二〇二二年五月一日 「スノウ・クラッシュ」
持ってたけど、学校の図書館に寄贈したSF小説2冊をヤフオクで入札した。いまのところ、ぼくが最高金額入札者。
ぼくを超える入札があったので、下りることにした。むかし読んだ本だったしね。カヴァーはめちゃかわいいんだけど。
『スノウ・クラッシュ』の上下巻。
ひさしぶりに、『詩の日めくり』をつくった。きょうの夜中に、現代詩フォーラムに投稿するためにつくったのだった。日付は2020年の4月だった。これから、毎週、『詩の日めくり』をつくっていくことになると思うのだけれど、きょうつくったのは、めっちゃバランスの悪いものだった。だが出来はいい。
二〇二二年五月二日 「山田裕彦さん」
ことしの3分の1が終わって、きょうはもう5月の2日だ。読書もあまり進まず、毎日、だら~として過ごしてる。仕事をしているときは緊張しっぱなしだけれど。一日のうちの半分の時間、布団のうえで寝ている。ほかのひとは、どう過ごしてるのかな。謎だ。
これからジミーちゃんと、部屋飲み。きょうは、どんな話が聞けるのか楽しみ。
地震だ。
山田裕彦さんから、詩集『囁きの小人』を送っていただいた。ぼくには発想することのできない言葉の運動体を眺めているような気にさせられる詩句が綴られている。ぼくより6、7年ほどお齢を召されているが、思考力は、ぼくより柔軟な方だと思った。
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二〇二二年五月三日 「沼の怪」
きょうから寝るまえの読書は、海外ホラー傑作選『千の脚を持つ男』だ。いろんな怪物が出てくるらしい。既読のものは1作もなさそうである。楽しみ。
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1作目は、ジョゼフ・ペイン・ブレナンの「沼の怪」海から出てきた不定形の黒い怪物が人間を襲ったという話。さいごは、警備隊のひとりが持っていた火炎放射器でやっつけられる。
二〇二二年五月四日 「妖虫」
2作目は、デイヴィッド・H・ケラーの「妖虫」主人公の粉屋の家を丸ごと地下室から一階、二階、三階と食べる怪獣。さいごに主人公をも食べてしまう。そこで終わりの話。
二〇二二年五月五日 「アウター
砂州に打ちあげられたもの」
いまからジミーちゃんと昼飲み。きょうは夕方に解散。
3作目は、P・スカイラー・ミラーの「アウター
砂州に打ちあげられたもの」18メートルもある男の死体が打ちあげられた。それを見に行った者たちは、生きている巨大な女に襲われた。という話。バラードの「溺れる巨人」よりまえに書かれたもの。
4作目は、シオドア・スタージョンの「それ」人骨に腐葉土をつけた怪物の話。111ページの終わりから4行目に、「彼は二十八歳だが」という言葉があった。以前に書いたことだが、海外文学では、たびたび見かける年齢である。二十八歳、ぼくがユリイカに投稿していた時期かな。二十七歳かもしれない。
二〇二二年五月六日 「千の脚を持つ男」
5作目は、フランク・ベルナップ・ロングの「千の脚を持つ男」海に棲む怪物が人間の姿をしていたりする奇妙な物語。さまざまな人物の証言によって、このなかには怪物が人間であるときのものも含まれる、物語れる。怪物の描写はよかったが、物語を難しくさせる記述もあって、評価は低いものとなる。
二〇二二年五月七日 「アパートの住人」
6作目は、アヴラム・デイヴィッドスンの「アパートの住人」主人公は、障害年金で暮らす男だが、ほかに仕事として、アパートの代理人兼集金人として働いている。アパートの建て直しで、住人を出ていかせるのだが、どうしても移ろうとしない老婆がひとりいる。怪物は出てくるが小さいもので怖くはない。
二〇二二年五月八日 「人間を超えるもの」
あしたは、高木神経科医院に行く日。
シオドア・スタージョンの「それ」なんか読んだことがあるなあと思って、過去の日記を見ると、2年まえの6月に、『幻想と怪奇 宇宙怪獣現わる』で、スタージョンの「それ」を読んだと書いていて、そういえば、この『千の脚を持つ男』の解説に、既訳が2種類あって、新訳を起こしたと書いてあった。
