた。地球に行きたいとキャプテンに言う。キャプテンはいいですよと言う。しかし、老人の身体は宇宙船に乗ることができなかった。ふつうの身体ではなかったのである。老人の目は奥行きによる物の大小がわからなかったのである。
12作目は、R・A・ラファティの「うちの町内」町内に引っ越してきた連中が変わっている。タイプライターもないのに、タイプを打つ娘。禿頭に毛を生やす店。7フィートしかない店から20フィートのパイプを出してトラックに積み込む店。それらの店の住人は同じ一族の者であった。
二〇二二年八月十五日 「赤色偏移の仮面」
13作目は、フレッド・セイバーヘーゲンの「赤色偏移の仮面」同タイトルの短篇集でも読んでいたが、内容は忘れていた。有名なバーサーカー・シリーズの一篇。地球の宇宙船に化けたバーサーカーに騙されて、人質になった船員たち。冷凍されていた英雄がさいごに自分の命を犠牲にして彼らを助ける。
14作目は、クリストファー・アンヴィルの「とらわれの魔人」猫型宇宙人に囚われた地球人が、科学知識を利用して、猫型宇宙人の牢獄から脱出する。
二〇二二年八月十六日 「新しき良い時代」
さいごの15作目は、フリッツ・ライバーの「新しき良い時代」仕事の多くがロボットによってなされている時代、クソみたいな仕事か専門職しかない時代、みなはいくつもの仕事を掛け持ちしていた。主人公はスラムに住む青年。頑強なおふくろもあっという間に亡くなり、クソみたいな仕事に就く。
きょうから寝るまえの読書は、ワールズ・ベスト1967『追憶売ります』である。全12作中、既読のものは、ボブ・ショウの「去りにし日々の光」と、ラファティの「九百人のお祖母さん」と、エイヴラム・デヴィッドソンの「どんがらがん」と、ゼラズニイの「フロストとベータ」の4作品。
https://pic.twitter.com/ah8JXUmNMN
ショウの「去りにし日々の光」は傑作だった。イギリス人らしい肌理細やかな情景描写が印象的で、細部まで憶えている。ラファティ、デヴィッドソン、ゼラズニイのはタイトルのみ記憶していただけで、内容はまったく忘れてしまっている。これらも含めて読んでいこう。まえのアンソロジーは★5つだった。
二〇二二年八月十七日 「夢」
二度寝してると、4人ほどの霊が部屋にきてくれて、ひとりの霊はタイプだったからタイプだよと言った。どうして死んだのって尋ねたら、熱病で3日間も病院で震えていたよと言ってくれた。もうひとりからはぼくのことがタイプだって告白された、あとのふたりはただじっとしているだけだった。
二〇二二年八月十八日 「時間の糧」
ジョン・ウィンダムの短篇集『時間の糧』初版のほう、底値が103円だった。
https://www.amazon.co.jp/-/en/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0/dp/B000JA9NUE/ref=sr_1_10?qid=1660752518&refinements=p_27%3A%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0&s=books&sr=1-10…
ところが再販したジョン・ウィンダムの短篇集『時間の糧』は底値が1700円もする。中身はまったくいっしょなのに。古書の値段はわからない。
https://www.amazon.co.jp/-/en/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0/dp/4488610021/ref=sr_1_9?qid=1660752518&refinements=p_27%3A%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0&s=books&sr=1-9…
ジョン・ウィンダムの長篇『さなぎ』を、Amazon のネット古書店で買った。むかし持ってたような気もするので、買い直しかもしれない。いま、ぼくの本棚にはなかった。超能力ものだったと思う。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4150103259/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o00_s00?ie=UTF8&psc=1…
送料込みで363円だった。本体価格84円。古書がすべてこれくらいだとたすかるのだけれど。
