詩の日めくり 二〇二〇年九月一日─三十一日
田中宏輔

二〇二〇年九月一日 「転移」


『猿の惑星』を書いたピエール・ブールの単行本『ジャングルの耳』が、Amazon で5983円してた。ぼくは、3000円でネット古書店で買った記憶がある。3000円くらいの価値はあると思うけれど、6000円近くの価値はないかなあ。 https://pic.twitter.com/GsYJzJU58N

 古書をネットで買うとき、帯が付いているものには注意が必要だ。背ヤケしている場合、帯のついてるところがヤケていないため、本全体としてみると、ちぐはぐになってしまうからである。

 ホラー・アンソロジー『スニーカー』の4作目は、ダン・シモンズの「転移」事故のせいで、癌バンパイアなるものが見えるようになった男の話。癌は癌バンパイアによって引き起こされる病だというわけだ。自らの命をかけて癌バンパイアを退治するという結末。恐怖・怪奇ものという感じではなかった。たんたんとした描写だからかもしれない。


二〇二〇年九月二日 「ヴァンニ・フッチは今日も元気で地獄にいる」


 5作目は、ダン・シモンズの「ヴァンニ・フッチは今日も元気で地獄にいる」大物のテレビ伝道師のまえに現われたのは、ダンテのつくりだした地獄に堕ちた男だった。その男とのやりとりをぜんぶテレビ中継されてしまうというもの。この作品は、読んだ記憶があった。というか、ヴァンニ・フッチがダンテのことを「この頭のいかれたちび野郎」と口にしたところで、ああ、この作品は読んだことがあるなと思い出したのであった。ダンテ・アリギエリは、ぼくにとっては、尊敬する偉大な詩人のひとりだからね。

 クリストファー・プリーストの『ドリーム・マシン』が、いま、Amazon でいくらくらいするのか見たら、2945円してた。もう3000円台になっちゃうようなものは、さっさと復刊させちゃえばいいのにと思う。ぼくの持ってるのは、初版のカヴァーのもの。カヴァーは初版のほうがいいのが多い。 https://pic.twitter.com/Pc44eTsUVO

いま見たら、242円だった。


二〇二〇年九月三日 「皮剝ぎ人」


 ふと思い浮かんだので、探したら、岩波文庫の『ダフニスとクロエ』が本棚になかった。そういえば、だれかに、「これは世界最古の恋愛小説だから、読みなさい。」といって渡した記憶がよみがえった。そのうち買い求めなければならない。『ルバイヤート』もだ。手元にない。

 さっそく、Amazon で、『ダフニスとクロエ』は古書で、『ルバイヤート』は新刊本で買った。本を人に譲る癖があるおかげで、買い直しをしなければならないはめになるが、よい本がたくさんのひとの目に触れることはいいことだ。そう思って、自分を慰めよう。

 ちなみに、『ダフニスとクロエ』は、本体1000円、送料262円、『ルバイヤート』は、本体572円、送料0円だった。

 6作目の作品は、ダン・シモンズの「イヴァソンの穴」半世紀前に起こった南北戦争のときのことを恨みに思っていた軍人の話。恨みを抱いていた相手の家で急死したが、相手もまた地面にあいた穴に吸い込まれて死ぬという、わけのわからない話だった。

 さいごの7作目の作品は、ジョージ・R・R・マーティンの「皮剝ぎ人」主人公は人狼。309ページから451ページまである中篇。おもしろかった。長篇にしてもよかったんじゃないかと思えるほど。皮を剝がされる人狼たちという設定が異様だった。

 きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジーの『ハードシェル』の再読。これまた、目次を見ても、1作も記憶にない。ほんとに忘れっぽいというか、もう健忘症も末期症状かもしれない。これ、おもしろいかな。どだろ。  
https://pic.twitter.com/a4OSY4h1K2


二〇二〇年九月四日 「フン族のアッチラ女王」


 ジョージ・R・R・マーティンの「皮剝ぎ人」がよかったので、彼のもっとよい作品『フィーバードリーム』上下巻がいま、Amazon でいくらくらいするか検索してみた。上巻が3668円で、下巻が860円だった。東京創元社から出てたもの。復刊すべき。ぼくの持ってるのは初版で、絵が上下巻繋がってる。
https://pic.twitter.com/erBO9uyA8I

