言ふなかれ、君よ、わかれを、
藤原 実

「大東亞戰爭に就いて」という文章で白秋は「 詩歌を以て愛國の至情を獻げ得る我がこの職分を思ふと、血湧き肉沸る思がする」と言い、戦時に歌を詠む心構えを説いています。

「短歌表現の限界といふことを考へよ。その本質について省察せよ。輕燥を愼み疎剛を忌み、奔逸するところなく、重厚に處すべきである。必殺必死の電撃を思へ、言葉を極度に惜め、壯士風の態度のみの虚妄や漢語重疊の語勢、最大級の形容語の羅列等々が如何に低卑で猥雑なるかを十分に知 らねばならない。筆は結局するに筆であつて劍ではない。この筆に殉すべきである。
語韻を思ひ、語勢を思ひ、句々、一首の聲調に深く思を致し、はじめてまことの國歌を成すべきである。氣品と香氣とを組むべきである。」

しかし、そんな白秋が書いたのは次のような詩でした。

  『海軍魂』 北原白秋

    1
皮を斬らして肉を斬り
肉を斬らして骨を斬る
必殺の劍君知るか。
これだ、この膽、この捨身。

    2  
Zかかげたむかしから
守りつたへたこのおしへ。
百發しかも百中の
腕だ、この的、この狙ひ。

    3
敢て真向ふ敵にして
比率が何ぞ、量何ぞ、
轟沈、爆破、だァ んだんと
今だ、この弾、この気ぐみ。

    4  
水づく屍と覺悟すりゃ
いつもほがらな面だましい。
とどめだ敵を刺すまでは
死ぬな、この時、この誠。

    5 
皮を斬らして肉を斬り
肉を斬らして骨を斬る。
必殺の意氣、君知るか、
これだ、この膽、この捨身。


この詩は『大東亜戦争少国民詩集』 (北原白秋著、朝日新聞社, 1943)という本に収められているものなのですが、北原白秋記念館 の北原白秋作品年表を見ると白秋の最後の詩集は昭和17年9月1日発行『小国民詩集満州地図』となっており、白秋死後の昭和18年8月20日に発行されたこの詩集は後記で藪田義雄が書いているところによると白秋の絶筆であるということなのですが、白秋記念館では無視されているのでしょうか。
私がこの詩集を読んで注目したのは、その内容よりもむしろ朝日新聞出版局によって書かれた序文です。

「集められた一聯の詩は表題の示すやうに、聖戦に感激した著者が、病床にあつて新聞やラジオによつて知つた前線、銃後のニュースに即して、少國民のためにその感激と情熱を歌つたものであり、その中に脈搏つものは、直截にして美しい日本の言葉をもつて護へられた清明、崇高な日本精神である。そしてこれはまた、一億同胞が一團の火の玉となって、敵米英撃滅に突進してゆくとき、詩人白秋氏が、病苦と闘ひながら渾身の努力をもつて、大日本帝國の將來をになふ少國民のために書き贈つた熱血の進軍歌である。

詩はかつて、青白き感傷と抒情の紲(きずな)に自由を縛られてゐた。しかし、わが一億國民が米英の暴壓(ぼうあつ)に抗して劍をとつて立つや、詩も新しい精神に燃えて、その紲を切つて立ち上つた。かつて、ほのかな月の光や凋れゆく花にのみ美しさを感じてゐた詩は、今や、力強い軍靴の響きと、弾幕を衝いて敵艦を襲ふ荒鷲の姿に、健康な美しさを見いだしたのである。即ち、大東亞戰を機として、詩は逞しい新精神を得たのである。そして、「大東亞戰爭少國民詩集」は、この新しい詩の精神によって生れ、しかも、その精髄を最高度に結晶したものである。こゝに、この詩集の意義がある。」


これまでの詩は青白い感傷とひ弱で不健康な美意識に縛られていたのである、と断じているのですが、これ白秋の長年の詩業も否定してしまっていますよね。絶筆なのに。いやひどくないですか朝日さん。