学校でテストの答案用紙を返してる夢を見た。
そういえば、ぼくも大学の一回生のときに、入ったばかりのころに、なにかの勉強会だからといって、誘われて見に行った経験があるけれど、神の存在は証明できると言われて、それは嘘と思い、会を途中で帰ったことがあった。統一教会だったのかな。
1作目は、フィリップ・k・ディックの「追憶売ります」短篇集『マイノリティ・リポート』で読んだものだ。二度も映画化した『トータル・リコール』の原作である。映画は短篇より多くのエピソードをつけたもので、原作は記憶を失っている男が記憶を取り戻すだけの話だ。地球を救ったという事実の。これも既読だったわけだ。タイトルを忘れていたのだった。これで、収録作品12作中、5作品が既読のものだったわけだ。
2作目は、ボブ・ショウの「去りにし日々の光」サンリオ文庫の連作短編集『去りにし日々、今ひとたびの幻』、ハヤカワ文庫の『時間SF傑作選 ここがウィネトカなら、きみはジュディ』で読んだ。スロー・ガラスという光がゆっくりと進むガラスをアイデアとした物語。この短篇は何度読んでも傑作だ。
いま調べたら、ジョディス・メリル編の『年刊SF傑作選7』でも読んでいたことがわかった。そら、何度も読んでる記憶があるわけだ。
3作目は、ロジャー・ゼラズニイの「十二月の鍵」−50度で生きることのできる猫族に改良された人類が、自分たちが住むにふさわしい惑星にと改良している間に、その惑星の知的生命体と出合って、主人公の猫族のひとりが改良を思いとどまるように仲間に訴えるが、却下される。
4作目は、R・A・ラファティの「九百人のお祖母さん」同名タイトルの短篇集でも読んだことがあるが、内容は忘れている。さいしょのほうに、ぼくが詩論に引用した言葉が出てくる。「ときには、新しい名が新しい性格をひきだすこともある。」(R・A・ラファティ『九百人のお祖母さん』浅倉久志訳)つぎの言葉も詩論に引用したことがある。「あの音はなんだ?」(R・A・ラファティ『九百人のお祖母さん』浅倉久志訳)物語は、ある惑星の住民が不死だというので、情報員がその住民の家に行き、祖先の祖先のずっとそのさきの祖先に、はじまりはどうだったかと尋ねる。すると祖先はまったく答えない。
二〇二二年八月十九日 「夢」
ママンが夢に出てきた。魚料理をつくってくれて、それを食べたのだった。魚は巨大な白身魚だった。いつもおいしい料理をつくってくれてた。
二〇二二年八月二十日 「あざ笑う死体」
5作目は、A・A・ウォルドの「あざ笑う死体」未来のアメリカが舞台。ひとりの少年の全裸刺殺死体が発見される。警察官が主人公。犯人はだれか? 死体に痕跡が残っていた。死体は200年ほどむかしのものだったのだ。だれがそんな死体を街に持ち込んだのか。さいごの一行まで目が離せなかった。
二〇二二年八月二十一日 「日知庵」
あしたはジミーちゃんと日知庵で飲む約束をした。ほぼ1週間に1度の飲み会だ。ジミーちゃんとの付き合いも、もう20年くらいになる。途中、ジミーちゃんが精神病院に入院した5年8か月はノー・コンタクトだったけれど、長い付き合いだ。共通の友だちも昨年亡くなったりといろいろある年齢になった。
観光バスに乗ってて、鞄を盗まれる夢をみた。前のほうの席だったのだが、ふと気がつくと、一番後ろの席にいて、鞄がなくなってたというもの。
二〇二二年八月二十二日 「この人を見よ」
6作目は、マイケル・ムアコックの中篇「この人を見よ」である。長篇の『この人を見よ』をずいぶんむかしに読んだことがあって、筋書きは知っているのだけれど、読んでいると、気になる言葉が出てきた。「キリストの現実」と「キリストの概念」のどちらが早く出てきたのかというところ。筋書きはこうだ。20世紀の青年がタイムマシンで過去のナザレに行き、イエスを探すが、見つけたヨセフとマリアの息子のイエスは生まれながらの白痴だったのである。そこで、主人公の青年は自身が予言者となり、イエスとして磔になる道を選んだのであった。主人公はマゾヒスト的な傾向があった。
7作目は、エイヴラム・デヴィッドソンの「どんがらがん」大砲のどんがらがんを手に入れた主人公は、それで北の国を治めようとしたが、だれも従わなかった。それで大砲のどんがらがんに過剰の火薬を入れて使ったため、どんがらがんの砲台ごと爆発してしまった。主人公は諦めて北の国から去って行った。
8作目は、フレデリック・ポールの「デイ・ミリオン」キリスト生誕後百万日目の時代の男女の恋愛。コード的には彼女は男性だったが、人格色彩コードを互いに所有することで、出会いは一度だけで、死ぬまで(彼女は200歳近い)アナログ的な接触を保ちつづけることができる。ちんぷんかんぷんだった。
