自殺をがんばる人たち
モマリサ公

こないだの誕生日
仕事帰りに
父と遅い夕ご飯を「ファミリーレストラン」で一緒に食べた
「もう駄目だと思ったら自殺するよ元気なうちに」
とかいうので
「遺族が面倒なので自然死にしてほしい」
といっておいた
「元気がある」うちは自殺するかもしれないので
本当に遺族に迷惑のかからない自殺があるなら
はやめに自分で調べて教えてあげようとおもった
元気がなくなってきたら
こまめに連絡をとりあうとか
自分が後悔しない方法は考えた
生きている人間にたいしてすべての時間は平等なので
その時間の内容や密度
が重要である
その人がたとえ自殺しようとも
いきいきと充実した自殺への輝かしい時間をすごすことが
自殺に向かう事に向けられていたのだとすれば
なにも踏みとどませる権利は誰にもない
たしかにばかばかしくて
くだらない
ショー
これはビジネスじゃない
罪の無い生きたがっている人々が
無駄に殺されたり
それが運命だったり
動画配信されていく自殺が意味のあるものになるのは
歴史が決めることで
個人ではなく
後世の権力者によるものだ
自殺を動画配信するのは並ならぬがんばりが必要だ
自殺の仲間をネットで募集することだって
友達のいない孤独から振り絞られる勇気だ
それ以前に
そいつらのまぬけさや人格を問う必要もあるかもしれない
でも
通り魔にならないことや
スーサイドアタックテロリストにならないことや
産み落としたばかりの子供をトイレに流さないこと
より
健全に生に向かったらコタエが死だっただけじゃん
それ以前に
なんでそんな孤独たちが
ここにもそこにも
各国に存在する事が
こういうゆがみを生み出す理由で
それを問題定義できない我々にも
不手際がある
不完全さが売りの人類として
目標を達成する事は不可欠な生きている証拠で
現実という可能性がへんなかたちで達成されてしまったのが
このたびの自殺の動画配信であって
なんらかの迷惑をこうむるかもしれねーひとたちは
身のまわりの人にもっと関心をもてばいいじゃん
死んでほしくない人がひとりでも今世の中に存在する
とか確実に判断したら
徹底しなければならない
ツイッターの壁紙選びや
サンシャイン牧場は
そんなに大事な事なのか


自由詩 自殺をがんばる人たち Copyright モマリサ公 2022-11-21 20:23:25
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