二〇二〇年八月一日 「リハーサル」
ホラー・アンソロジー『999 狂犬の夏』の4つ目は、トマス・F・モンテルオーニの「リハーサル」舞台で起こる怪異談。といっても、芝居がはけてから起こる出来事を扱っている。父親に愛されなかった劇場の掃除係兼警備員の主人公が架空の舞台で芝居のような感じで亡くなった父親と話をする。さいごには和解するというもの。
二〇二〇年八月二日 「闇」
あしたは高木神経科医院に。処方箋をもらいに。
5つ目は、デニス・L・マッカーナンの「闇」財産を継いだ男が邸の闇のなかになにものかがいると思って怯え、死ぬ話だが、さいごのオチで、話が循環するものであることがわかる。
二〇二〇年八月三日 「死の舞踏」
マーヴィン・ピークの短篇集『死の舞踏』が Amazon でいくらくらいするのか見たら、9800円だった。W・H・ホジスンの『夜の声』は2493円だった。ジェラルド・カーシュの『壜の中の手記』はまだ新品で出ていて607円だった。古書で247円だった。よい本は、絶版にしてほしくないな。
二〇二〇年八月四日 「別天地館」
さいごの6つ目は、ウィリアム・ピーター・ブラッティの「
別天地館」本文273ページから459ページまで、この短篇集のおよそ半分の長さのものだ。さすが『エクソシスト』の作者だけはある、びっくりさせられる結末だった。
しかし、そろいもそろって、読んだ記憶がさっぱりないのだが、アルツだろうか。読み直しをしているのだけれど、これじゃ、新刊本を読んでるのと、違いが一つもない。お得といえば、お得なのだが、ほんとにアルツの疑いが……。
きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジーの『カッティング・エッジ』の再読だ。目次を見ても、1作も思い出せず。
https://pic.twitter.com/VaQqYwWbuL
二〇二〇年八月五日 「アジア系の外国人」
ぼくの住んでるマンション、さいきんアジア系の外国人が何人も入ってきて、夜中がうるさい、朝は6時台からうるさい。なんとかならんのかいという感じ。
二〇二〇年八月六日 「荒木時彦くん」
荒木時彦くんから、詩集『今日、考えていたこと』を送っていただいた。「殺人」というタイトルの詩が2篇と、「散歩」と「タバコ」というタイトルの詩篇が載っていた。「殺人」という詩、そうとう怖い。冷静に書いてある分、ほんとうに怖い。「散歩」は気楽に読めた。
https://pic.twitter.com/iAL8i8J2WM
『カッティング・エッジ』、1作目、ピーター・ストラウブの「ブルー・ローズ」催眠術を使って弟を殺す兄の話だ。しかも子どものときの話だ。
2作目は、ジョー・ホールドマンの「怪物」だ。ベトナム戦争ものだ。タイトルからすると、本物の怪物がいたかも、と思えるが、本文を読むと、主人公の黒人青年が怪物だった可能性もある。
二〇二〇年八月七日 「空隙」
3作目は、カール・エドワード・ワグナーの「空隙」性転換手術した絵描きのドラッグ漬けの話。ホラーでもなんでもない。
4作目は、W・H・パグマイア&ジェシカ・アマンダ・サーモンソンの「
蒼ざめた震える若者」ノイズ・ミュージックをやってる若者のバンドのボーカルが首を吊って死んだという話を聞いた30歳の男が、その場所で、大音量のノイズを耳にするというもの。
二〇二〇年八月八日 「バラバラ殺人のためのBGM」
5作目は、マーク・レイドローの「バラバラ殺人のためのBGM」バラバラ殺人犯の青年と、狂った母親の物語。
6作目は、ロバータ・ランの「さらば、
闇の恋人」男を殺した色情狂の女の話。
二〇二〇年八月九日 「からくり絵本」
清水鱗造さんから、小説『からくり絵本』を送っていただいた。巣と呼ばれる住居とからくり絵本と呼ばれる機械など、SFの設定で話が進む。巣と呼ばれる住居から、T・J・バスの『神鯨』というSF小説が思い出された。人類のほとんどが
巣と呼ばれる住居に住んでいる設定だ。
https://pic.twitter.com/hKQr4dTAbG
二〇二〇年八月十日 「向こう側」
7作目は、チャールズ・L・グラントの「向こう側」眠るたびに、身体に傷がついていく男の話だ。小さな傷なら、ぼくにも生じたが、この物語では小さな傷ではない。しかし、ただそれだけの物語だ。