こういうのを読むと詩歌などというものが「健康で逞しい精神」を持った人たちから見れば世の中の役にも立たない、日陰者の戯言ぐらいの存在でしかないのだなあ、とあらためて思うのです。そして当時の詩歌人が戦意高揚詩に手を染めていった心情というのも少しわかるような気もするのです。
それまで日陰者の存在であった自分たちが突然、光栄ある聖戦の熱血の進軍歌の歌い手としてメインステージに躍り出たわけですから。

日本の抒情詩を代表する存在であったいわゆる「四季派」のひとりである丸山薫の次のような詩にはそういう詩人たちの心情がよく出ているのではないでしょうか。


 『南洋を望んで』 丸山薫


われ一億の民草のなか
名無く貧しき詩人なれど
けふの日ぞ氣宇おほろかに
太平洋の渚に立ち
南なる水平線を畫板にして
雄渾なる素描をこゝろみみんとする

わが眼には不思議に見ゆれ
茫々千餘理の雲波のかなた
密林生える常夏の嶽と岬
爪哇、ボルネオ、セレベス、比律賓
マレー、グワム、ウエーキ、布哇ら
みなわが引く線の基點なり

わが企つる繪のこころは何ぞ
いまだ過ぎし世の何人も夢想せざりし
飛躍日本の切なる希ひ
わが描かんとする繪の姿はなんぞ
これぞ、われら、民族に漲る力
大東亞和樂建設の未來なれ

見よ、いまわが濃藍なる畫板の前
昨日まで浮びゐし惑はしの薄繪
欺瞞の文明、搾取の繁榮
米英資本の影映せる蜃氣楼は
わが旭日の意慾の前に消え失せた。
わが旭日の理想の前に消え失せた。

  (『愛国詩集』日本放送出版協会, 1942)


これから自分が描くのは民族のみなぎる力と意欲と理想による雄渾な未来への素描であり、昨日までの浮ついたまやかしの薄っぺらな絵とはちがうのだ、と言うのです。
これは時局に望む姿勢の象徴であると同時に自らの詩法の転換も示唆しているのでしょう。

このような詩人たちを使って『辻詩集』(日本文学報国会編) 、『大東亜戦争愛国詩歌集』(大政翼賛会文化部編)、『嗚呼特別攻撃隊』(楓井金之助編)、『国民詩』(中山省三郎編)など、つぎつぎと国策的なアンソロジーが戦時下で編まれていくことになりました。

『戦争詩集』 (大阪詩人倶楽部, 1939)というアンソロジーがあるのですが、これについて三好達治は、雑誌『新日本』(新日本文化の会)の1939年4月号誌上の「灯下言―詩歌時評」に実戦経験のない銃後作家の書く詩の空想癖と無力さに対して警鐘を鳴らしています。

「先日大阪詩人俱樂部發行の「戰爭詩集」といふものの寄贈を うけた。三十數氏の手に成る戦爭詩を輯録した小冊子である。 早速通讀してみたが遺憾ながら感銘に殘るほどの作品は甚だ乏しかつた。詩歌と稱する以上は時事を取扱はうが戦争を對象として單なる敍情詩風のゆき方と趣を異にしようが、所詮は詩歌としてのかんどころの一點をとり外しては相成るまい筈のところを、どの作品もどの作品も、枝葉の敍事にかかづらはつて詩情の一貫するものを缺き、拙劣な散文の詩的形態を僣した悪詩非詩に墮してゐるのは甚だ見苦しく殘念であった。集中讀むに耐へるのはやうやく織田旗男氏の二篇と火野葦平軍曹の一篇位のものであらう。共に作者は出征中の 實戰體驗者であるのは、かかる詩歌が銃後作者の空想裡の出產物としては到底無力平凡の域を脱しきれないものなることをはからずる證してゐるかの觀がある」


