さまよう地下茎
ただのみきや
銀杏さざめくつめたい朝
靴を片方なくした人影を見た
暗幕の蝶も枯葉に埋もれ
くちびるにもうふれることはなく
寝息のように自転車は
静かに時計を回している
釦にまつわるけむりの獣
美しく引き攣っては風に溺れ
交わることのないふたつの弧線
影と音 いつかまたすれ違うだけの
空白の懐に顔を埋め
誰の匂いをたずねて濁るか
問う前に問われ
答える前に答えを上塗りされて
塞がれたまま兆しを見つめる
ひとつの水として眩んで今
*
風に追われる落葉のよう
軽々しく列挙され
なみだも笑いも
ひとしく煩悩の花
こぼせばこぼすほど
クシャクシャにかわいて
見渡しても安らぎはなく
痛みは真珠のよう
胸のどこかに隠れていて
つかまえられない泡の声
金魚のひと呼吸
銀杏がいっせいに風に舞った
散り際の妙に眼差しを手向け
ああすべてをしぼり出し
乾き切った笑顔
わたしのことばを花器として
*
遊び心は産道を閃き駆ける翼
分身を創り出して展開させる
報酬
への字に曲がった銃身から苦い煙を吐いている
きみの代わりに
ぼくが殺し屋になろう
音もなく水面下をひた走り
見い出した者にだけ死が訪れる
目のない魚 銀の弾丸
―――転送される痛点
だがきみもやっぱりそう
口裏あわせたジャンケンみたいに
汚れた雑巾を絞ってばかりいる一団に混ざって
互いの顔を拭きあったり
見定めたこともない石膏像をせっせと磨いたり
ぼくのお節介はぼくの勝手だから構わない
いくらか流動的ではあっても
世界は役割もその割合もほぼ決まっているのだから
けれどぼくはきみみたいな人の涙に弱いんだ
それで自分の心をいくらかでも湿らせたい
砂漠にバラは咲かないとしても幻くらい
自前
夢は売り買い出来ない
自分の血で灯すランプ
誰かにもらったって?
それこそ夢
誘い出されて重ねてしまう
いま見ているのは自前の幻燈
ターコイズブルー
彼女は足のある幽霊
ターコイズブルーのペニュキュア
彼女をすり抜ける時
ぼくはおもいっきり息を吸い込んだ
あの潮騒の輝きを模したオルゴールの
こわれた
発条のよう
痛みの分だけしびれさせてくれる
彼女と重なっていると
砂浜で白波に洗われる
まだ抜けきれない土左衛門のよう
つめたい光の闇に沈んでゆく
彼女は文字のようペニュキュア以外色もなく
夏に死んだ娘たちの総体そして代表として
永遠に哀と涼を匂わせる美しい記号
むかし実家では
鳥籠でおしゃべりな被害妄想を飼っていた
働き者の父は冬枯れの庭のよう
舌の上には灰色の冷たい空虚だけがあった
母はいつも結び目に病んでいた
指先が不器用でなにひとつ解くことができず
部屋の壁一面に様々なハサミを掛けていた
弟の遺骨は墓には収められず四角い箱のまま
わたしの部屋で青い野球帽をかぶっていた
わたしはいつも外出時にはリードを付けていた
学校へ行く時も電車に乗る時も
どこまで行っても決して切れない赤黒い臍の緒
妹は枝豆みたいに体から魂が飛び出すのを恐れて
ほとんどしゃべらなかった
しゃべる時は必ず両手で鼻ごと口を覆っていた
姉は全ての文字を逆さに読む癖があった
下から上 右から左 文末から文頭
ただ遡りたかったのだろう
終わりから始まり 行き止まりから入口以前へ
祖母は土偶として縁の下に埋められて
蔦のように家を覆い尽くしていた
夜には土に還そうとする意思が建物を軋ませた
ある日父のギターの弦を母がハサミで切った
するとすぐに母の頭がギターを突き破った
母は裸になってクリオネになると
幼子の掌が模すお花のように父を包みこんだ
妹の口からひよこ豆みたいな魂がとびだした
わたしはそれを拾って妹の目の前で食べた
妹は目を丸くしたまま人形になった
水槽には金魚の姿はなく水と笑い声があるばかり
《2022年11月12日》