8作目は、スティーヴ・ラズニック・テムの「いじめ」タイトルとは関係なくて、家庭崩壊と家自体の崩壊を描いたもの。
二〇二〇年八月十一日 「やつらの目あては」
9作目は、ジョージ・クレイトン・ジョンスンの「
鍬を持つ男」近所の野良猫を殺した男の話。ただ殺しただけの話。
10作目は、レス・ダニエルズの「やつらの目あては」妻と妻の愛人を殺した男が目にしたのは、死体となってまたセックスしはじめる妻と妻の愛人の死体の姿。
11作目は詩で、リチャード・クリスチャン・マシスンの「吸血鬼」ほとんど何も感じなかった。
二〇二〇年八月十二日 「とぎれる」
12作目は、チェルシー・クイン・ヤーブロの「とぎれる」交通事故にあった女性が支離滅裂な状況におかれるという話、女性の頭が狂っているというふうにもとれる。
13作目は、ウィリアム・ノーランの「最後の石」現代に甦った切り裂きジャックの物語。読んでる途中で、内容を思い出した。
14作目は、ニコラス・ロイルの「非関連性」知り合って3週間目の女性に手を出して、拒絶された男が、彼女を逃し、二人で忍び込んだ夜の女学校を彷徨う話。幻想的だが、中途半端な印象。
二〇二〇年八月十三日 「手」
15作目は、ラムジー・キャンベルの「手」嵐の夜に教会のなかに入ると、そこは迷路のようなところで、不気味な目に遭うという話。
16作目は、レイ・ラッセルの「鐘」神と取引した男の話。
17作目は、クライヴ・バーカーの「魂のゆくえ」長篇の断片のような感じの作品だった。おもしろかった。
二〇二〇年八月十四日 「死の収穫者」
18作目は、ロバート・ブロックの「死の収穫者」60代後半の老作家と死神の契約の話だ。寿命を1年延ばす代わりにひとをひとり殺すというものだ。オチは見抜けなかった。
19作目は、エドワード・ブライアントの「転移」お天気おねえさんの男遍歴と職業遍歴。ただそれだけ。
さいごの20作目は、ホイットリー・ストリーバーの「苦痛」SMを哲学的に語ったものという感じ。
二〇二〇年八月十五日 「ソフト病」
きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジーの『ナイト・ソウルズ』の再読。これまた、ひとつも憶えていない。
https://pic.twitter.com/utnV3A9I6W
1作目は、ロバート・R・マキャモンの「夜襲部隊」 ベトナム帰還兵がつくりだした悪夢の世界が展開される。おもしろかった。
2作目は、リチャード・マシスンの「埋もれた才能」露店でのゲーム、ボール投げのゲームに勝ちつづける男の話。ただそれだけの物語。
3作目は、F・ポール・ウィルソンの「ソフト病」身体の骨がぐんにゃりして死にいたる病気が発生したニューヨークの話。主人公は片足だけがソフト化し、その後、病気の進行が止まったのだが、娘も同様に足だけで進行が止まったのだが、まわりに生きている人間はだれもいなくなるという話だ。
二〇二〇年八月十六日 「廃車置き場」
4作目は、ラムジー・キャンベルの「追体験」第二次世界大戦中の実体験が現実世界に混じる話だ。つまらなかった。
5作目は、ロバート・ブロックの「ささやかな愛を」妻を殺した男が、その罪悪感からマネキン人形を妻として扱い、狂ってしまう話だ。ブロックだけに、話にひとひねりを加えている。
6作目は、ウィリアム・F・ノーランの「廃車置き場」車の事故が起こると、廃車置き場にもってこられて、被害者が、廃車置き場の持ち主の爺と犬に食べられるって話。
二〇二〇年八月十七日 「天使の交換」
7作目は、ゲイアン・ウィルソンの「代理教師」SFだが、地球ではない惑星で、エイリアンと戦っている状況で、小学校6年生に地政学的な説明をするだけのシロモノ。まったくおもしろくなかった。
8作目は、ジェームズ・ハーバートの「モーリスとネコ」核シェルターに閉じこもった男と猫の話。気に食わない猫を殺したあと、呼吸困難で自分も死ぬ。ただそれだけの話。
9作目は、ジェシカ・アマンダ・サーモンソンの「天使の交換」死神と眠りの天使とが役割を交換するというもの。
二〇二〇年八月十八日 「隠れ場所」
10作目は、スティーヴ・ラズニック・テムの「隠れ場所」新しい父親の連れ子の弟を、隠れ場所でいなくさせるというもの。弟は5歳。自分は12歳にもならない姉。その隠れ場所は姉が想像する化け物がいた。