はじめに紹介した白秋の懸念と似たようなことを三好もまた言っているのですが、しかし、そんな三好も白秋同様、数年後にはこんな詩を書くようになります。


 『アメリカ太平洋艦隊は全滅せり』 三好達治

ああその恫喝
ああその示威
ああその經濟封鎖
ああそのABCD線
笑ふべし 脂肪過多デモクラシー大統領が
飴よりもなお甘かりけん 昨夜の魂膽のことごとくは
アメリカ太平洋艦隊は全滅せり!
荒天萬里の外
激浪天を拍つの間に馳驅すべかりし
ああその凡庸提督キンメル麾下の艨艟は
一夜の熟睡の後
かしこ波しづかな眞珠灣内ふかく
舳艫相含みて沈沒せり
げにや一朝有事の日
彼らの光榮のさなかにあつて
ああその百の巨砲は
つひに彼らの黄金の沈默をまもりつつ海底に沈み橫はれるなり
日東眞男兒帝國 一たび雷霆の軍を放つや
彼らの濳水艦はとこしへに濳水し
彼らの航空母艦は鞠躬如(きくきうじよ)として遁走せり
而してその空軍の百千の燕雀もまた
空しく地上に格納庫中に炎上せり
笑ふべし 脂肪過多デモクラシー大統領が
飴よりもなお甘かりけん 昨夜の魂膽のことごとくは
アメリカ太平洋艦隊は全滅せり!
然り 無用の兵を耀かすもの 必ず滅ぶ!
速かに彼らはその價をもて一の金言をあがなひて
而して 咄 われらの海洋の外に立去るべし!


  (『愛国詩集』日本放送出版協会, 1942)



三好は「ここはお國を何百里」という軍歌について、雑誌『文芸』(改造社)1937年10月号の「軍歌雜記」に、

「聞くところによるとこの軍歌は、ある聯隊に於てはその歌詞のイデオロジーを軍人精神に戾るものとし て唱歌を禁じてゐるさうである」
「彼らの青年兵士たちがこの軍歌を愛唱するのは、決してその 歌詞の二三問題となるべき末節によってではなく、その………イデオロジーによってでないのは、說明するまでもなく明瞭だらう。不審とならば經驗者に就て聞いてみ給へ。彼らはただ兵士として靑年としての、哀感と感愴とを、その昂奮と陶酔とを、この行軍歌のうちに求めてそれを見出してゐるのである。さういふ事實の重點をさへ諒解すれば、勿論この軍歌などは毫も禁止に價するものではあるまい」


と書いているように、詩に対してイデオロギーではなく、何よりも「哀感と感愴とを、その昂奮と陶酔とを」求めたため、時局の異常な高揚感に抗するすべもなく、高く高く舞い上がって行ってしまったのでしょうか。

そんな三好を杉山平一は「三好達治の詩と人柄」(『杉山平一詩集 現代詩文庫』、思潮社)で弁護してこう言います。

「三好さんはたしかに「討て、米英」という詩を書かれた。私が同情しますのは、三好達治は有名な詩人でしたからマスコミからどんどん注文がくるんですね、みんなを元気づけるような詩を書いてください、と。そのうえ、私にも経験がありますが、学校から校歌など頼まれると「山高く、水清く」と、いいことばっかり並べて学校はエエという宣伝する校歌をつくるんです。そういう三好さんの「討て、米英、アングロサクソンを」というのを、普通の詩と一緒に同列に並べて批判するのはちょっと酷、気の毒ではないか、と。戦後のことですけど、伊丹万作という伊丹十三のお父さんですが、優れた小津安二郎と同等くらいの映画監督がいましたが、伊丹万作は戦争映画をつくっていないです。反戦連盟(自由映画人)の常務理事になってくれと言われ、「ぼくは戦争映画は注文がなかったからつくらなかった、注文があったらつくっていたかもしれない」と。「君たちはだまされた、だまされたというているが、隣人をだまさなかったのか」と痛烈に反論をして断ったという有名なエッセイがあります。」


「普通の詩と一緒に同列に並べて批判するのはちょっと酷、気の毒ではないか」という杉山のいいぶんにはうなずける点もあります。でもそれにしても、「普通の詩」との落差が大きすぎないでしょうか。

杉山の校歌だから普段の自分の詩法とかけ離れるのはしょうがない、というのは、そうは全面的には言い切れないと思います。
例えば、「信濃川 静かに流れよ 我が歌の尽くるまで・・・」 というのは西脇順三郎が故郷の小千谷高等学校のために作った校歌の 書き出しなのですが このフレーズについて目崎徳衛の回想があります。