現代詩フォーラムのよい点は、縦書きで書き込めることと、何回でも書き直せること。ルビが簡単に書き込めること。いまも書き直しに行ってきた。長いものを書いていると、書き直したくなるところが出てくるのである。明らかなタイプミスもすることがある。書き直しができることは、ほんとうに好ましい。
ジミーちゃんと部屋飲みしてる。話は、妖術について、音楽について、仕事についてと、いろいろだ。おだやかに話ができるひとと飲むのは気持ちがよい。
講談社から出てた、海外SF傑作選『人間を超えるもの 』が、Amazon では出てこない。出版されているのに、『人間を超えるもの』自体のページがないのである。出版されてなかったもの扱いである。小さな漏れだが、SFマニアのぼくとしては見過ごせないミスだ。いまからでもいい。扱ってほしい。切に切に望む。
ぼくは、先月か先々月に、『人間を超えるもの』はヤフオクで落札して持っているんだけれども、読書後の感想文を書こうと思っているから、その書き込み先のレビューの欄が必要なわけである。
二〇二二年五月九日 「船から落ちた男」
@KiichiIshikawa お読みくださり、ありがとうございました。『夜のみだらな鳥』タイトルはぐっとくるものがありましたが、叙述が退屈で、エピソードの作り方もいまいちでした。それとも、ここ数年、純文学は海外詩人の詩集くらいしか読んでいないので、純文学の読みが浅いのかもしれません。
7作目は、ジョン・コリアの「船から落ちた男」巨大な海蛇を探して、世界中の海をへめぐる男がいて、その巨大な海蛇を垣間見るのだが、そのとき、知り合いの男が船から落ちて行方不明になった。巨大な海蛇を探していた男はもう巨大な海蛇には興味を失い、つぎには宇宙生物を宇宙を探索することにした。
8作目は、R・チェットウィンドーヘイズの「
獲物を求めて」若い夫婦がいて、妻には幽霊が見えるのだが、ある日、暗闇から影が忍び込み、彼女の生命力を奪ってしまう。というお話だが、叙述が平凡で、影も不気味さがたいしたことのないものであった。もっと怖いものにできたであろうに。
二〇二二年五月十日 「お人
好し」
9作目は、ジョン・ウィンダムの「お人
好し」蜘蛛蒐集家の旦那を持った妻の話。ある日、旦那の捕まえた蜘蛛が話しかけてきたのだ。その蜘蛛はギリシア神話に出てくるアラクネだった。一日だけ立場を交換することにした。約束は守られた。アラクネは蜘蛛の習性で、妻の旦那を食べていた。
さいごの10作目は、キース・ロバーツの「スカーレット・レイディ」主人公の男の弟が、悪魔のような車に憑りつかれた話だ。ハッピー・エンドで終わるので、嫌な気持ちを引きずらないで読み終えることができた。さすが傑作連作集『パヴァーヌ』の作者のことだけはある。読ませる作品だった。
きょうから寝るまえの読書は、講談社文庫の海外SF傑作選の1冊、『時と次元の彼方から』だ。目次を見ると、全11作中、既読のものが2作あった。ハインラインの「歪んだ家」と、ウィリアム・テンの「クリスマス・プレゼント」だ。未読のものと合わせて読むことにする。
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二〇二二年五月十一日 「時間がいっぱい」
1作目は、アーサー・C・クラークの「時間がいっぱい」主人公の男は女性依頼人に時間を止める腕輪を渡されて、国宝級の芸術品を盗むように頼まれる。主人公の男はそれを実行したが、芸術品を女に渡したあとにも、腕輪を返そうとしなかった。女は未来からきたのであった。女は主人公の男を許す。腕輪を外すと、男のいる世界が破滅するというか、破滅することになっていたからである。男は時間を止める腕輪をしているかぎり、安全だった。孤独に耐えながら、腕輪をはめたまま男は立ち尽くす。
二〇二二年五月十二日 「歪んだ家」
