水の影
番田 


いつも川辺の釣り人の集まるポイントを眺めに行くのだが、まだ釣れているところを見たことはなかった。それはおろか春と秋というベストシーズンで、このあたりでは一度たりともバスが釣れているところを目撃していない。目にするのは高そうなロッドを持っているアングラーの姿ばかり。しかし、昔よりは個体数は減ってしまったと聞くがここまでのものとはと思うのだ。アシが、ゴミとともに取り払われたという原因もあるのかもしれなかった。見かける姿はコイばかり。水質や環境は良くなったのかもしれないが、ある特定の釣り人にとっては厳しい環境ができてしまっている。思えば、多摩川のシーバスも厳しかったものだ。魚はおろか釣り人自体が激減していた。水のあるところに魚はいるわけではないということが鮮明になってきている。


動画も、ネットの高速化によって手軽にパソコンで楽しめるようになってはきたが、レンタルのほうが安い状況は確かにある。CDは逆に、借りるよりもストリーミングをしたほうが安い。漫画は中古本が一番安い。このように一方が安かったり高かったりといった矛盾した状況が生まれるのは不思議なことである。一見、物として存在しない商品を買うことが一番安いように思われるのだが。さらに、ネット上のデータとして購入できるものとしての商品は値段が下がることはないように思われた。物体に見られるような価値としての低下はそこに感じられないからだ。このようなことを今日は考えていた。



散文(批評随筆小説等) 水の影 Copyright 番田  2022-10-11 00:56:56
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