「最後は「信濃川 静かに流れよ」という小千谷高等学校の校歌の話になりまして、西脇先生がどういうことを言われたかと申しますと、「『信濃川 静かに流れよ』という詩句は、イギリスのスペンサーという詩人の『テームズ川 静かに流れよ』という詩を使った。テームズ川というのはすばらしい川、ところが小千谷あたりを流れている信濃川は谷川みたいな、泥を流すような川、この似ても似つかないものをもってきて、信濃川 静かに流れよとやったものだ」と、こういうことを言われました。(平成四年度「西脇順三郎先生を偲ぶ会」記念講演)」


もちろん校歌と戦意高揚詩では 締め付けの度合いは全く違うでしょうが、 ただ 、いろいろとうるさい制約の中でも西脇は遊びを入れることを忘れなかったのでした。


「戦意高揚詩」と「普通の詩」の落差については戦後派詩人の代表的存在であった鮎川信夫などがとくに批判のカナメとして問題視していますが、もはや問題にする価値もないとして、高崎隆治は「民衆の戦場詩について」(https://core.ac.uk/download/pdf/223206293.pdf)で専門詩人ではない民衆詩人の発掘の必要性を訴え、『征旅転々 : 中地清詩集 』 (至玄社, 1941)や『ガダルカナル戦詩集 : 前戦にて一勇士の詠へる』 (吉田嘉七 著,毎日新聞社, 1945)などを紹介しています。

中地清は詩、小説など複数の著作を持ち『戦陣の瞑想』( 中地清 著 ,矢貴書店,1942)の奥付の『みなみ』重版の宣伝文には「世の好評を得特配紙を受領せり」と記されているように当時は紙も貴重で誰でも彼でもが本を出せるような状況ではなかったであろうことから中地清を素人作家ということはできないのではないかとは思いますが。

高崎は専門詩人たちの戦意高揚詩を「無内容な侵略詩」と断じて取り上げる価値なしとするものの、戦中詩をすべて切り捨てて近代詩史に空白を生じさせるのもまた不毛なことだとして、民衆兵士の詩の発掘ということを提起しています。

しかし私はあえて詩人たちの戦意高揚詩を読み直すことでも有意義な発見があるのではないかと思うのです。戦中詩については、ある種の嫌悪感や、まともに取り上げるのも馬鹿馬鹿しい、と言う考えや、また書いた詩人本人も恥として隠してしまいたいという思いが強いという事情からか、批判的に語られる場合の断片的な紹介の他はほとんど顧みられません。が、私はやはりそのような状況は詩を考える上での空白であり、それよりも全て明らかにして誰でもが語り合えるようなフラットな状態にすることがこれからの詩の世界を豊かにする糧になるのではないだろうかと思うのです。

戦意高揚詩のなかには進軍ラッパのような勇ましいだけの詩とは違うものもあります。


『一枚の地圖』  壺田花子

地圖がこんなに美しいものとは 思はなかつた。
『お母さん ルソン島ってこれね』 小さな子がニュースの度毎に地圖に馳けよる。
見やすい樣に戰争の日から貼つた地圖、
一枚の地圖の上で、
兵隊さんが紅葉のやうな 血を流している。
鋼鐵の砂礫を浴び 岩山を這ひ登ってゐる。

神通力を持つた兵隊さん、
神のつばさを持った兵隊さん、

貴方の必死な一弾に敵艦は笹舟よりもろい、
子供達はバンザイを叫ぶ。
思つても凄絶な敵前上陸に、
私は美しい涙を流す。
うまいあたたかな朝飯をよそひながら、
兵隊さん 私達の心もみな一つだと思ふ。
いざとなったら お味噌汁に梅干、
おこうこと鰹節で  十分しのげさうだ、
大地震の經驗が私達をこんなに強く鍛へてゐる。