11作目は、レイ・ブラッドベリの「伝道の書のはるか後は」は詩。聖書を下敷きにしたもの。つまらなかった。
12作目は、トーマス・モンテレオーネの「夜は早く凍てつく」雪の深い夜に死神と出くわす話。
13作目は、チャールズ・L・グラントの「老人たちは知っている」死期を、死ぬ日を知っている老人たちの話。
二〇二〇年八月十九日 「大きな岩のある海辺」
14作目は、ダグラス・E・ウィンターの「スプラッタ──ある警告」断章形式の物語のコラージュ。とくに目を引くところはなかった。
15作目は、レイ・ラッセルの「シャデク」大ほら吹きの俳優の物語。さいごに、身長まで偽っていたことがわかる。
16作目は、J・N・ウィリアムスンの「ワードソング」姿を現さない、また編集者以外に作品を読ませない天才作家の話だ。
17作目は、ジョー・R・ランズデールの「大きな岩のある海辺で」わずか7ページの作品だが、ほのめかしの手法が効果的な、佳作だった。
18作目は、チャールズ・R・ソーンダーズの「フェチットを越えた男」息子に殺されると思い込んだ療養所に入っている老俳優の話。
19作目は、デニス・エチスンの「あなたに似たひと」男女もの。ホラー要素がほとんどない。つまらなかった。
二〇二〇年八月二十日 「ポプシー」
20作目は、リチャード・クリスチャン・マシスンの「サード・ウィンド」ジョギングに熱中していた男が、走りつづけるうちに止まれなくなり、足が勝手に動き出すというもの。ワン・アイデア・ストーリーそのもの。
21作目は、アラン・ロジャースの「死からよみがえった少年」エイリアンによって、死からよみがえさせられた少年の話。わりと楽しく読めた。
Amazon で、ぼくのベスト詩集『ゲイ・ポエムズ』が売れたみたいだ。うれしい。ひとりでも多くのひとの目にとまってほしい。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%A0%E3%82%BA-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4783734070/ref=sr_1_1?dchild=1&hvadid=187117446159&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94&qid=1597517739&sr=8-1&tag=yahhyd-22…
さいごの22作目は、スティーヴン・キングの「ポプシー」幼児誘拐者が誘拐しようとしていたのが実は吸血鬼で、その幼児吸血鬼の祖父にやられるって話。
二〇二〇年八月二十一日 「幽霊世」
きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジー『幽霊世界』目次を見たら、これまた、ひとつも物語を憶えていない。どだろ。おもしろいかな。
https://pic.twitter.com/NWv9hCV6x4
1作目は、キャスリン・プタセクの「来る夜も来る夜も」毎晩死んだ父親が家に戻ってくるという話だ。さいごに死んだ父親は自分自身だと明言するところで終わる。ぜんぜん怖い話ではなかった。
2作目は、ゲイリー・ブランドナーの「負け犬の徴」幽霊が主催するパーティーにやってきた男が、さいごにその幽霊に殺されるというもの。
3作目は、チャールズ・デ=リントの「タイムスキップ」雨の日に繰り返し現われる幽霊に話しかけて、幽霊のいる世界に引きずり込まれる話。
4作目は、スティーヴ・ラズニック・テム&メラニー・テムの「静寂」お化けの出てこない幽霊屋敷の物語。夫婦のひとり娘が邸のなかで姿を消す。
5作目は、ジャネット・フォックスの「従僕」暴力をふるう夫から逃れて廃屋に隠れていた妻のもとに夫がやってくるが、廃屋に夫の死を願って、その願いがかなえられるというもの。
二〇二〇年八月二十二日 「ブランカ」
6作目は、トマス・テッシアーの「ブランカ」幽霊ものというよりか、政治的なもの。
7作目は、ジェイムズ・ハワード・クンストラーの「(ナインゲイブルズ)」山荘を旅館にして経営している夫婦の話。ホラーなどとは言えないシロモノ。
8作目は、チャールズ・L・グラントの「最後のカウボーイの歌」老人たちが公園で過ごしている描写がほとんどで、ひとりの老人が亡き妻に死の世界にくるように言われてるっていう設定。ふつうに怖くもなんともないもの。