2作目は、ロバート・A・ハインラインの「歪んだ家」『世界SF全集』第32巻・現代篇でも読んだもの。四次元的に造られた家にて起こることどもを記したもの。地震が起こって、建てた通りにいかなくなった家。さいごにまた地震が起こって主人公らはもとの場所とまったくかけ離れた場所に放り出される。
二〇二二年五月十三日 「夢」
部屋に子どもたちばかり9人の野球部員たちの泥棒たちに入りにこられた夢を見て目が覚めた。ギャグみたいな雰囲気だったので、妙な夢。
二〇二二年五月十四日 「タイム・パトロール」
3作目は、ポール・アンダースンの「タイム・パトロール」歴史改変しようとするものたちを取り締まるタイム・パトロールの物語だが、主人公は友人とともに歴史の一部を変えてしまう。うまくやってしまう話。冒頭の面接場面、読んだ記憶があったのだが、ネットで調べて、その可能性がないことがわかった。
二〇二二年五月十五日 「夢」
夢を見た。いなかの親戚の子との結婚話だった。ことわるのに難渋した。さいごにカミングアウトしたがいい気分じゃなかった。
二〇二二年五月十六日 「虎の尾をつかんだら」
4作目は、アラン・E・ナースの「虎の尾をつかんだら」異次元世界に通じているハンドバックが次々とアルミニュームを含んだものを吞み込んでいく。実験室で実験をつづけるのだが、途中でやめることができない。という。そこのところが、よくわからない作品だった。
二〇二二年五月十七日 「追放者」
5作目は、エドモンド・ハミルトンの「追放者」作家が想像した宇宙に、この地球に住んでいるという話。読んだことがあるなあと思ってググったら、奇想コレクションの1冊、エドモンド・ハミルトンの『フェッセンデンの宇宙』に収録されていた。この作品は既読だったわけだ。傑作選ではよくあることだ。銀背の『フェッセンデンの宇宙』にも収録されていたというから、ぼくが持ってる銀背でも読んでいたというわけだ。ワン・アイデア・ストーリーだから、記憶に残っていたわけだけれど、作家や詩人は、こういった作品をつくることの幸運に恵まれれば幸運といったところだろうか。記憶に残る作品。
二〇二二年五月十八日 「もし万一……」
6作目は、アイザック・アシモフの「もし万一……」若い夫婦が電車に乗っていた。向かい側に男が坐った。男は夫婦に、その夫婦の過去を見せるガラスの板を持っていた。夫婦は、もし万一あのとき、あおういうふうにしてなかったらと考える。何度かガラスの板を見た夫婦だが、考えても仕方ないと思う。
7作目は、マレイ・レンスターの「もうひとつの今」交通事故で妻を失った男が、愛する妻と死後も手紙のやりとりをしている。妻の世界では夫は死んでいたのだが、妻は夫にラブレターを書きつづける。ふたりの存在する時空間が異なるためだが、その時空間の壁が薄くなる。とうとう二人は出会う。
8作目は、ウィリアム・テンの「クリスマス・プレゼント」二一六一年の未来から誤って現代に送ってこられたものがあった。人間製造機だった。それはスレガンダー人用のものだった。主人公は自分の複製をつくった。過ちを正すために未来からやってきた生命調節管理官は、偽物ではなく本物のほうを処理した。この作品は既読で、『世界SF全集32巻 世界のSF・現代編』で読んでいた。もう一度読んでみて、細部のつくりが緻密な作品であることを再認識した。ウィリアム・テンの短篇集は2冊とも読み返したが、おもしろいものではなかった。この作品は、二つの短篇集には入っていないものだった。
9作目は、ウィルスン・タッカーの「観光案内」娘が幽霊が現われると夫婦に告げる。夫婦は疑うが、夫婦のまえにも現われる。それはタイムマシーンで20世紀を訪れた者たちであった。夫は退散させようとするが失敗する。そこで、幽霊見物だと称して、人々からお金をもらうことを思いつく。一件落着。
10作目は、J・T・マッキントッシュの「プレイ・バック」女が18歳のときに出会った男がいる。女が28歳のときに交通事故で死ぬことがわかっている。男は、その期間の10年間を大切にしたいがために、10年ごとに世界の時間を、女が18歳のときに戻す。男はバーを経営していた。客の話に、時間旅行は可能かどうかという話に混じって、ひとりの人間が自分の思った時間だけ循環させるという話も出て、主人公の話だと示唆される。