冬の日本列島 風なく良い年の瀬の日が續く。
めつきり元氣になつた子供達、
今日はお餅切りを手傅つてお呉れ、
さあ日本は
世界一の良い正月を迎へるのだよ

 
  (『大東亜戦争愛国詩歌集. 1 (詩歌翼賛特輯)』 大政翼賛会文化部編、 目黒書店, 1942)


まあ、「兵隊さんが紅葉のやうな血を流している」とか「私は美しい涙を流す」とか、なにいってんだという感じで、まったく評価のしようのない詩なのですが、私が興味を持ったのは同じ作者の戦後の詩との比較なのです。


『子供と五月の花』   壺田花子

  「野薔薇」

キリスト様の白い裳(もすそ)の匂いがする。
日曜學校の繪カード。
子供よ 痛い、
摘むのはお止し。
大人は心の刺まで傷むようだ。
蜂のように 匂いを嗅げばそれで良い。

   「クローバー」

花束を編もう。
首飾りを こしらえよう。
大切なお母さんに。
優しいお姉さんに。
世界中の無名戦士に。

そのあとでわれわれは
縄とびをして遊ぶ。
白い美しい花の縄でーー。

 
   (『現代日本詩集』現代日本詩歌集刊行会編 、南風書房, 1947)


この詩だけを単独で読むと、どうということもない詩で、薔薇は摘まれると心が痛むのにクローバーは縄を編めるぐらい摘んじゃっていいんかい!というくだらないツッコミが思い浮かぶだけなのですが、先程の戦中の詩と比較すると一種異様な感じを私は受けるのです。

5年の間に神は「天皇陛下」から「キリストさま」に、大東亜共栄圏地図はキリスト教会学校の絵カードへ、兵士は「神通力」で「神のつばさを持った」存在から「世界中の無名戦士」へと変わり、血だらけの兵士の敵前上陸と心を一つにしようと呼びかけていたのが「摘むのはお止し」「匂いを嗅げばそれで良い」と慈愛に満ちた母となって子供を諭しているのです。

このあからさまな変節ぶりにある人は憤慨し、またある人は冷笑するかもしれません。
しかし そういうことよりも私が 異様に感じたと言ったのは、思想的には180°の大転換がこの数年の間に作者に起こっているのにもかかわらず、その語り口の調子もリズムもほとんど
変わらず、精神の激しい葛藤のあともうかがえないということです。
さらに言えば 二つの詩に共通する自らの世界を美しく描こうとするあからさまなナルシシズムにも、敗戦はなんの痛手も与えなかった様子です。

よく、自分たちは軍国教育に洗脳されていたのだ、そして敗戦によって自分たちは目が覚まされた、というような回顧を目にするのですが、この壺田花子の戦中戦後の詩の語り口の変わりなさを見ると、軍国主義もあるいは戦後民主主義もひとを「洗脳」なんてできはしないのであり、もっと別の動かしがたいものに従ってわれわれは生きているのではないか、とふと思うのです。
そんなことを考えるきっかけとしても戦中詩を読むことは無駄ではないのではないでしょうか。

戦時中の戦意高揚詩は多くは時局に迎合したキャンペーンのように決まり文句が羅列されていて、それこそ 杉山平一の言う校歌のような、それもかなり出来の悪い、どれもこれも似たり寄ったりなもので作者の名前を入れ替えても 気づかないのではないかと思うほどなのですが、それでも中には 今日でも 読むに耐えうるような詩も含まれているのです。
稀にそういう詩に出会うと川原の石の中から自分だけの宝石を探し当てたような、宝探しのような、興奮が味合えます。

例えば大木惇夫という人などは『わが祖国の詩 : 青年と日本愛国詩史』(野間宏 等著 ,理論社, 1952)のような左派系イデオロギーで戦争協力者を断罪していくような本では「侵略者の歌」「狂った軍国主義」と罵声を浴びせかけられていますが、彼の『戰友別盃の歌』などは今日でも読むものに感銘を与えうるのではないでしょうか。
この詩はかなり有名な詩なので宝探しというほどでもないのですが、ご存知ない方のために紹介して終わろうと思います。ながながとありがとうございました。


