剥き出しの鉄を打ち鳴らす
ホロウ・シカエルボク


ツクツクボウシが啼きそびれたみすぼらしい晩夏からそのままスライドした秋の曇天は、思考回路が壊れた若い母親が道端に投げ捨てる紙おむつの色合いで、ホームセンターのワゴンから掴み取ったスニーカーの靴底は、昭和後期のままのアスファルトの路面で容赦なく擦り切れる、幼いころの擦過傷の記憶、貼り付けたまま数週間が経過した絆創膏が皮膚に植え付けていった悪臭は、まるで前借した急逝の臭い、父親の携帯電話はいつだって役に立たなくて、極潰しの息子たちは街金のATMで人生を塗り潰す、ろくでもない職にしか就けなくて白目は澱むばかり、仕方なく胃袋に注ぎ込むインスタントラーメンの涙のような塩味で真夜中は満員だ、小さな音で流れるラジオはいつだって肉親の葬式に似ていて、枕に飲み込まれる狂気は自分自身に瓜二つの奇妙な虫を産み落とす、暴力沙汰のニュースが頻繁にワイドショーを奮起させるその裏で、決して明るみに出ない殺人が途方もない単位で繰り返される、なぜ人を殺してはいけないのですかと自己顕示欲に過ぎる間抜けな子供の質問に、ルーティンワークで摩耗するばかりの大人たちは本気で頭を抱え込む、本当のことは決して教えられない学校の未使用の教室で、新任の教師と色ボケの女子高生がトレンディな性欲に溺れ、校長は会議が終わるたびに不必要なほど大きな机に隠れた下半身でマスターベーションを繰り返す、退屈な親たちは暇潰しに徒党を組んで、絶対に届くことのない願いを掲げながら満面の笑みで街中を練り歩く、餌に群がる蟻の半分にも満たない真剣さでダラダラと続く列は、まるで擦り切れた安保闘争のなれの果てだ、公園の土を掘り起こして、産まれることの出来なかったツクツクボウシのサナギを拾い上げ、どうかいまからでも産まれてくれないかと懇願する俺は、もはや季節の変わり目すら神の策略かと疑っている、夏はもう逝ってしまったんだよと街角の詩人が精液のようなロマンチシズムを振りかざし、トサカに来た俺は大人のおもちゃでそいつを刺殺する、通りがかった三人の女子高生がそんな俺を指さして大声で笑いながらどこかへと去っていく、返り血に塗れた俺はまるで時代遅れのスプラッター映画だ、ここぞというときに死ぬことの出来る、ヒット作の役者どもは幸せだ、大人のおもちゃは手の中で破裂する、俺は自分自身の血までダラダラと、季節の変わり目に引く風邪のせいで止まらない緑色の鼻水のように垂れ流しながら、アーケードの中を酔っ払いのように練り歩く、何度も警官と擦れ違うのに、彼らは決して俺を呼び止めることはなく、俺はふざけやがってと口走るものの、手の中にもうなんの武器もないことを思い出す、人間が人間を殺すときに必要なのは、明確な武器の存在なのだ、憎悪などきっと文庫本の栞程度の後付けの理由だ、ジョン・ライドンは妻の介護で忙しく、ラモーンズはとうとう卒業してしまった、半端な田舎のアーケードなどあっという間に終わってしまう、廃業してしまったタワーパーキングにバリケードの隙間から潜り込み、呪いの言葉を叫びながら剥き出しのコンクリートに頭を打ち付けるも、血が流れるばかりで砕けるなんてことは決してない、貪欲な人間ほど頑丈に出来ているのだと、はみ出した鉄筋の切れ端が笑っている、がらんどうの建物にこだましてそれはまるで、もう二度と来ない夏の記憶みたいだ、人間が人間を殺すときに必要なのは明確な武器の存在だ、俺は階段を駆け上がる、最上階から見えるこの街の景色は、きっとこの世の果てに違いない、ツクツクボウシの声が聞こえる、ツクツクボウシ、なんでそんな風に鳴こうと思ったんだろうか、どうでもいい割になかなか忘れられなさそうなそんな疑問が、膝をがくがくさせながら最上階を目指して走る俺の脳裏でループする、見上げた時にはこんなに高いなんて思わなかった、ろくに動かしたこともない身体はとっくに悲鳴を上げている、最上階に行くと何が見えるだろう、世界の果てとはいったいどんな場所だろう、息が上がり、咽こみ、涙が流れる、啼きそびれたツクツクボウシたちの無念が俺の中で渦を巻いている、重たい鉄の扉を開けて俺はとうとう辿り着く、屋上、夢にまで見た最上階、そこに在るのはただの街の景色だった、俺は絶望して悲鳴を上げる、うずくまった途端に襟首を捕まれ引き起こされ、青筋を浮かべた警備員の顔を見る、余計な仕事を増やすなと擦れた猿のような声でそいつは言う、俺は息を切らしながらどうしようもなくこみ上げる怒りに、叫びながら警備員を突き飛ばす、彼は悲鳴を上げながら開口部を落下していく、車のリフトに何度も何度もぶつかりながら…俺は尺取虫のように屋上に倒れ込む、少しだけ眠ろう、少しだけ眠れば季節はまた変わるかもしれない、少しだけ眠れば蝉だって産まれるかもしれない、貪欲な人間ほど頑丈に出来ているのだ…




冬が来る頃にはすべてを忘れることが出来るかもしれない。



自由詩 剥き出しの鉄を打ち鳴らす Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-11-06 16:24:28
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