 1作目は、ディーン・R・クーンツの「フン族のアッチラ女王」フィニイの『盗まれた街』のように、高等生物に寄生する異星の怪物の話だが、こころあたたまるハッピーエンドで終わる。ハッピーエンドものを読むと、ほっとする。齢だなあ。

 2作目は、ディーン・R・クーンツの「ハードシェル」警官が切り裂き魔を追い詰めたら、そいつは変幻自在の化け物だった。ところが反撃された警官も、犯人と同じく人間ではなかった。変幻自在の化け物だったのだ。


二〇二〇年九月五日 「日知庵」


 きょうは、詩を2つつくった。それほど難儀はしなかったけれど、ほいほいというわけではなかった。むかしは、ほいほいとつくっていたのだけれど。きょうは飲むぞ。日知庵に行くのが楽しみ。


二〇二〇年九月六日 「きょうも日知庵で」


 Amazon のネット古書店で注文していた『ダフニスとクロエー』が、きょう到着した。1000円+送料だったが、その甲斐もあったかな。新品同様の美しさ。さすが100%の評価の古書店だ。よかった。いつ読むか未定だけれど、再読は近々にしたい。老人とのキッスを拒否する若者の場面が印象的だった。
https://pic.twitter.com/4GlRdt3Sjk

 きょうは、詩を4つつくった。あしたは、ひとつつくるつもりだ。それで、半年から1年ほど、つくらない時期がまたくる。さいごの詩は、いつつくるんだろうか、自分ではわからない。

 そのお祝いで、きょうも日知庵で、しこたま飲んできた。おいしい料理とお酒。ぼくの晩年は、おいしい料理とお酒で満杯だ。

 焼きさんまと、ホルモン炒めと、手作りハンバーグ。そして、ネギマとつくねとしいたけとささみの串焼きと、焼酎とビールだ。ホルモン炒めは2度、頼んだ。

あと、ご飯と卵焼きも食べた。


二〇二〇年九月七日 「田中庸介さん」


 きょうは、あとすることがないので、ホラー・アンソロジー『ハードシェル』のつづきでも読もうかな。ひさびさの解放感。詩がするすると出来上がったおかげだと思う。 https://pic.twitter.com/I9xMy2QIbQ

 きょうは、詩をひとつつくるつもりだったが、2つつくった。詩の資料にしていたワードを手違いで消去してしまい、あせったのが逆に脳に刺激を与えてくれたみたいで、つぎつぎと詩句が出来上がっていったのであった。

 郵便受けを見に行ったら、書物が2つ届いてた。1冊は、Amazon で注文していた新刊本の岩波文庫の『ルバイヤート』で、もう1冊は、詩の同人誌『妃』の第22号だった。『ルバイヤート』は新刊本の輝きを放っていた。きれい。でも、いつ読み直すかわからない。『妃』は、いまから読む。 https://pic.twitter.com/17e97pST5N

『妃』第22号を読ませていただいた。田中庸介さんの「洗濯男」と「ステープルと音楽」がよかった。具体的な事物が出てきたり、具体的な事柄を扱ってたりするものが、いまのぼくのこころの目には飛び込んでくるようだ。よく知ってる名前の方たちが多数、書いていらっしゃる。おもしろかった。 https://pic.twitter.com/LImA4LVSVh


二〇二〇年九月八日 「天皇の写真が燃えるシーン、美しかったけれど。」


@kitamuraharuo 天皇の写真が燃えるシーン、美しかったけれど。


二〇二〇年九月九日 「大腸癌」


@sumire07211 父親が病院で亡くなったのですが、亡くなったときの病室の異様な臭い、酸っぱいものが腐ったようなにおいがしていたことを思い出しました。

@sumire07211 父親は大腸癌で亡くなりました。


二〇二〇年九月十日 「黎明」


 いま日知庵から帰った。帰り道、バスを降りたところでこけてしまって、左膝のところをズボンが破けてしまった。また、右肘をすりむけてしまった。ヨッパのぼくがしそうなことだね。気をつけなくっちゃ。ズボンはもったいないけど、捨てちゃわないといけない。ほんとにもったいない。肘と膝が痛いよ~。

 いくつものことを同時にする。むかしはできたんだけど、いまは無理。詩が書けてるおかげで、読書のほうはさっぱり。ホラー・アンソロジー『ハードシェル』も読むのを中断している。読まなきゃね。 https://pic.twitter.com/IWPL27Fn8s

