白い蝶
ただのみきや
露にたわんだ蜘蛛の巣を吐息まじりの言葉でゆらす
肺の風琴 あばらの木琴
こころの洞に張られた弦に
触れるようで触れないような
白い蝶がふわふわと
先細る意識の果てに向日葵の燃えさかる丘がある
アリジゴクがウスバカゲロウに変わる時間
その身に刻む名を待ちわびる
四角く切り出された御影石の時間
永久にたゆたう海原に
浮かぶ小舟の懐中時計
見送られるか結ばれるのか
いつか止まれば写真の人と
*
落胆の背中が割れて羽化をした
鳴けない蝉の蒼白さ
引っ掻いても引っ掻いても
ウイスキー色した残像からは
グラスハープの響きはなく
苦いこだまが返るばかり
だがまだ詩になり切れないその喘ぎは美しく
生と死のはざまにある園のようにおぼろげで
取り返しのつかない喪失を甘く匂わせる
*
防風林の間の路に車を止めて風を見た
激しい愛撫にも囁きしかもらさず
林はふところに鳥の囀りをしまっている
風が樹をリードすれば
木蔭と木漏れ日も踊り出す
明滅する二次元には音もなく風もなく
その狂乱は点いては消えて跡形もない
リズム 啄木鳥の無心
無欲なほどの貪欲で逆らうほど己に忠実に
*
黒焦げの感情を培養液につけて
触覚の先で文字をなぞっている
失われた言葉がめかしこんで大股で歩いている
クマのぬいぐるみに仕掛けられた懺悔
まんまと他人の内臓をつかまされる
ヒマラヤが爆発した日の太陽みたいに
光の綿毛がすべての眼孔を埋め尽くす
静かなラッパが人々を数珠繋ぎの唖にする
今はまだ死ぬほどではないきみは生きて
浅い呼吸で世界と交合中だ
*
車の屋根に雨音が響く
リバーブが深くエフェクトされて
メビウスの輪のよう
境目もなく眠りにすべり落ちる
体内のどこかが宇宙に繫がっている
黒髪の蛇を懐に滑らせて
空気は雨の匂いのする一匹の獣に変わる
美しすぎる幻は毒でしかない
*
継目のない時間をしきりに区切ろうとした
狩り蜂のふるえる触覚
言葉の痛点
口角だけの微笑みに隠れた広大な空白地帯
液化したこころは低い方へ
叢の囁きをくぐりぬけ
石の乳房にたどり着く
舌の上に立てられたやわらかな墓
巧妙にずらしながらも
軋む眼差しのニアミスに
恥骨から剥離した白磁の蝶は嵐に群れて
瞑ったままの声を傷だらけにする
《2022年6月18日》