さいごの11作目は、バートラム・チャンドラーの「漂流者」島が見えた。漂流者が狼煙をあげている。船が島に近づいた。船が機雷に触れて難破した。生存者はひとりだけ。島に泳ぎ着いた。さきに狼煙をあげていた者の姿はなかった。島を探検すると、恒星間宇宙船の残骸があった。調べると5人の死体が見つかった。男は狼煙をあげた。すると、島に近づいてくる船があった。しかし、その船は自分が乗っていた船だったことに気づく。男は機雷に触れた船の唯一の生き残りだった。ふたたび、男は島に泳ぎつく、という循環ものの物語だった。恒星間宇宙船が出てきて、SFっぽかった。
きょうから寝るまえの読書は、講談社文庫の海外SF傑作選の1冊、『破滅の日』収録作全7作のうち、既読のものが2作。ウォード・ムーアの「ロト」と、ロバート・シェクリイの「ひる」だ。未読のものと合わせて読もう。
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二〇二二年五月十九日 「北川朱実さん」
きょう、三条京阪駅近くの「洋服の病院」というところに行ってきた。スラックスのミシンでかがったところに足の指を引っかけてしまって、ミシンの縫い目がほどけたからである。880円だった。直すのにちょっとの手間だと思うのだが、価格設定はまともなはずだし、文句も言わず、880円を支払った。「ギチギチに縫っといてください。」と店員のお兄さんに言うと、「ここはギチギチに縫ったらあかんのですわ。」とのお返事。そうか。そんなもんなんやな。
北川朱実さんから、個人詩誌『CROSS ROAD』19号を送っていただいた。北川さんの詩はわかりやすい言葉で難しいことを言っているように感じた。これは、大岡 信さんとお会いしたときに、ぼくが大岡さんに言われた言葉だ。戦争文学における作家の在り方についてエッセーを書かれておられる。共感した。
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二〇二二年五月二十日 「郡 宏暢さん」
郡 宏暢さんから、同人詩誌『unedited』の4号を送っていただいた。郡さんの詩「砂」の終わり3行を引用しておく。「打ち上げられた都市が離礁するまで/遠く/海を聴いている」ぼくたちの詩の抒情性をもつ詩行に深く頷く。郡さんのエッセー「「野蛮」について」で久しぶりにアドルノの言葉に触れる。
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@unedited_1974 すてきな詩誌をお送りくださり、ありがとうございました。
二〇二二年五月二十一日 「詩作は自己満足そのものだ。」
昼の12時ころから、きょうの夜中に、現代詩フォーラムに投稿する「詩の日めくり」をつくってた。いま出来上がった。詩をつくることは、むかしからそうだったけれど、ぜんぜん苦痛じゃなかった。推敲が、そして、詩集制作のさいの校正が苦痛だった。まあ、推敲が必要なのは長篇だけだったけれど。
ぼくにとって、詩作は自己満足そのものだ。自己満足できないものを書いた記憶はない。ぼくという厳しい判断者から見て、十分に配慮された作品をのみつくってきたつもりだ。謙遜などは芸術家はするべきではない。つねに自己満足する作品をのみ提出するべきである。それだけが芸術家の義務である。
二〇二二年五月二十二日 「日知庵」
日曜日は、いつも日知庵に飲みに行ってる。料理がおいしいからだし、お酒もおいしいからだ。お昼は詩作に、夕方からは日知庵に、そして夜は読書に。こんな人生を、子どものころのぼくは想像もしなかったけれど、青年時代、ヴェルレーヌのような詩作と酒に溺れた自堕落な生活にあこがれは持っていた。