きょうも、詩をひとつつくったのだ。

 3作目は、ディーン・R・クーンツの「黎明」無神論者の主人公の男が妻を交通事故で失い、一人息子を癌で失ったあとに、到達する境地を描いたもの。ホラーでもなんでもなかった。


二〇二〇年九月十一日 「捕食者」


 4作目は、エドワード・ブライアントの「捕食者」アパートの上階に引っ越してきた男に言い寄られる女の話だ。どこがホラーなのか、さっぱりわからない。都会の人間関係にホラーがあるってことだろうか。ただ単に、ぼくが女性じゃないから、男に言い寄られる恐怖が感じられないのだろうか。

 脳みそが完全に覚醒状態に入ってるみたいだ。けさも夜中の3時に寝たのに5時に起きて、いままで詩をひとつつくっていたのだ。高木神経科医院でクスリを替えてもらったからかもしれない。


二〇二〇年九月十二日 「バク」


 5作目は、エドワード・ブライアントの「バク」長崎に原爆を落とした男はいま原子力発電所の副所長になっていた。新しい原発をつくろうかどうかという議論をする公聴会に行くまえに、日本人の少女の幽霊と会う。女の幽霊とも会う。毎晩のように見る悪夢を食べてくれるバクの人形を彼女から渡される。


二〇二〇年九月十三日 「亡霊」


 6作目は、エドワード・ブライアントの『フラット・ラット・バッシュ」友愛会のようなもののイニシエーションを扱っているのだが、なにを書いているのか、さっぱりわからず。このひと、才能ないんじゃないと思っちゃった。

 7作目は、エドワード・ブライアントの「亡霊」霊能力を持つ女性と20年来の友人の女性がいて、その女性の20年まえの知り合いが嫉妬で殺されていたというもの。このひとの文体、ちっともおもしろくない。

 きのうは、日知庵でアルバイトをしていたのであるが、ぼくのタイプの知り合いの今村くんが、お母さまといっしょにこられた。お顔がそっくりだったのが印象的だった。8月にお父さまが亡くなられたという。言葉が出てこなかった。こんなときはどう話しかければよいのだろうか。

 きょうは、昼から、ヴァンダー・グラフ・ジェネレーターを聴きまくっている。『Still Life』がいちばんよい。『The Quiet Zone/The Pleasure Dome』もよい。どのアルバムもよいのだが、この2枚がとくにお気に入りだ。


二〇二〇年九月十四日 「石塚理昭さん」


 石塚理昭さんから、詩集『わたしのむすめをみませんでしたか』を送っていただいた。三行一連の詩句がなんの脈絡もなくつづく。一連で意味が完結しているため、脈絡がないのが新鮮な雰囲気を醸し出している。 https://pic.twitter.com/SG6xowH84K

 石塚理昭さんから、詩集『韻出羅舟』を送っていただいた。二篇と一篇の付篇からなる詩集だ。さいしょの二篇を読み解くことは難しい。意味がわからない箇所がいたるところに現われる。音はきれいだ。耳のよい詩人さんなのだろうと思われる。 https://pic.twitter.com/Lm7Eku7aBT

 石塚理昭さんから、詩集『ドラムス少女』を送っていただいた。だいたいの作品が2ページに収まるようにつくられている。石塚理昭さんの生活の一端がうかがえる詩がいくつも収載されている。いわゆる生活詩というものだろうか。興味深く読ませていただいた。 https://pic.twitter.com/P2An5ztTWS

 きょうは、タワー・オブ・パワーを聴きまくっている。『Back To Oakland』、『Urban Renewal』、『Tower Of Power』、『We Came To Play』がいいかな。

 8作目は、エドワード・ブライアントの「荷物」共生生物に身体を支配されている主人公が愛した女性もまた別の共生生物に身体を支配されていたというもの。

 9作目は、エドワード・ブライアントの「コルファックス・アヴェニュー」6ページほどの短い作品だ。ヒッチハイクしている少女を、車に乗った二人の男が殺す話だ。殺すシーンは残虐でもなんでもない。男のひとりが、しきりと腹が減った。ハンバーガーが食べたいと言うのがユーモアと言えばユーモアか。

 10作目は、ロバート・R・マキャモンの「水の底」プールで息子が死んだのだが、それが水のなかにいる化け物のせいだと気がついた父親が敵を討つというもの。単純な物語だが描写が確かで、すぐれていた。