二〇二〇年八月二十三日 「真実の輪」
9作目は、トマス・F・モンテルオーニの「真実の輪」戦争でスナイパーだった男が敵の耳を切り取って死体の数を数えていたのだが、地雷で両足を失ってしまう。その男の知り合いであった医師が、その男に復讐するために病院にきたその男に殺された幽霊たちと遭遇する話。
10作目は、ゴードン・リンツナーの『刀鍛治の双眸」江戸時代の話。刀鍛治が自分よりすぐれた刀鍛治の腕をねたんで殺したのだが、その刀鍛治に憑りつかれるという話。
11作目は、ラムジー・キャンベルの「旅行案内書」M・R・ジェイムズの古書を買った老人が、その古書に書き込まれていた場所にいくと死神が待ち構えていたというもの。ラムジー・キャンベル、読ませる作家だ。静かだが怪奇ものの叙述がうまい。
二〇二〇年八月二十四日 「帰郷」
12作目は、P・W・シンクレアの「帰郷」一年目の若き教師が帰郷して、幽霊の少年と幽霊の犬を見る。ついでに、自分の死んだ弟の幽霊まで見だす話だ。
二〇二〇年八月二十五日 「トランシーバー」
13作目は、ドナルド・R・バールスンの「トランシーバー」雪の夜のことが書いてあったが、読んでる途中で、なんども居眠りをしてしまったため、内容がわからず。ただ退屈な読み物だったことが記憶に残った。
二〇二〇年八月二十六日 「兄弟」
14作目は、ウィリアム・F・ノーランの「今夜当劇場にて先行ロードショー」自分が殺されるところが映画になっているのを見る男の話。ただそれだけ。
15作目は、メリッサ・ミア・ホールの「柔らかな羽のささやき」少女の姿をした死神が老女のもとを訪れる話。
16作目は、デヴィッド・B・シルヴァの「兄弟」12年間、兄が生きていたと思っていた双子の弟がいて、じつは兄は生まれた時には死んでいたことを知るという話。
二〇二〇年八月二十七日 「柴田 望さん」
さいごの17作目は、ロバート・R・マキャモンの「幽霊世界」世界中で、幽霊が出現して、やがて実体化していくという話。
柴田 望さんから、同人詩誌『フラジゃイル』第9号を送っていただいた。たくさんの方たちのたくさんな詩型を見て、現代詩は豊饒なのだなと思いました。
https://pic.twitter.com/qB4TfW3287
二〇二〇年八月二十八日 「スニーカー」
きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジー『スニーカー』の再読。これまた1作も憶えていない。
https://pic.twitter.com/l5bZN3AD5b
1作目は、スティーヴン・キングの「リブロイド」パラレルワールドもの。ホラーではなくSFである。
二〇二〇年八月二十九日 「スニーカー」
2作目は、スティーヴン・キングの「スニーカー」便所に出る幽霊の話だが、怖くもなんともなかった。
二〇二〇年八月三十日 「火星人ゴーホーム」
自分の持ってる本が、いま Amazon でいくらくらいするのか見るのは、なぜだか楽しい。フレドリック・ブラウンの本は、高いのが少ない。しかし、『火星人ゴーホーム』が7119円で売ってた。これは法外だ。きちがいじみた話だったけれど、ぼくの持ってるのは、初版のカヴァーのものである。
https://pic.twitter.com/qzanduaTPN
二〇二〇年八月三十一日 「献辞」
3作目は、スティーヴン・キングの「献辞」ホテル勤めの黒人の清掃婦が客で来ていた白人作家の精液をなめとる話。黒人清掃婦は妊娠して、息子を得るが、その作家と同じように息子も作家になる。その作家が息子の父親だと思っているという話。
ぼくの詩集が65円で売られていた。だれか買っておくれ。これ→
https://www.amazon.co.jp/Wasteless-Land-6-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4879958301/ref=sr_1_15?dchild=1&hvadid=335400668286&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94&qid=1598883769&sr=8-15&tag=yahhyd-22…