わたしが天才少年だったころ
室町

幼い頃からわたしは低能児だった。
小学生一年から六年までを通して通信簿は全科目がすべて1。
それだけならよかったが小学三年生のときだったか教室でみんながおとなしく勉強をしているときに
わたしは教壇にいる女教師の裸をノートに描いて見つかり、厳しくその女教師から叱責された。
彼女は怒り狂った。わたしは教壇に立たされ背が低くて横幅の広いその女教師のヒステリックな罵声につるしあげられた。
「変態、異常者、低能、問題児、精薄!」
今から思うとほんとうにひどい問題児だった。
ある日、こっそり盗み見た学校の教職員連絡ノートには「頭の交錯した低能児」と記されていた。
愕然とした。今からおもうと実際そうだったから仕方がないとしてもショックだった。
そしてとうとう小学五年になるとわたしは精薄児童を集めた特殊学級に送り込まれた。
気味の悪い人体模型や鳥の剥製なんかが置いてある科学標本室の隣にあったその特殊学級ではふつうの授業はなかった。
驚いたことにみなでお好み焼きを焼いたり歌を歌ったりして、なにか、完全に世界の外へ取り残されたような停滞と平和があった。
なんの取り柄もなかったが
わたしは幼児のころから読書を好み
およそ8歳ほどでジョルジュ・サンド『愛の妖精』を読んで号泣していた。
世の中にはこんなにも魂をふるわせるものがあるのかと思った。
この体験はわたしの原点となったが、それから数十年して中年の域にさしかかったとき同じような体験をした人物の発言に出会った。
わたしはほとんどその男の小説を読んでいないがその三田誠広という芥川賞作家は小説家入門書のようなものを発刊し
そのなかで「『愛の妖精』を読んで号泣する体験があるかないかで作家になれるかなれないかが決まる」
と断定していた。この作家も幼い頃、この小説を読んで号泣したのだ。
そこで久しぶりに図書館で『愛の妖精』を探し、読もうとしたが大人になったわたしにはもうその感動はよみがえってこなかった。
あまりにもスカスカで、こんなものを読んで感動したのかと愕然とした覚えがある。
それはわたしのなかのやわらかで鋭敏な感受性がすっかり萎びてしまったことを示していた。
さて、
現実世界では算数も音楽も体操も何も出来ない頭のおかしな低能児のわたしは
一度、精神病院へ送られることが両親と学校の間で検討された。
しかし、一人の国語教師がそれに反対してことなきをえた。
今でも覚えているがコロコロとよく太った背の低い眼鏡の四十代女性教師だった。
その国語教師とは小学校の図書館の出口で靴を探しているときに出くわした。
両脇に分厚い本を抱えていたので何の本? と尋ねられ
「ルパン全集です」と答えた。そのころはモーリス ルブランの『怪盗ルパン』に夢中だった。
全30巻を読破する寸前だったが、たいして難しい本でもないただの通俗小説なのに
国語教師は「まあ、全巻読んでるの、偉いわねえ」といってびっくりしたようにわたしの顔をみつめた。
教師の間ではわたしが字も読めない精薄児童と思われていたらしい。
「いつまでも読み終わらないような分厚い本が好きなんです」だからどんな小説でも巻の長い全集を好んで読んでます
といったら国語教師は感心したようにうなずいてくれた。
この身も心もふくよかな体型の女教師のお陰でわたしは精薄児を扱う精神病院へ送られずに済んだと聞いている。
それからしばらくしてわたしはまた普通の教室に戻された。

しかし中学に進学してもわたしの無能、低能ぶりはまったく変わらなかった。
わたしの家の引き出しには親にみせられない世界性文学全集だの「百万人の夜」といったヌード写真雑誌や
SMなどを扱う『裏窓』といったかなりハードな雑誌などが
ぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。のちに直木賞をとった胡桃沢耕史などが清水正二郎というペンネームでポルノ小説を書いていた。
当時物議をかもした沼正三の『家畜人ヤプー』はとっくに読んでいた。のちに三島由紀夫が絶賛したが今現在の日本の状況を言い当てていた稀有な小説であるとおもう。
こういうものを読んだせいか小学校では全科目0だったのが、中学にあがると社会と国語だけが5段階評価の2をとれるようになっていた。
それでもわずか二科目で2だった。
今から考えると本気を出せば国語はなんとか4か5をとれたはずだが、中学で出される国語の問題のバカバカしさに
ひょっとしたら無意識に拒否反応を示していたのかもしれない。
それは英語も同じで、ジスイズアペンなんて、そんなバカな話があるかと思っていた。音楽も数学もそう。わたしが低能になったのは
日本の愚劣な教育システムの無機質に原因があったのかもしれないと最近は考え始めている。もう遅いが、それならすこしは気が休まる。
わたしは教室でも影の薄い存在で、だれからも注目されないし、だれからも敵視されないかわり相手にもされていなかった。
存在の雰囲気を消したわたしであったが、ある一つのことだけは教室や中学校のすべての生徒たちを眺めながら確信をもって予見していた。