ひさしぶりに、George Harrison の『Living In The Material World』を聴いた。1973年の作品だから、もう50年もまえにつくられたものだ。でも、録音状態もよいし、すばらしい出来だ。ぼくはいい時代に生まれたのだなあ。すばらしい詩に、小説に、絵に、音楽に、映画に囲まれた生活を送っている。
いま日知庵から帰った。ヨッパで、日知庵から出てすぐ隣の店の看板に頭をぶつけて転がった。えいちゃんが出てきてくれて助け起こしてくれた。61歳。ぶざまな姿をさらして生きてるっちゅう感じやろか。恥ずかしい。
二〇二二年五月二十三日 「太陽系最後の日」
@ekaba62 無事、帰りました。ありがとね。
@efAUC9IUs2waGx1 無事、帰りました。ありがとうございます。
あしたは、このあいだ、スラックスにミシン掛けを頼んでおいた、「洋服の病院」に行く予定。ついでに、久しぶりに、長浜ラーメンみよしに行くつもり。
また歯のブリッジが外れた。入れ歯にしなきゃならない。61歳。老人だ。あしたは歯科医院にも行かなきゃならない。入れ歯、20000円すると歯医者が言っていた。もったいないけど、仕方ない。
講談社文庫の海外SF傑作選の1冊、『破滅の日』1作目は、アーサー・C・クラークの「太陽系最後の日」太陽が膨張して地球を呑み込もうとしているなか、宇宙人たちは地球人の生き残りを救助しようとする。しかし、地球人たちはすでに宇宙船団を設けて宇宙に出て旅をしていた。宇宙人たちの連盟が地球人たちを迎え入れる準備をするところで終わる。
2作目は、ウォード・ムーアの「ロト」である。以前に、2冊の傑作短篇集で読んでいた。創元SF文庫の『地球の静止する日』と角川文庫の『きょうも上天気』だ。父親は愚かな妻と息子を見捨てて、娘とだけ災厄から逃れようとするところで終わる。皮肉のきいた、よくできた物語だ。傑作だと思う。
二〇二二年五月二十四日 「読んだ尻から忘れていくので」
@lzSbTWvooJWritQ 読んだ尻から忘れていくので、再読でも新鮮な感じがします。映画館に行かなくなったので、映画についてはわかりません。でも、『溺れる魚』や『ウルトラQ』なんかは、DVDで何度も観てます。
二〇二二年五月二十五日 「大当りの年」
3作目は、ロバート・A・ハインラインの「大当りの年」統計学者の主人公は、統計的に循環して物事が起こることを予測していた。1962年には、その循環することがピークになると予測した。じっさいいろんなことが起こり、原爆戦争まで起こった。挙句の果ては、太陽にまで異変が起こったのであった。「「これ、ウィニイよ。」ミードはいった。/「ウィニイ・ザ・プーかい?」」(ロバート・A・ハインライン『大当りの年』福島正実訳、137ページ、14、15行目)という言葉があった。全行引用詩に使えるかもしれないので採取しておく。
銀行に行ってお金をおろしたにもかかわらず、そのままお金を受け取らずに部屋に戻ってきた夢を見た。ぼうっとしてるからかな。
あしたは、入れ歯の型をとる日だ。なぜだか怖い。
二〇二二年五月二十六日 「終りの日」
4作目は、リチャード・マティスンの「終りの日」地球最後の日、母親とすごす男の物語。母親とは宗教観が異なっていたが、最後の日、母親は宗教の話をしないで、しずかに息子とポーチで坐っていた。空は真っ赤になって、気温は熱帯なみになっていた。主人公の男は母親としずかに過ごしていた。
5作目は、アルフレッド・コッペルの「夏は終りぬ」太陽の異常で気温が信じられないほど上昇していく世界。主人公は二人の娘を避難壕に入れる。自分は元妻の所へ行く。なぜなら、避難壕に入れるのはそれ用のメダルを持った者だけで、主人公は2枚しか持っていなかったからである。終始、冷静な主人公。
二〇二二年五月二十七日 「ひる」