二〇二二年八月二十三日 「コウモリの翼」
9作目は、ポール・アッシュの「コウモリの翼」白亜紀にタイムマシンで行った医師が主人公。仲間のひとりがプテラノドンの赤ん坊を拾ってくる。それを育てていく。あるときにその迷い子は群れのなかに帰っていく。後日、作業をしているときに、迷い子だったプテラノドンが嵐がくることを教えてくれる。この短篇はこころに突き刺さった。佳作である。いや傑作だ。
10作目は、ダニー・プラクタの「何時からおいでで」タイムマシンに乗った男が突然、家に現われた。ものすごい轟音とともに。男は主人公に自分は時間旅行者だと告げる。未来の地球のエネルギーを使い果たして来たという。聞くと、18分未来から来たという。やった価値はなかったかもねえと言われる。
二〇二二年八月二十四日 「アーメンといったら、おしまい」
11作目は、ブライアン・オールディスの「アーメンといったら、おしまい」ひとりにつき一台の機械の神棚があり、神さまと直接話ができる。また、施設に行けば、不死人と話もできる。そんな未来社会で、戦争もなくなってひさしい。神をつくったのは不死人とコンピューターだという。労働は存在する。
さいごの12作目は、ロジャー・ゼラズニイの「フロストとベータ」人類が滅んでから千年以上たつ。機械は人間の遺体を17体、北極圏で発見し、細胞を復活させて、その頭脳に機械の脳を与えた。その機械の名前がフロストという。ベータは、フロストと同じように、人間の肉体を与えられる予定の機械。
きょうから寝るまえの読書は、ワールズ・ベスト1968『ホークスビル収容所』だ。収録されている16作品中、サミュエル・R・ディレーニイの「ドリフトグラス」、ロバート・シルヴァーバーグの「ホークスビル収容所」、ハーラン・エリスンの「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」が既読のものだ。
https://pic.twitter.com/rtAYfIbZMs
二〇二二年八月二十五日 「さなぎ」
Amazon のネット古書店で買った、ジョン・ウィンダムの『さなぎ』が到着した。カヴァーの表のうえにかすれがあるけれど、まずまずのきれいさ。本体価格84円だから、いいほうかな。
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二〇二二年八月二十六日 「見えない男」
1作目は、リチャード・ウィルソンの「見えない男」ある朝、目が覚めると男は自分が透明であることに気がついた。妻を脅かさないようにして説明した。子どもたちにも説明した。それからドタバタ劇が起こり、研究所の人間がきた。妻もまた透明人間になっていた。研究所の実験のせいだった。元に戻れた。研究所の実験のために、主人公がのんだ丸薬のせいで透明になっていたのだ。その実験について秘密にするということで、主人公は研究所の所長に100万ドルを要求した。所長は仕方ないとあきらめた。めでたしめでたしの物語だった。読んでて楽しい短篇だった。おもしろかった。
2作目は、サミュエル・R・ディレーニイの「ドリフトグラス」肉体改造されて水陸で生きられる身体に改造された主人公は、以前に海底ケーブルをかける仕事で事故に遭った。両棲人間である若者が主人公と同じ仕事につくことになった。結果はまたしても事故。若者は死んだ。抒情的な叙述でよかった。ちなみに、ドリフトグラスとは、コカ・コーラの壜などガラス材が割れて、それが海底で水流によって摩滅して角がとれて、月の光に照らしてみたりしたら、すごくきれいに見えるというしろもの。それは海辺でとれる。ガラスが材質のもの。主人公はそれを集めている。
3作目は、コリン・キャップの「ヴァーダムトへの使節」まったく異質の異星人とのコミュニケーションはどうしたらよいか。地球人側は、赤ん坊を使節にして送り出した。相手の異星人も異星人の赤ん坊らしきものを地球側に送り出した。変質する金属棒だ。
二〇二二年八月二十七日 「夢」
大学の定期テストで、文芸をとっていたのだが、まったく歯が立たなかった夢をみた。西洋文学の古典だったので答えられるはずが、よく親しんでいるシェイクスピアまで答えられなかった。これはさいきん、西洋文学の古典を読んでいないことの反省からきたところの夢だったのかもしれない。知らんけど。