 「おれたちの世代がこの国の舵取りを担うような時代になればこの国は破滅する」

つまりわたしは昭和の戦後世代は不能だと見抜いていた。あらゆる分野においてまったく何一つ出来ずにこの国はわたしたちが大人になったころ衰退の
一途を辿るだろうと中学二年のときから確信を抱き、この国の将来に絶望していた。それを考えるといつも背筋が凍った。
わたしはビートルズやらボーリングやらゴーゴダンスやら、当時の若い世代の関心事にはまったく興味がなかった。
流行はまったく追わないで文学と哲学に埋没する毎日だった。女もいらなかった。どちみち女にはもてないから
ヌード雑誌や性文学などを読みながら右手で用を足していた。カネのかからない性処理法だった。
成人してから、
実際に日本のあらゆる企業が衰退し、政治がでたらめになり、学校も医療もなにもかもがむちゃくちゃになるのを
この目で見ながら、わたしは低能でなんの能力もないけど、世界が、そのバカなわたしが内心予見していたとおりになることに不思議を覚えていた。
無能で低能だけど、おれには世界情勢への予見能力があるのではないか?
ひょっとして天才?
そんな妄想を抱いたことがある。

おそらく頭の交錯か精神的な誤謬なんだろうけど、わたしの世界認識とその帰結としての世界情勢の見通しはときどき怖ろしいほどよくあたる。
わたしはコロナ騒動を八年ほど前に予見していた。
嘘つけと思われるだろうけど事実だ。
安倍首相がパンデミックを予想して感染症対策法(「新型インフルエンザ等対策特別措置法」)を突然持ち出して国会で可決させたのは2012年のことだった。
新聞の片隅に小さく載った記事だがわたしは見逃さなかった。
おかしいと思った。安倍はなぜこんな法案を突然持ち出して可決したのか。パンデミックなんか世界中が毛ほども関心をもたない時期だった。何かあると思った。いや、
何か来ると直感的に確信した。必ず何か新しい感染症がやってきて社会を公衆衛生的に統御するような事態が起きる、
そう予見していた。
そしてコロナ騒動が起きた。わたしはじぶんの予知能力にはある程度の信頼をもっていたので、やっぱりなと思った。
この予見の背景にある知識をここで提示して説明していたらとほうもないページ数と時間がかかるので
それは割愛する。また、丁寧に説明しても「陰謀論だろう」という陰謀論が返ってくるだけだと思う。

しかし予知能力なんてほんとうにあるのだろうか。
コロナ(人為的パンデミック)を今から8年前に予測していたからといってカネが手にはいるわけでもないし、そんなことを口に出しても人から嘲笑されるだけだ。
なんといやな損な星の下に生まれてきたのだろうかと思うけど、それでも、戦争のない空の下をだれに遠慮もせずに歩くことができる。
これはもうけものだったのかもしれない。
わたしは受験秀才のように問題を解く知的能力はほとんどゼロだけど、問題を作り出す能力=問題意識だけはいつも泉のように湧いていたような気がする。
それがひょっとすると人とは違ってトータルに世界を認識するテコになっていたのかもしれない。
とはいえ、スーパーでほぼ黒ずみかけた100グラムにもみたない牛肉が300円もすることに躊躇して、
やっぱり豚肉で我慢するかどうか数分間も立ち止まって考えているさえない男が世界認識なんていっても、
いったいそれを語ることの現実との乖離のはげしさに笑いさえこみあげてくるのである。



散文(批評随筆小説等) わたしが天才少年だったころ Copyright 室町 2022-10-14 13:16:30
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