6作目は、ロバート・シェクリイの「ひる」ウルトラQのバルンガを思わせる、あらゆる物質とエネルギーを吸収して大きくなっていくバケモノの話。河出文庫のSFアンソロジー『20世紀SF2 1950年代 初めの終わり』と、角川文庫のSF傑作短篇集『きょうも上天気』にも入っていた。早川書房の異色作家短篇集の1冊、『無限がいっぱい』にも収録されていたので、これで、ぼくは4回以上、読んだことになる。『無限がいっぱい』を再読しているからね。何度もの再読に耐える傑作であった。さいごの解決方法は、放射性物質を餌に「ひる」を太陽の方向へ行かせたのだが、ウルトラQと違っていて、太陽を食い尽くすという物理学者の計算によって、太陽へ向かわせた宇宙船をまげて進ませて、水素爆弾を爆発させて「ひる」の身体をバラバラにした。バラバラになった「ひる」はふたたび遊泳した。というところで終わり、さらなる脅威となることを予感させる結末になっていた。ウルトラQでは、太陽を食い尽くせないだろうか、どうだろうかというところで終わっていた。小説の方が怖いけれど、ウルトラQの終わり方も怖かった。だって、あした太陽がなくなってることになるなんて、どう考えても怖い。ぼくは何歳だったろうか、4、5歳かな。ウルトラQのバルンガのさいごの結末で、あした太陽がなくなってたら、どうしようと心配になってたことを憶えている。トラウマに近い経験だった。
52歳の若さで亡くなった叔父が夢に出てきた。10歳の違いだからお兄さんみたいなものだった。いい人だった。いい人は早くなくなるというけれど。ただひこちゃんと呼んでいた。喫茶店を経営していた。幼い娘ちゃん2人を残して亡くなった。いまぼくは61歳だから、亡くなって20年になる。
2つ目の夢で、映画好きな死んだ父親と『DUNE 砂の惑星』の過激ヴァージョン(そんなものはないのだが)を見てた。舞台となった劇場では、踊りなどが繰りひろげられて、しかもインタラクティヴなものだった。父親は怒って、劇場を出ようとしたが、ぼくがさいごまで観るのに付き合ってくれた。死んだ父親は30代だろうか、ぼくが子どものときの年齢だった。父親はおしゃれな人で、フランス映画の『化石の森』だったかな、その映画の一場面、レイモンド・ラブロックの半裸画像を写真屋に縦1メートル横2メートルくらいのパネルにさせて、それを寝室の壁に飾っていたくらいのひとだった。
いまネットで調べたら、『化石の森』じゃなくて、『火の森』だった。
『化石の森』っていう映画が邦画であったらしい。それって、ぼくは見てないけれど。レイモンド・ラブロックが出てたフランス映画の題名は『化石の森』だと、ずっと思っていた。子どものときから。父親は洋画好きのラテン音楽好きの海外文学好きのおしゃれなひとだった。ぼくは父親からの影響が強い。
これが純文学の力か、と思ったのは、もう何年もまえに読んだ、ジョン・アップダイクの『走れウサギ』上下巻だった。はじめはだらしない主人公にまったくうんざりしていたのだけれど、上巻の途中から、進展が気になって仕方なかった。続篇が出版されているけれど、高額な値段がついていて買わなかった。いまネットで調べたら、400円から2000円くらいまでだったから、高額じゃなかったね。むかし、続きが読みたくてネットで調べたときには高額だった記憶がある。といっても、5000円から20000円までのあいだだったと思うけど。古書の値段は相変わらずわからないもんだね。
『走れウサギ』上下巻、『帰ってきたウサギ』Ⅰ、Ⅱ、『金持になったウサギ』Ⅰ、Ⅱ、『さようならウサギ』Ⅰ、Ⅱの4部作だそうだ。続篇が買いたくなってきたけれど、未読の本が多くて、読むの何年後になるかわからないので、買うのがまんすることにした。
二〇二二年五月二十八日 「夢」
京都のバーで無銭飲食した夢を見た。カウンターのうえに小さな玉レタスが2個置いてあった。あさ、お爺さんがとったものだという。もらっていいですかとお婆さんに言って食べた。もう1個も食べた。悪いと思って千円札を出すと、お婆さんは、「いい、いい。もらっとき」と言うのであった。店を出た。そして、家のある方向へ歩き出したのだが、そこは見知らぬ住宅街。迷って歩くうちに目が覚めた。その見知らぬ住宅街だが、よく夢にでてくる同じ住宅街で、女子高生が自転車で走っていたりするところ。
二〇二二年五月二十九日 「豚の飼育と交配について」