一か月ほどまえに、Amazon のネット古書店で、送料込みで1312円で買った『999 妖女たち』がいま、12000円している。読書家をバカにしたような値付けだ。神経を疑う。売れるまい。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4488584012/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o01_s00?ie=UTF8&psc=1…
買ったのは20日まえだった。
テスト中に教授にヒントを教えてもらってズルするところがあった。これは何を暗示しているのだろうか。
雨のなか
きみと千年 カサのなか
目のなかになにかが入って目をぐりぐり動かすことあるけれど、そうしてるひとがいて、見てたらぐりぐり動かす目じりから黒い虫がいっぱい出てきた。
@Maverlyn99 浅い眠りのときの夢で見た光景でした。
二〇二二年八月二十八日 「いなかった男」
4作目は、R・A・ラファティの「いなかった男」未来人だと称する男が町のひとりの男を消した。みんなの見ているまえで輪郭が薄れていき消えたのである。町のひとたちは、怒って未来人を吊るした。未来人がいた痕跡を町じゅうから失くした。
5作目は、アイザック・アシモフの「反重力ビリヤード」反重力の公開実験をした男が死んだ。原因は反重力の場にビリヤードの玉を突き入れたために、それが男の胸を貫いてしまったからである。ビリヤードの玉を突き入れたのは男の古くからの知り合いだった。事故? 偶然? 殺人? それはわからない。
6作目は、ロバート・シルヴァーバーグの「ホークスビル収容所」これは、サンリオSF文庫の『ベストSF1』に収められて読んだもので、傑作だった。政府が、反政府活動をしていた140人あまりの人間を、後期カンブリア紀の三葉虫のいる時代に送って、収容所に入れていたという設定のもの。
7作目は、トーマス・M・ディッシュの「われらの数字」階段の数を数えることからはじまって、数字について思いをめぐらす主人公。中性子爆弾で人々は死んだ。生き残った彼は数字について思いをめぐらしながら生きていた。そこへ女から電話がある。つぎには部屋の外にまでくる。男は飛び降りて死んだ。
8作目は、ロジャー・ゼラズニイの「ファイオリを愛した男」永遠の命をもった男がファイオリという種族の女と出合って愛し合う。しかしファイオリは相手の死ぬ1か月前にしか現われない。男はしかし永遠の命をもっていた。男はファイオリと別れる。男は墓守としての仕事をつづける。
きょうもジミーちゃんと日知庵に飲みに行く。ふたりのあいだの話題といえば、病気のこととか、健康に関することが多いのだが、共通の友人のこととかも話す。
あしたは市立病院だ。糖尿病。
二〇二二年八月二十九日 「人口爆縮」
9作目は、アンドリュウ・J・オファットの「人口爆縮」全世界の人間がある齢になると死亡した。はじめは80歳代だったが、78歳になると死亡した。それから年代が下がっていって、主人公は45歳なのだが、主人公が45歳のときの人間は57歳で死ぬことになっている。世界から老人がいなくなった。
二〇二二年八月三十日 「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」
10作目は、ハーラン・エリスンの「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」万能コンピューターが開発されて、人類はそれに滅ぼされた、5人の人間を残して。5人はコンピューターに憎まれて、永遠の命を与えられながら苦しめられていた。主人公の男は、コンピューターに復讐するために4人を殺した。
@lzSbTWvooJWritQ ぼくも読んでて、分からない部分が多かったです。物語を縮めると、こういうふうになりました。
この短篇は、短篇集『死の鳥』の中にも入っているもので、その短篇集を読んだときにも、わかりにくい作品だなと思った。
作品の内容は、わかるのだが、なぜこういうふうな作品設定のものが評価が高いのか、わからないのだった。ハーラン・エリスンのものはすべて買い求めて、いまも本棚にあるけれど、評判ほどすぐれているものとは思われない。なぜにあれほど評価が高いのか、ぼくには理解できない。
たしかに、どの短篇も発想は奇抜で、独特のものではあるが。
二〇二二年八月三十一日 「雑感」
涼しくなってきた。クーラーをかけないでも、窓を開けて網戸をしてれば、だいじょうぶ。これからますます涼しくなっていくだろう。寒くなるまで1か月ほどか。
きょうは蒸し暑い。クーラーを入れた。