 塩田良平さんが明治書院から出された『文章の作り方』という本と、丸谷才一さんの書かれた『文章読本』の2冊を、ひとに勧めた。ぼくの文章というか、レトリックのもとになった本だからだ。残念なことに両方ともいま手元にはない。ひとに譲ったのだろう。

 11作目は、ロバート・R・マキャモンの「五番街の軌跡」時間に追われたかのように急ぐエリート・サラリーマンが、道端で乞食に出会い、無視しようとすると、突然、時間が早く過ぎてしまい老年になってしまう。ふたたび乞食に出会いあやまると、若返って元通りになるというハッピーエンドのお話。


二〇二〇年九月十五日 「海東セラさん」


 さいごの12作目は、ロバート・R・マキャモンの「ベスト・フレンド」地獄からやってきた怪物たち3匹が、17歳の少年の身体のなかに潜んでいて、少年の両親や妹、それと病院内の人々を惨殺していくという物語。やっつけられたが、さいごに一匹だけ、生き残った可能性があるというところで終わる。

 きょうから寝るまえの読書は、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の再読。たぶん、今晩、ひと晩で読み終わると思うけど。 https://pic.twitter.com/z22DkaBPIS

 やたらと解説が長いので、びっくりした。びっくりするくらい、解説が長い。

 ふたたび、きょうから、寝るまえの読書は、ロンゴスの『ダフニスとクロエー』の再読。初秋のさわやかな風が似合っている。 https://pic.twitter.com/kGljGsrcUT

 海東セラさんから、同人詩誌『グッフォー』の2017年春号・第67号と2020年春号・第73号を送っていただいた。67号の「べつの樹」では観察の妙を、73号の「すきま」では思弁の妙を見せていただいたように思いました。他のご同人の方々の作品の凛としたたたずまいも見せていただきました。 https://pic.twitter.com/l3DkKxdVW7


二〇二〇年九月十六日 「ダフニスとクロエー」


 いま50ページを読んでいるのだが、老人の接吻を拒んだのはダフニスではなかった。エロースだった。ぼくの記憶違いだった。牧歌的な情景と、15歳の美少年と、その2歳年下の美少女の恋。文章を深く味わいながら読んでいる。じつに充実した時間だ。

 ダフニスが海賊にさらわれたり、クロエーが他国の人間たちにさらわれたりするが、ダフニスの恋敵だった青年の回心とクロエーの恋するがゆえの行為と、神に敬虔な彼らのこと、神に助けられたりしながらの恋と冒険の織り交ぜだ。

素朴だが、つぎつぎと事件がつづく飽きさせない展開だ。

それにつれて、恋のほうも、だんだん発展していく。

 102ページの終わりくらいに、年上の女からセックスの手ほどきをされるダフニス。それまでは、クロエーと抱き合って接吻するだけだったのだ。しかし、手ほどきを受けても、それをすぐにクロエーにすることはしなかった。

 121ページの終わりから122ページのほうに出てくる林檎の木のいちばん高いところに実っている林檎の実がとてもすばらしいものであるというところは、だれも手を伸ばせないところにあるというのは、サッフォーの詩を思い起こさせる描写である。たぶん引用もとがサッフォーの詩なのであろう。

獲るのに勇気のいった林檎の実をダフニスはクロエーに贈る。

 149ページで、捨て子だったダフニスが領地の主人の息子だったことがわかる。

 163ページで、捨て子だったクロエーも裕福な家の子だったことがわかる。

 そして、ふたりはめでたく結婚する。167ページで本文は終わる。あと、169ページから211ページまで、長い訳注と解説がつづく。

 高い枝になっていた林檎の描写がサッフォーの詩の影響であることが、訳注179ページから180ページにかけて書いてあった。

 解説を読むと、このロンゴス作の『ダフニスとクロエー』は二世紀後半から三世紀前半につくられたものらしい。


二〇二〇年九月十七日 「終わりの始め」


 きょうから、寝るまえの読書は、『世界ユーモアSF傑作選1』、『世界ユーモアSF傑作選2』の再読である。ホラーがつづいていたので、ひさびさのSFで、うれしい。一作も憶えてはいない。再読なのに、初読のようにういういしい。おもしろいかな。どだろ。 https://pic.twitter.com/SUvfrJYwUr

