風の中の網膜の疼きを
ホロウ・シカエルボク


もう目覚めた気がするから、余計なものは捨てちまって構わないんじゃないか?集積場に投げ込んで、火がついて燃えていくさまを燃え尽きるまで眺めて、あとはなにもなかったみたいに生きることだってアリじゃないか…?ねえ、なにを持って人は終わりを知る、もしかしたらそれは、人生の終わりかもしれない、だけど―終わり方は様々だ、ねえ、そうだろう?生きたまま終わってしまっているやつなんて珍しくない、むしろそうしたやつらが面子のために必死になって生きるから、社会は、維持されている…そしてそれは俺には、まったく関係のないことだ、俺が欲しいのはいつだってオリジナリティーだ、自分が自分であるためのインプットとアウトプットだ、既存のアイデンティティに乗っかって、得意そうな顔をして生きるなんて到底出来そうもない、俺が欲しいのはいつだってオリジナリティーだ…それは、手に入れたいという意味じゃない、もうそんな歳じゃない、そいつはもう、手に入れている、おそらくは、十年くらい前に、そう、俺が言っているのは、そいつに見合う形態を見つけるという意味でのオリジナリティーだ、表現のツールとしての存在意義だ、真夜中に、灯りの消えた部屋の中で、仰向けになって天井を眺めている、天井にテントウムシのように張り付いて沈黙している室内灯、じっと見上げているとそいつは、占星術師の水晶のように運命を映し出す、それの読み取り方を俺は知らない、けれど、特別知りたいとも思わない、定義づけになどたいした意味はない、大事なのはきちんとその中を生きるかどうかだけさ、満足に眠れるのは、満足しているやつらだけさ、だから俺は生まれてこのかたいつだって、満足に眠ったことなんかない…寸断される眠りの中でも、長過ぎるほどの眠りの中でも、ウンザリするくらい何かを考えている、表層の、下らないアドバンテージの取り合いなんて、団栗の背比べみたいなもんじゃないか、そんなことに時間を費やすつもりなんかないね、悪いんだけど、お前の自己満足は別のところで消費してくれないか、俺はもう少し有意義に人生を生きていたいんだ…欲望は更新される、俺は貪欲だ、本当に貪欲だから、魂を満たしてくれるものばかりを求めてしまう、それが少しでも滞ってしまうと、肉体が末端から少しずつ腐り落ちていくような感覚にとらわれる、無条件で世間を鵜呑みにすることなんか出来ない、俺は小さな世界に差し込まれる楔なんかじゃない―パーソナリティーの具現化、人生にもしも追うべき意味があるとしたら、それ以外にどんなものがある?常識人ごっこなんてもってのほかだ、つまんで捨てる塵みたいな取るに足らない共通概念のパンデミックさ、確固たる確信は、至極単純なものだけを追いかけているから得られるんだ、そしてそれを維持する以外、なんにも考えなくなっちまう…無意味だとは言わないよ、だけど、俺はどうしても、そんな愚かしい結論の中で身体をふやかすことなんか出来やしないんだよ、余計なものは捨てちまって構わない、燃え尽きるまで眺めて、あとはなにもなかったみたいに生きればいい、誰かが囁いてくる真実になんて何の意味もない、真実は人間の数だけある、そしてそれは、決して融合することなど出来ない、わかるかい、そいつは偽者さ、もっとも単純な思想を共有して、何かを得た気分になってるだけってことさ、どこにも、どんな場所にも、真実は記載されていない、それはどんなに共感出来るものでも、お前自身の真実には成り得ない、果てしの無い混沌と混迷の果てに、ようやく朧げに見えてくるものを信じろ、もしかしたらそいつに近付けば近付くほど、その他のあらゆる物事は遠ざかってしまうかもしれない、命の求めるままに生きることは、生涯を賭ける覚悟でなければならない、脳味噌が腐食した連中と、大人ごっこなんかやってる暇はない、自己満足は別のところで消費してくれ、そんなものに関わってる暇なんかない…もう目覚めた気がするから、ねえ、もう目覚めた気がするからさ、これまで引き摺って来たもののことはもう切り離して、新しく飛び込んでくるものを信じて行こうじゃないか、人生はこちらを待ってはくれない、性急な時間の中で必ず、何かを求め、見つけ、その手にしていかなければいけない、そうして内奥に蓄積したものたちが、俺の血を受けてなにかを話し始めるのを、いつでもキャッチ出来るように待っていなければならない、残り時間が多かろうが少なかろうが、生きていられる時間なんてほんの一瞬に過ぎないんだ、その時に吹き抜けた風の尻尾を追い続けるのさ、人生は一瞬の風だ、ギター弾きに聞かなくったってそんなことはとっくにわかってる。



自由詩 風の中の網膜の疼きを Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-10-03 16:39:15
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