この九月に母が亡くなった。二〇〇四年に妹が自死し、二〇一一年に父が病死しているので、五〇年以上ずっと独身のままの僕は、これで家族をすべて失って本格的に一人になったことになる。母は妹が亡くなった直後から体調を崩し、血液透析を受けて過ごしてきた。その後も大腸癌の発見と摘出があって、病気との戦いだった。十年以上に及ぶ透析の影響で腰を悪くし、まともに歩けなくなったために長期入院をしていた。そんな中で今年(二〇二一年)の夏に新たに乳癌が見つかり、それもかなり進行していたということで、最後はかなりあっけなく亡くなった。父の時と同じように、長年の闘病があってこちらもある程度心の準備のようなものが出来ていたために、特にショックというようなものはなかった。ただ、やはりどこかで茫然とするようなものはあった。気ままな独身生活の中で一人消えさらにもう一人消えというふうに家族がいなくなり、とうとう本格的に一人になった。そのことに対する茫然とした気持ちである。経済的にはわずかながらの保険金が手元に転がりこんできたために、生来の気楽さにますます拍車がかかって、ほぼ毎日怠惰な時間を過ごすこととなってしまった。
そう、この怠惰な時間というのがポイントで、僕は家族のすべてを失って一人になったことで、生来の怠け癖がまたぞろ頭をもたげてきたようなところがある。一人消え二人消え、最後の一人が消えて残されたのは、どうしようもない怠惰だったわけで、これはちょっと笑えない話のような気もする。なんとも詩人らしい話じゃないかという感じがしないでもないが、冗談を言っている場合ではない。僕は精神的には元から孤独であって、そのために誰かから何かを教わるとか、人生において人々の波の中で揉まれることで生きるすべを学ぶというような、普通の人が採りうる道を歩んでこなかった。ということは、何も知らない子供のような状態のままだということであり、そんな僕が精神だけでなく物理的にも本格的に孤独に陥ってしまったらどうなるか。答は火を見るより明らかであろう。
つまり、僕は生き方というものをほぼ知らないまま大人になり、家族をすべて失ったことで後ろ盾になるような者もなくし、生き方を知らないままこの世に放り出されたということになるのだ。こんな僕がこれからどうやって生きていけば良いのか、訪れた怠惰の中で僕は考えた。いや、感じたと言った方が良いだろう。いったいどうしようと多少の焦りの気持ちとともにあると言えば、僕の心的現実に近い(完全にその通りだというわけではないが)。母が亡くなった翌日、母の遺体を葬儀屋に安置したまま葬儀についての話し合いを済ませた帰り道、秋口にさしかかった季節ということもあって、大量の蜻蛉が飛んでいるのに出くわした、家に戻った僕は一篇の詩を書いた。
もうすでに
何もかもが離れていった
吐かれる息のような
最後の暑さを味わう余裕もなく
何もかもから離れて
いよいよ一人になって
これから訪れる季節に
耐えるための準備を始めなければ
そうして 自ら離れていかなければ
母が亡くなった翌日
最後の日の名残りのなか
車が一台も停まっていない駐車場に
大量の蜻蛉が飛んでいた
彼等は僕の頭上から
おまえはこれから
こうして生きていく他ないのだと
しずかに告げていた
(「秋のはじまり」)
この詩は母への追悼というよりは、母を最後に家族のすべてを失った僕が茫然としている、その気持ちを表したと言った方が近い。亡くなる前、母が乳癌でかなり進行していて、もはや抗癌剤治療等もするには体力が落ちすぎていると医者から言われた時に感じた気持ちが、母の死によってぶり返し、なかなか消えない膜のようなものとして、僕の心の表面に張りついてしまった。そこから生じる茫然とした感じ、それを言い表した詩である。「何もかもから離れて/いよいよ一人になって/これから訪れる季節に/耐えるための準備を始めなければ」というのは一人になったことの自覚であり、「車が一台も停まっていない駐車場に/大量の蜻蛉が飛んでいた/彼等は僕の頭上から/おまえはこれから/こうして生きていく他ないのだと/しずかに告げていた」というのは一人になってしまったことの他者からの追認である。つまり、ここでは自らからも他者からも一人になったことを告げられているのであり、それだけその事実が心の上に重くのしかかっているということになる。しかしながら、この怠惰はどういうことだろう。一人になったという事実の重さがあるはずなのに、いまの僕はそれをあまり真剣に受け止めていないように見える。それどころか逆に、独りの気楽さに溺れて、待ってましたとばかりに怠惰を楽しんでいるかに見える。監視する者がいなくなったことの気楽さを謳歌しているようでもあるのだ。
だが、それはきっと表面上はそう見えるというに過ぎないのだろう。表面の現象の裏には別の気持ちが隠れているのは人の常だ。僕の場合ものほほんと怠惰に溺れていて、その裏ではどこか焦燥感のような気持ちもある。同時に僕は、ふと訪れたこのような状態を、抗うことなくぼんやりと受け入れることに意味を見出しているようなところもある。焦燥感があるのならば、それに従って何とかしようと、この状況を変えようとするのが正しいのだろうが、いまの僕にはそれをするのは状況に抗う愚かな行為にすら思えるのだ。状況に抗わずに、それを何も考えずにぼんやりとした気分で受け入れること。その貴重さのようなものを僕は感じて、「いま」という場所にいるのだ。
実際、時は常に「いま」しかない。まだ現象していない未来に思い煩って、いたずらに「いま」を消費するのは愚かだ。人は過去のことであれば「いつまでも過ぎ去ったことにくよくよせずにいまを生きろ」と言うが、未来に関してはそのようなことは言わない。それどころか、未来に備えて「いま」を消費するのは良いことであるとして推奨されもする。過去も未来も、方向性が異なるだけで「いま」存在しないことでは同じであるのにだ。そのような偽りに加担してはならないだろう。時は常に「いま」なのだから、過去も未来も同じようにうっちゃって、「いま」の中に身を沈めるのがきっと正しい。怠惰にとらえられているのならばその状況はそのままにして、「いま」の中に存在していよう。どうせしかるべき時が来れば、否応なしに怠惰は終わりを告げ、新しい「いま」が何食わぬ顔で土足で上がりこんでくるのだから。
いま僕は怠惰とともにある。一人消え、もう一人消え、最後の一人も消えて、僕だけが残された。その孤独を感じながら、怠惰に沈んでいる。まるで無人島に打ち上げられた難破船のような気分だ。ぼろぼろに朽ちた船はその隙間から潮風を通し、その船体は腐食しつつある。だが、僕は何もしない。この状況とともにあり、残された怠惰を楽しんでいる。蜻蛉ではなく海鳥たちが晴れ渡った空を飛んで啼く。彼等はおまえはいま孤独なのだと告げている。そう、僕は孤独だ。ひりひりと焼けつくように、この心身に孤独を沁み通らせている。そのことにきっと罪も悪もない。孤独も怠惰も、ただいまここに存在し、僕はそれらを享受しているだけだ。
(二〇二一年十二月)