 1作目は、読んだ記憶のなかった、チャド・オリヴァー&チャールズ・ボーモントの「終わりの始め」アダムとイヴものの変形譚。ちっともユーモアもない、おもしろくもなんともない作品だった。なぜに、このような凡作をトップに置いたのか、皆目わからない。


二〇二〇年九月十八日 「ベムがいっぱい」


 2作目は、エドモンド・ハミルトンの「ベムがいっぱい」人間の作家が書いたSF小説を読んだ数多くの人間の想像力のせいで、火星に着陸した探検隊のまえに、小説に出てきた怪物たちが出現するというもの。読んだ記憶があった。他のアンソロジーにも入ってたと思う。オチは忘れていた。

来週は、水曜日、金曜日、土曜日、アルバイト。

 3作目は、ラリー・アイゼンバーグの「美味球身」栄養価がすごい物質が発明されて、それが催淫効果もあることがわかり、世界中が狂喜し食べたのだが、のちに、それが体内でニトログリセリンになり、ちょっとした振動でも爆発することがわかる。しかし、すでに大部分の人間はそれを食べてしまっていた。


二〇二〇年九月十九日 「魔王と賭博師」


 4作目は、ロバート・アーサーの「魔王と賭博師」魔王と3回の賭けをして、3回とも勝つと言われた男がじっさいに勝つ。魔王は怒って、以後、賭博師が二度と勝負に勝てないと呪いをかける。賭博師はそれを逆手にとって億万長者になり幸福になり健康で長生きする。子孫も繁栄する。


二〇二〇年九月二十日 「西田 純さん」


 西田 純さんから、個人詩誌『朱雀』第27号を送っていただいた。行の切り替えが抜群によい。耳のよい詩人であると同時に、目のよい詩人でもある。「今から 二十年 三十年も/すぐ やってくるのだろうか」「山の寺の」と題された詩の詩句である。ぼくも自らに問うてみた。遠い先なのか、短い先なのか。
https://pic.twitter.com/LxFgXvaTz4

 5作目は、ウィリアム・テンの「おれと自分と私」タイムマシンで、3回同じ場所に行った男が、その場で3人の自分がかち合わせることになる。こういうのもタイム・パラドックスというのかな。

 6作目は、シリル・M・コーンブルースの「カワイソウナトポロジスト」5行のSF詩。小隅 黎訳

花の踊り子ヴァージニア、
くるり脱ぐのはお手のもの。
ところが、SFの読みすぎで、
こんぐらかせて死んじゃった。
メビウス・ストリップをやろうとしてね。


7作目は、アーサー・エディントンの5行のSF詩。小隅 黎訳

呼吸のつづく狒々バブーンがいて、
いつもバスーンを鳴らしづめ。
なぜって、「何十億年も、
こうして吹いているうちにゃ、
きっと名曲を吹きあてる」

 8作目は、ロバート・ブロックの「ノーク博士の島」他のアンソロジーでも2回ほど見かけた。クレージーな作品だ。ノーク博士がじっさいに行っている実験結果をコミック・ブックスが載せていることになっていて、奇怪な実験や改造人間たちが出てくる。そのなかでロマンスも誕生するサスペンスもの。

 9作目は、ゴードン・R・ディクスンの「コンピューターは問い返さない」書簡形式。形式自体はめずらしいものであるが、作品自体の内容は、それほどおもしろいものではない。というか、まったくおもしろくない。

 むかしは、音楽を聴きながら本を読んでも、両方、楽しめたのだけれど、齢をとってからは、本を読みながら、音楽を楽しむことができなくなった。単なるBGMとしてなら、ジャズやボサノバを聴くことはできても、プログレなんかを本を読みながら聴くことはできない。何らかの力が減じているのだろうか。


二〇二〇年九月二十一日 「主観性」


 10作目は、ロバート・シェクリイの「宇宙三重奏」主人の乗った宇宙船が難破したが、発見されたときには、主人はロボットに殺されていた。ロボットに必要な潤滑油を、ロボットが人間の死体からつくり出すために。これがユーモアかな。単なるグロテスクな話に過ぎないと思う。

 11作目は、ノーマン・スピンラッドの「主観性」恒星間飛行を成し遂げるために宇宙飛行士たちは薬物で精神状態を保っていたのだが、その薬物が幻覚剤で、実在しない化け物たちを出現させて実在させてしまう。そこで地球に帰りたいと望むと瞬時に地球に帰る。しかし、化け物たちが宇宙船から出てくる。

