ジェネレーション・テロリスト
ホロウ・シカエルボク
あの女が高速脇の電波塔のそばで折れるほどに自らの首を切り裂いたのは、フェデリコ・フェリーニが運命の脚本を閉じた日だった、抗鬱剤を浴びるほど飲んだ上での行為だったと聞いた、くだらない真似をしたものだ、その話を耳にしてから数週間は、忌々しい気分で過ごしたものだ、この世で一番長く生を得るのは亡霊に違いない、長い年月が経過しても、あの女は時々俺の人生の隙間に滑り込むように記憶の中で目を開く、モダン・ジャズ・カルテットのレコードしか流れない酒場の隅や、若かったころのデュラン・デュランの巨大なポスターが色褪せているビルの廃墟の前で…俺たちはくだらないコソ泥だった、二人で、くだらない芝居をしてカモを罠にはめた、そうやって小銭をせしめては、世間を馬鹿にしている過剰な十代だった、このままじゃあたしたち大人になれなくなる、そんなくだらないことを言って女が卒業を目指したのは十七の時だった、その時には俺はまだなにも分かってはいなかった、自分以外の世界は全部馬鹿だって信じていた、でも結局のところ、それは自分がその世界に含まれていると認めているようなものだったのだ、俺たちはそれからまったく顔を合わすことはなかった、俺はひとりでそれまでと同じように金をせしめようとしては失敗して殴られ、女は親におねだりをして家庭教師をつけてもらったとか、年度末のテストでそこそこいい点を取ったとか、噂は時々聞こえていた、それは向こうでもきっとそうだっただろう、あるとき俺は拳銃を手に入れた、置き引きってやつだ、盗んだアタッシュケースの中にひとつだけ隠されていた、これは多分まともなプロセスで手に入れた銃じゃない、俺にはそれがすぐに分かった、上手く説明は出来ないが、そのフォルムにはなにか、とても禍々しいものがまとわりついていた、俺は口笛を吹いた、これでずっと仕事はやりやすくなる、そいつを手に入れてからは学校にも行かなくなった、人気のない裏通りを身を隠しては酔っ払いなんかを脅して幾らかの金を手に入れた、有り金を全部巻き上げるような真似はしなかった、そいつが家に帰れるだけの金を持っていれば、恨みを買うことは少ない、ほんの少し運が悪かっただけだ、そんな風に考えてもらうことだって出来る、それよりも悪いことはこの街にはうんざりするくらいあるからだ、絶対に同じ通りは使わなかった、車を盗んで別の街に行ったりした、手を抜いてはいけない、欲をかいてはいけない、周りを馬鹿だと思ってはいけない、それが幾つも仕事の中で覚えたことだった、クソ真面目にそんなことをしていると、この世で一番馬鹿なのは自分なんじゃないかという気が何度もした、けれど俺にはもうそんなやり方以外は思いつけなかった、女は家庭教師だった男と卒業後結婚したと聞いた、そのあとどうしていたのかなんて死ぬまで一度も耳に入って来なかった、こんなことはいつまでも続かないだろう、いつかは神の裁きを受ける日が来る、檻の中に入って、人生を見つめ直して、心を入れ替えて工場なんかに勤め、安い給料をぼやきながら安い酒を飲んで生きるのだろう、長くは続けられるはずがない、俺だってそんなことは分かっていた、でもそんな時は来なかった、三十になっても俺はどこかの裏通りで誰かに銃を突き付けては金を巻き上げていた、致命的なまでに俺には、そんなくだらない犯罪の才能があったのだ、酔っ払いばかりを狙ったのも良かったのだろう、金を取られたことすら覚えていないやつだって居たかもしれない、俺はひとりでアパートメントになんの不自由も無く暮らし、そこそこに貯金だってあった、だがしかし、精神は歳を取るごとにどんどんと不安定になっていった、銃を手に相手に突き付ける度に、この男はもしかしたら酔っ払いに化けた警官かもしれないなどと考えるようになった、俺は誰かを脅しながら自分が一番怯えるようになった、潮時だ、と俺は思った、まともに働いて生きる時が来たんだ、そう決めて銃を捨てた、それだけで心はとても楽になった、仕事を探し始めたが、半年のあいだどこにも雇ってもらえなかった、そりゃあそうだ、卒業もしていない、職歴のひとつも無い三十代半ばの男、まともに働けるなんて思われるはずがなかった、絶望しかけたころにようやく、深夜のビル清掃の会社に拾ってもらうことが出来た、俺は生まれて初めて人生をまともに生きるのだという思いに満ちていた、何も分からないまま懸命に身体を動かしているうちにいつの間にか分からないことは無くなっていた、会社の信頼を得て、チームのリーダーを任されるようになった、同僚ともウマが合った、だがある日、俺は深い穴に落ち込んだ、俺は何を手に入れたわけでもない、そんな思いが巨大な岩石のように降って来て一瞬で俺を圧し潰したのだ、俺は働けなくなり、生きることが出来なくなった、精神科に通い、薬を飲んで横になっているばかりになった、幸い、ひたすら働き続けていたせいで貯金はあったから生活には困らなかった、でもそれはそれだけのことだった、俺は自分の部屋で横たわったまま、血の底まで落ちていくような感覚を覚えた、ああ、これが絶望というやつなんだ、俺は目を閉じた、再び目を開けると、見知らぬ山の中に居た、車が走り過ぎる音で近くに道路があるのだと分かった、振り返るとそこには電波塔があった、俺はしばらくの間、わけが分からずに立ち尽くした、あの女がいつの間にか目の前に居て、自分の首を深く切り裂いた、そして、ふざけるな、と低い声で言って、血を吹き出しながら傾いた首で甲高い声で笑い始めた、ふざけるな、ふざけるな、と、頭の中でその声がもの凄いボリュームで繰り返された、内側から頭蓋骨をこじ開けられようとしているみたいだった、やがて女の吹き出した血が俺に降りかかり、俺は内臓のようにドロドロになった…再び部屋の中で目を覚ました時、もう薬の必要が無くなったことが分かった、長い患いのせいで上手く力が入らなかったが、じきに慣れるだろうと分かっていた、動けなくなってからどのくらいの時間が経ったのかよく分らなかった、前の仕事場に一度顔を出してみようと思った、また同じ思いにとらわれるかもしれない、まともな人生を生きてこなかったこの俺には、この世界は荷が重過ぎるのかもしれない、そんな気がしないでもなかった、それでも無駄死にはくだらないことだったし、まだ死にたくないのなら生きていくしかなかった、俺はよろめきながらシャワーを浴び、剃刀で髭を剃って清潔な服を身に着けた、人生は決して望みどおりになど動くことはない、だけどあの電波塔は、呪いのように俺の頭の中で同じ言葉を繰り返す、こんな人生がどこへ辿り着くのか、それを見極めるまでにはきっともう少し時間がある。