つみうみ
いとう





野村さんの奥さんにはきちんと名前があるが「野村さんの奥さん」と呼ばれても野村さんの奥さんはあまり気にしない
野村さんの奥さんは決して「若奥さん」なんて呼ばれないことを知っているがそれは若くないからではなくふさわしくないと考えているからだ

というのは嘘
野村さんの奥さんはそんな小難しいことを考えないのを私は知っている






という言葉には罪が宿る
場合がある
宿命としてある

嘘にではなく
嘘という言葉に





裸エプロンの効果について考える
効果の対象と
効果の範囲について
それから
野村さんの奥さんの裸エプロンの効果について考える
裸エプロンの効果と野村さんの奥さんの裸エプロンの効果が違うことについて考える
効果の対象と
効果の範囲について
限定されることの宿命について
考える
ことの罪について考える





名付けるにはまず知らなければならない
知るためにはまず名付けなければならない

これは矛盾ではない
もちろん不純でなどあり得ない





野村さんの奥さん
の背が低いのを知っている野村さんの奥さん
がショートカットなのを知っている野村さんの奥さん
にはジーンズがよく似合うのを知っている野村さんの奥さん
はローファーを三足持っているのを知っている野村さんの奥さん
の得意料理は肉じゃがでシャンプーにLuxを使っているのを知っている野村さんの奥さん
はよく笑うことを知っているその笑顔がとてもかわいいことも知っている野村さんの奥さん
が時々見せる憂いのある表情に野村さんの奥さん
が何の憂いも込めていないことを知っている野村さんの奥さん
が小難しいことを考えないことを知っている野村さんの奥さん
のブラジャーのサイズを知っている野村さんの奥さん
の裸エプロンを知っている野村さんの奥さん
の性感帯を知っている野村さんの奥さん
の陰毛が薄いことを知っている野村さんの奥さん
が濡れやすいことを知っている野村さんの奥さん
がじつは貪欲であることを知っている野村さんの奥さん
が野村さんの奥さん
であることを知っている野村さんの奥さん
にはきちんと名前があることを知っている野村さんの奥さん
のその名前も知っているが野村さんの奥さん
を野村さんの奥さん
と私は名付ける






名付ける
という行為には罪が伴う
場合がある

我々は罪の海原で戯れている
という比喩

あるいは野村さんの奥さんでいっぱいの海
というパロディ





野村さんの奥さんの波が押し寄せる
野村さんの奥さんはごろごろと浜辺に打ち上げられ
たくさんの野村さんの奥さんがたそがれに染まっている

海はすべて野村さんの奥さんで埋まっていて
野村さんの奥さんのかすかな吐息が波を作る
そのように野村さんの奥さんは
打ち上げられるのを待っている

私はその海を
罪と名付ける








自由詩 つみうみ Copyright いとう 2003-11-26 12:53:23
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