『戰友別盃の歌ー南支那海の船上にて』  大木惇夫

言ふなかれ、君よ、わかれを、
世の常を、また生き死にを、

海原のはるけき果てに
今や、はた何をか言はん、
熱き血を捧ぐる者の
大いなる胸を叩けよ。

満月を盃(はい)にくだきて
暫し、たゞ酔ひて勢(きほ)へよ
わが征くはバタビヤの街
君はよくバンドンを突け、
この夕べ相離(あひさか)るとも
かがやかし南十字を
いつの夜かまた共に見ん、

言ふなかれ、君よ、わかれを、
見よ、空と水うつところ
默々と雲は行き雲はゆけるを。





<参考リンク>
文中でとりあげた本へのリンクを順に紹介しています。国立国会図書館の『個人向けデジタル化資料送信サービス』では多くの戦時中の詩歌書も読むことができます。

『大東亜戦争少国民詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 北原白秋 著 (朝日新聞社, 1943) 「海軍魂」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1129272/23

『白秋歌話』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 北原白秋 著 (河出書房, 1944)
「大東亞戰爭に就いて」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1069596/27

『愛国詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書
日本放送協会 編 (日本放送出版協会, 1942)
「目次:南洋を望んで」丸山薰 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1905204/123


『大東亜戦争愛国詩歌集. 1 (詩歌翼賛特輯)』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 大政翼賛会文化部 編 (目黒書店, 1942) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099211


『嗚呼特別攻撃隊 』国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 楓井金之助 編 (国民新聞社, 1942) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062746


『辻詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 日本文学報国会 編 (八紘社杉山書店, 1943)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1128829


『国民詩. 第1輯』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 中山省三郎 編 (第一書房, 1943)   https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1128826

『戦争詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 大阪詩人倶楽部 編 (大阪詩人倶楽部, 1939) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1263144

『新日本. (4月號)』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 雑誌 (新日本文化の会, 1939-04)
   「灯下言―詩歌時評 」三好達治 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1566494/33

『愛国詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 (日本放送出版協会, 1942)
「アメリカ太平洋艦隊は全滅せり」三好達治 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1905204/29

『文藝. 5(10);10月號』国立国会図書館/図書館・個人送信限定(改造社, 1937-10-01)
「軍歌雜記」三好達治https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10988062/77

『伊丹万作全集. 第1』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 (筑摩書房, 1961)
「戦争責任者の問題」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2466997/111

『平成四年度「西脇順三郎先生を偲ぶ会」総会記念講演』目崎徳衛https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/files/e5b9bbe5bdb1e8ac9be6bc94e8a898e98cb2e68eb2e8bc89e79baee5b48ee383bbe794b0e69d9120210118194511.pdf

『英文学の鑑賞』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 大和資雄 著 (研究社出版, 1949)
目次:三 スペンサーの「祝婚前曲」 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1705841/58

「征旅転々 : 中地清詩集 」国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 中地清 著 (至玄社, 1941)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1129090

『戦陣の瞑想』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 中地清著 (矢貴書店,1942)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130267

『ガダルカナル戦詩集 : 前戦にて一勇士の詠へる』国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 吉田嘉七著(毎日新聞社, 1945)  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1129264

『大東亜戦争愛国詩歌集. 1 (詩歌翼賛特輯)』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 大政翼賛会文化部 編 (目黒書店, 1942)
「一枚の地圖・壺田花子」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099211/18
『現代日本詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 現代日本詩歌集刊行会 編 (南風書房, 1947)
「子供と五月の花」 壺田花子 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1706878/77


『わが祖国の詩 : 青年と日本愛国詩史』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書
(青年学生新書 ; 第3) / 野間宏 等著 (理論社, 1952)
「侵略者のうた 大木惇夫・草野心平」 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1341557/108

『海原にありて歌へる 』国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書
(大東亞戰爭詩集 ; 第1輯) / 大木惇夫 著 (アジヤラヤ出版部, 1942)
   「戰友別盃の歌」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886064/13



散文(批評随筆小説等) 言ふなかれ、君よ、わかれを、 Copyright 藤原 実 2022-08-13 17:51:55
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