さいごの7作目は、レックス・ジャトコの「豚の飼育と交配について」植民惑星に疫病が起こり、人類の生き残りは20人程度になってしまった。生殖可能な成人男子は2人だけ。残りはみな女性だった。一夫多妻制でないと人類は滅びる。というところで、純情な青年が主人公なのだが、女性の扱いは下手だ。
きょうから寝るまえの読書は、講談社文庫の海外SF傑作選の1冊、『未来ショック』だ収録作8作中、既読なのは1作だけだ。ロバート・シェクリイの「徘徊許可証」だ。
https://pic.twitter.com/lMiz0ucdE3
61歳のぼくにも20代があったのだし、青春してたときがある。韓国のこのシロートのバンドのサウンドが、ぼくをすっかりむかしに戻してくれる。ぼくも恋をしたことがあるのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=TH5i1KSv8xs&list=RDMM&index=4…
この曲も大好き。何回繰り返しても聞くに堪える曲だ。
https://www.youtube.com/watch?v=kVnIzrrAQGo&list=RDMM&index=3…
日本語の曲でいちばん好きな曲。
https://www.youtube.com/watch?v=RrKO3wKDKGQ&list=RDMM&index=4…
この曲も好き。この動画は再生できません、とでてくるけれど、下のTUBEのところをクリックすると聴ける。
https://www.youtube.com/watch?v=28LRPvDA2OA&list=RDMM&index=3…
平子 一さんから、詩集『Shiretoko』を送っていただいた。英訳とその原文の日本語の詩がおさめられている。ぼくより20歳ほどうえの方である。詩の言葉は平易で、わかりやすい。思索されてあることがらには、うなずくこと多く、共感した。
https://pic.twitter.com/KkLGVvYPy5
ヤフオクで、2冊の海外SF傑作選に入札した。たぶん落札すると思うけれど、2冊とも、むかし持ってたような気がする。目次を見ると、読んだ記憶がまったくなかったので、持ってなかったものだった可能性もある。表紙の絵に猫が描かれているが、ぼくは猫が苦手である。表紙はまったく魅力がない。Amazon のネット古書店で金額を調べたら、1冊200円くらいで売っていた。ヤフオクの入金額は2冊セットで1000円だった。買い物、失敗したかな。まあ、送料を含めて考えたら、300円から400円程度の差額なのだけれど。
案の定、落札した。小松左京・かんべむさし編集の集英社から出た、海外SF傑作選『さよなら、ロビンソン・クルーソー』と『気球に乗った異端者』の2冊だ。
二〇二二年五月三十日 「走れ、走路」
講談社文庫の海外SF傑作選の1冊、『未来ショック』1作目は、ロバート・A・ハインラインの「走れ、走路」アメリカは車が走っておらず、走路と呼ばれるように、道路の方が動いていた。走路の技師の中に、反乱分子がおり、走路の一部を停止させた。主人公は技師長で、その反乱分子の代表者と一騎打ちの争いをした。主人公は無事に元の秩序を取り戻した。
2作目は、アーサー・C・クラークの「海底牧場」鯨をサメから守っている主人公。イルカの仲間とともに、サメをやっつける。梗概のように短い作品だ。
二〇二二年五月三十一日 「草原」
3作目は、レイ・ブラッドベリの「草原」完全自動の家を買った一家の話。子供部屋の壁がアフリカの草原になっていて、ライオンが獲物を食べている。写実的なその映像に両親は息子と娘の精神状態を心配する。さいごは、親は子供部屋でライオンに襲われる。この物語は以前に読んだ記憶がある。ネットで調べると、『シミュレーションズ -ヴァーチャル・リアリティ海外SF短篇集』で読んだみたいだ。自分の部屋の本棚を見ると、あった。「草原」は、さいしょに収められた物語だった。
@lzSbTWvooJWritQ レイ・ブラッドベリの暗い一面がうかがえます。