 12作目は、アラン・E・ナースの「コフィン療法」コフィン博士たちは風邪を治すワクチンを開発したが、そのかわり、それが嗅覚に異常をもたらせることがわかった。ものすごい悪臭を感じさせるのであった。そこで、博士らはふたたび風邪を引くワクチンを開発したのであった。悪臭はしなくなった。

 13作目は、ウィル・スタントンの「ガムドロップ・キング」UFOに乗ってやってきた宇宙人の王さまと、地球人の子どものあいだの友情話。ほのぼのとしている話のなかに、地球人の子どもの現実の厳しい話がまじわっている。口調が『星の王子さま』みたいにのんびりしていてよい。

 14作目は、ピーター・フィリップスの「夢は神聖」ファンタジー作家が自分の夢から覚めないので、その作家のファンタジー世界に侵入して、その作家を正気にさせる話。「事実──ああ、『事実』とはなんと美しい言葉だろう──」(浅倉久志訳)というのが印象的な言葉だった。


二〇二〇年九月二十二日 「女嫌い」


 15作目は、フィリップ・ホセ・ファーマーの「進めや 進め!」コロンブスの時代の僧侶の話だが、よくわからなかった。

『世界ユーモアSF傑作選1』のさいごになる16作目は、ジェームズ・E・ガンの「女嫌い」言葉を巧みに操る男の女性異星人説。紹介されてるユーゴスラビアの諺が傑作だった。「男は一生に二度幸福にめぐりあう、妻をめとるときと妻を埋めるときと。」(小尾芙佐訳)


二〇二〇年九月二十三日 「種あかし」


『世界ユーモアSF傑作選2』のさいしょになる1作目は、ジェームズ・E・ガンの「種あかし」これは、『世界ユーモアSF傑作選1』のさいごの作品、同じ作者の「女嫌い」と対になった作品で、女のほうから男を見た物語である。「やっときたのね──ペットちゃん」(小尾芙佐訳)が最後のセンテンス。


二〇二〇年九月二十四日 「埃まみれのゼブラ」


 2作目は、クリフォード・D・シマックの「埃まみれのゼブラ」部屋のなかのある場所に品物を置いておくと、異次元から別の物が運ばれ、物々交換される。どんな品物が交換されるのかはわからなかったが、同じ物を置くと交換さるものも同じ物である。集埃機が送られてきたので、それで儲けたのだが……


二〇二〇年九月二十五日 「火星をまわる穴、穴、穴」


 3作目は、ポール・アンダースンの「冒険児クロンカイト」氷河期時代の冒険譚。おもしろくなかった。

 4作目は、ジェローム・ビグスビイの「火星をまわる穴、穴、穴」ものすごく低空で軌道をめぐるごくごく小さな月が火星にあったという話。非現実的すぎると思う。


二〇二〇年九月二十六日 「ナラボイア」


 5作目は、アラン・ネルスンの「ナラボイア」精神科医のところに、被害妄想の逆の男が訪ねる。その男に、幻覚の逆、すなわち、幻覚のような現実を見せつけられた精神科医のほうがサナトリウムに行くはめになる。


二〇二〇年九月二十七日 「詐欺」


 送った記憶のないインスタグラムが、メッセージで、ぼくが送ったことになっています。無視してください。ツイッターを使った詐欺だと思います。


二〇二〇年九月二十八日 「北爪満喜さん」


 6作目は、キャサリン・マクリーンの「雪だるま効果」大学の学長に、社会学の教授が、社会学の存在意義を尋ねる。社会学の教授は、土地開発に関することで、社会学の成果を証明する。単なる政治談話を読まされてる気がした。

 7作目は、H・アレン・スミスの「天国と地獄」聖書の記述から、天国と地獄の気温を推測して、天国は摂氏525度、地獄の気温は摂氏445度以下と算出した。

 8作目は、E・B・ホワイトの「要約すれば……」読み物が増えすぎ、読者はすべての読み物を読めなくなった。そこでダイジェスト版が出て、ダイジェスト版のダイジェスト版が出て、しまいには……という具合になった。

