鬼女遠景/石と花
ただのみきや
皇女は嵐を飼っていた
嵐は乳房に纏わっていた
どこからか瑠璃色のヤンマが静かに
目交いにとどまっている
まやかしのような口元が匂う
大路を抜けて山へと折れる道
狂わす水がいざない後退りする
爪先にまじないの朱
土器のような獣の欠片に当たるまで
乳をふくませて
皇女は正気の結びをほどく
千年を超える天井の暗闇から
ばらばらと降って板の間を鳴らすもの
飢え渦巻き己を絞る
赤子を咥えて母音を洩らす
*
水槽に色が溶け出して
金魚は透きとおる
すべての視線がすり抜けるのは
はね返す時の痛みとは違う
剃刀で切られるはっきりとした
感触だけがあって痛みはない
*
羞恥心を鞭で打て
自尊心を縛り上げろ
溶けたガラスの胃袋の
引き潮に磔にされた
死んだばかりの肉体に
いまだ這い回る
距離0の言葉を釘で打て
*
胸に真っ赤な海が広がって
波頭が熱い
おぼれる瞳を介さずに
おのずとのけぞる
琥珀の影に鍵はなく
和紙のように破る
花の息 水の音
*
きみは鉱脈を求めて掘り進み
ついに地獄を掘り当てた
伝説も文学も伝えてはいない
真の苦しみはきみのもの
辞退できればいいけれど
それはただきみのために
歴史の前から用意されたもの
絵図もないダンテも知らない
きみ用のきみだけの地獄
*
時を超えた流れ弾に当たる男
*
見ることで得て
書くことで所有する
写すことではなく
ただ書くことで
緑に濁るホトトギス
まばたきは時間を啄み
顔をそこなう光の絵筆
*
土埃が舞う
頭の中に風が吹く
微睡みをかき分けて
千切れた蝶を追いかける
静けさの沸点
もの想う石に浸透する
言葉の影に佇むものよ
死者を縫い付ける針と糸
*
事物を己へ引き寄せて
事物に己を引き出されて
空想は現実に由来し
現実は空想に影響される
作品はイメージの上塗りを続け
認識は体臭のように気づかない
また事物を己へ引き寄せる
事物に己を引き出される
たわわに顕わに自分をさらし
そこはかとなく他人の匂い
*
血のように花びらが散った
石の上
幼子の指先が呼び起こす
眠れる声
石の声は沈黙ではなく
限りなく静止に近い
万象をゆらめかせて移り変わる
あの声は
石のこころの久遠を駆ける
散ったばかりの花びらが
宇宙を流れてゆく
《2022年6月11日》