直観的思考と世界
ひだかたけし

私は夢を見ているのだろうか
そういう私も夢なのたろうか
世界は私も含めた表象*1という夢なのだろうか

それらの問いかけは思考によってなされる
わたしの内底から直観的に沸き上がる思考によって
あらゆる問いかけや世界観の前提として
直観的思考が作動している

世界は表象である、とある哲学者は言った*2
この言表も直観的思考を前提している
ある直観的思考の活動の一つの成果としてこの言表がある
直観的思考はこの言表に先立ち作動する
そしてこの前提に気付いていないという点で
既にこの言表は誤っている

世界は直観的思考と共にその全体性を与えられる
直観的思考の作動は個別的対象の知覚によって始まる
従って
世界の実在性は直観的思考と知覚によって立ち上がる




*1表象とは簡単に言えば、知覚された対象の記憶像、知覚対象が消えても反復的に思い出せる知覚対象像のこと。


*2ショーペンハウアーは言っている。「……自分の知り得るものが太陽でも地球でもなく、太陽を見る眼にすぎず、大地を感じ取る手にすぎないということである。
さらにまた、周囲を取り巻く世界がもっぱら表象としてのみ存在するということ、言い換えれば、他のもの、表象するもの、つまりその人自身との関係においてのみ存在しているということである」(『意志と表象としての世界』)
しかし、この言表は簡単に崩れる。
太陽を見る眼も、大地を感じ取る手も、いずれも私の表象である。そして、表象が表象を生み出すことは不可能である。
すなわち、私の表象である眼や手が太陽や地球という表象を生み出すことは不可能である、と。











散文(批評随筆小説等) 直観的思考と世界 Copyright ひだかたけし 2022-08-06 18:18:17
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