好きなことは下手でもやり続けるしかないよな、生きろ。
ゼッケン
例えば
水たまりを越えようとして
かかとが派手に水しぶきをあげること
おれの脚は短かった、思ったよりもきっと水たまりは広かった
成長期はずいぶん昔のこと、これ以上脚が伸びることはなく
どうして越えられるといつも思ってしまうんだろう
越えるという選択肢があるからだ
選択肢が思考を誘導する
答えを間違えるのではない、何を問うのかが答えを決めるのだから
例えば 詩 を書きました
詩は水たまりです
晴れた日には気にも留めないアスファルトの窪みが
雨が降ったとたんに
足を踏み入れるのが躊躇われる場所になる
こころの
表面の
でこぼこに
痛みや愛情の甘やかな雨が降り、
アドレナリンやオキシトシンの水たまりを越えようとして見誤り、
跳ねたしぶきが裾を濡らした
あんたがたがとうに知っていることだけしかおれには書けない
当然のことだが、自分のために繰り返しておこう
詩を書こうと思うことはできない
そうだろう? きみは深く頷いている
詩が先にある すでにある詩を思うことなどできない
詩人ではない人間が詩人になることはできないということだ
詩も詩人もすでにあるわけだからおれに入口はない
詩は常に書かれてしまった後であり、これから書こう、などと
思うようなものではないよな、あんたがたなら知っていることだろうけど
いるよ、そういう転倒した言い訳をする素人
技術も磨かず、知識も求めず、手続きを無視して
無能の免許センターみたい
おれに対して閉じた循環である
越えるのなら水たまりは乾く前に越えるしかない