打ち壊したの章(ブレーキで二輪車を担ぐもの)
アラガイs


はじめに言っておくがわたしはこれから仕事をしなければならない。たった一時間だが、1100円と少し色つきの重労働だ。これから丑三つ時を過ぎれば街は深く暗い静寂に覆われる。路面も眠っている。陶酔感よりもリスクのほうが心配になる。季節を変えて雨風が容赦なく脆弱な身体を懲らしめるだろう。わたしは鈍った足腰や眠気を抑えつけてもこの二輪車で立ち向かわなければならない。無論使命感など持ちたくはないが、無理にでも期待され任せられれば使命感も立ち上がるというもので、ああ、まったく困ったものだ。振り返ればこれも無知の仕返しだと根に深く思うのもやめた。ただ糧として小銭入れにつないでおくこと。これも自分が撒いた種だと諦めることにしたのだ。
こうして散文のように話しを書き進められていくことには抵抗感もある。それは自由詩というジャンルに括られ、まるで板に縛られているかのようだ。  ここで話しを動機に戻そう。 一度捨て置いたモノを思い返してみる。ということが気になったからだ。 その昔一輪車という仮名で詩を書いた男がいた。不真面目で手荒い語気ばかりが気になる初老の男だった。出鱈目な言葉もよく並べていたが何故か気になる詩を残している。 わたしは以前から物忘れがひどく、人の名前もたちまち三秒で忘れてしまう。そして何かのきっかけでふっと思い出す。これはいわゆる痴呆症状の現れだ。つい最近も彼の書いた詩を思い起こすような出来事を経験した。いや、経験というよりは、わたしの脳内のリズムがあちら調子に狂ってきているせいかも知れない。だとしたらしめたものだ。幼児並みの純粋さが甦り、予想以上に波が際立つとも限らない。
( こうしてお碗をとりまして~汁をじゅるっと吸いまして~麺もちゅるちゅるすすります~ ) このような文句で書かれたのか定かではないが、書かれた当時その奇妙さにわたしの評価は好ましくなかったと思う。この奇声を発する少女と作者の関係が奇異に読めたからだが、しかし時を隔ててからこの奇声と同じような調子を口ずさんでいる自分に気がついた。いつの間にそうなったのか、本当に気にも止めないうちに。それもハングルやらハンユイやら可笑しなラテン語やらと、わけのわからない言葉でかって気ままに替え歌を作ってしかも声にだして歌ってしまうという。阿呆の鳥(阿呆鳥にはわるいが)この所作を傍で誰かが耳にすれば、この男は気が触れたのか、きっとそう思うに違いない。流行歌一( ビッチュギャッザービッチュギャッザ~とじまり、ビッチュギャザービッチュギャザー~こまわり~)笑 なんのことはない、鈴木あみのBetogetherだった。とりあえず検索してみてやっと取り戻すことができた。 こうなれば独り言も天声を極めていくことになる。あたまの回転は戻る。自らブレーキを壊して軸はぶれる。空間は変調に止まる。痴呆症の男が知的好奇心に蝕まれている。 ヤンバルクイナやあ、やれやれ障害者よりも厄介だ。  と、そろそろ時間差が近づいてきた   続く




自由詩 打ち壊したの章(ブレーキで二輪車を担ぐもの) Copyright アラガイs 2022-05-14 01:18:57
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