 9作目は、デーモン・ナイトの「早熟」胎児の段階から意思を持ち、母親に小説を書かせたりする。生まれたときには、ふつうの赤ちゃんになっていた。

 10作目は、ハワード・ショーンフェルドの「創作論理学入門」主人公の著述家が、自分の作品にふたりの自分を書き込んで、そのうちのひとりを殺害する。さっぱりわけのわからない作品だった。

 11作目は、ウィリアム・テンの「地球解放」宇宙種族の2大勢力に交互に征服され解放される地球人。真の解放は? という話。テンの作品にしては退屈なものだった。

 12作目は、ロン・グーラートの「債鬼」借金を重ねても賭けをやめられない男が主人公。さいごは、債権者を撃ち殺そうとするところで終わる。

 北爪満喜さんから、詩集『Bridge』を送っていただいた。実景が織り込まれた詩篇がいくつもあって、適度な抽象性とあいまって、読む目にやさしく語りかけてくれているのだなと思わせられた。とりわけ、「消えられないあれを」「水の夢」「光の十字」が強く印象に残った。 https://pic.twitter.com/kWPj6BEoo6


二〇二〇年九月二十九日 「マーティン・ボーグの「奇妙な生涯」」


 13作目は、ジョーン・コリンの「マーティン・ボーグの「奇妙な生涯」」母親に惑星にひとりロボットたちと残されて20歳までおむつえおさせられ、話すことも立って歩くことも教えられなかった青年が、途中で女性になり、云々とわけのわからぬ愚策であった。


二〇二〇年九月三十日 「寿限無、寿限無」


 14作目は、カート・ヴォネガット・Jr.の「ザ・ビッグ・スペース・ファック」3つのこと。アメリカ合衆国では子どもが虐待されたことで親を訴えられること。人口が増えすぎたので、宇宙に精子をばらまくこと。さいごに、登場人物たちがヤツメウナギに食べられちゃうこと。わけわからん作品だった。

 15作目は、R・A・ラファティの「寿限無、寿限無」大天使ミカエルが配下の天使に命じて、6匹のサルにランダムにタイプライターを打たせて、シェイクスピアの37篇の戯曲を得ようとする話。ユーモアのかけらもない。編者の浅倉久志さんには、ユーモアのセンスがないのではないだろうかとまで思えた。

 いくらCDの棚を見ても、ジョンの『Walls & Bridges』がなかったので、Amazon で買い直した。1500円ちょっと。ぼくは聴き込み過ぎたら、飽きて売っちゃう癖があるからな。『Imagine』もない。これは買うの躊躇。アルバムとしては不出来だったからね。タイトル曲はベストに入ってる。ベストはある。

 いま、『Imagine』のほうも Amazon で買った。ぼくは気紛れだからなあ。500円ほど。で、いまBGMで聴いてるのは、はっぴいえんどの『風街ろまん』

 さいごの16作目はチャド・オリヴァー&チャールズ・ボーモントの「われはクロード」SFというよりはファンタジー。要はアダムとイヴものだが、ユーモアどころか文学的面白味もないシロモノだった。編者の浅倉久志さんのユーモア精神を疑ってしまった。

 Amazon で『世界SFユーモア傑作選1』と『世界SFユーモア傑作選2』のレビューを書き込んできたが、どちらも星ひとつで、「つまらなかった。」「まったくつまらなかった。」というタイトルで書いた。ぼくの審美眼が厳しくなったのだろう。仮にも「傑作選」なのだからおもしろくなければならない。
https://pic.twitter.com/UGereJ76Dn


二〇二〇年九月三十一日 「賢者の贈りもの」


 きょうから寝るまえの読書は、O・ヘンリーの『O・ヘンリー名作集』多田幸蔵さんの訳だ。このひとの訳で、O・ヘンリーを読むのははじめてだ。岩波文庫で読んでるけれど、訳者が違うので、感じがどうなのか興味ある。表紙が好みだったので買った。 https://pic.twitter.com/keZ4J7R3zE

 1作目は、かの有名な「賢者の贈りもの」若き妻は髪の毛を売り、夫の時計バンドを買い、夫は時計を売って、妻のために髪飾りを買うという話だ。夫のジェームズ・ディリンガム・ヤングは、ぼくの詩集『The Wasteless Land.』に登場させた。哲学・宗教・文学、その他の、引用でつくった詩集だったのだ。



自由詩 詩の日めくり 二〇二〇年九月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2022-06-06 00:36:19
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