人が待つもの4
チャオ

時計を見ると、待ち合わせの時間から1時間くらい過ぎていた。連絡は来ない。僕が待つもの。約束なのか、友人なのか。

愛が報われるなら永遠でも待てるといったエミリディキンスン。彼女は約束なんてちっぽけな言葉の意味を待ちはしなかったんだろうな。そこに迎えられる現実だけ、それだけを待ち続けたのだろうな。

僕はというと、待ち合わせ場所に立って、時計とよく晴れた青空と携帯電話を交互に見ている。それにしてもよく晴れた空だ。何で僕はこんな天気のいい日に、ぼけっと突っ立って一時間も手持ち無沙汰に友人を待ってるのだろう。

僕たち人間に許された世界は「いま」っていう、瞬間だけの世界。「次」の世界を僕たちは知りは出来ない。だから、未来に不安を抱いている。不安?そんな生易しいもんじゃない。恐怖。そう、「次」の世界を思う僕らは恐怖感で一杯なのだ。

いくら待っても友人は来ないから、いい加減僕はいやになって電話をかけた。そしたら、電話は切られた。すぐにメールが来る。
「いま電車の中」
少しくらい謝れよと、僕は思いながらあと15分にはつくだろうと思う。散々だ。ビルの窓ガラスに反射する光がなんだかイラつく。所詮僕は田舎もんだ。光は緑に反射して僕にぶち当たって欲しい。コンクリートや、窓ガラスなんて、あんまりロマンチックじゃない。しかも、一向に現れない友人を待ってる「今」じゃなおさら僕がかわいそうに思えてくる。

愛がすぐそこにあるのに、まだ手に取れないもどかしさ。次が突然壊れて、すぐそこの愛が永遠に手に入らなくなるかもしれないという恐怖。エミリディキンスンは、すごく真摯な表現をする。覚悟に似た恐怖と一緒に、いつも生活してたんだろうな。恐怖はとてもいやなやつだけど、結局僕らと腐れ縁で幸福とか、愛とか、充実とかそんなやつらとも親友なんだ。仕方ないやつなんだけど。そんなに悪いやつじゃない。
きっとエミリディキンスンだって、目に涙をためながら愛なんかを待って、恐怖とよくおしゃべりしてたんだろうと思う。それは勝手な想像だけど、きっとそうだと思う。

電話乗ってるっていってるくせに、まだ気やしない。もうすぐ僕の待ち時間は二時間に差し掛かる。おまえはディズニーランドのミッキーか!って呟いてみる。ミッキーだったとしても、絶対に僕は二時間も待ちはしないのに。どっちにしても友人が車での、過ぎていった世界は無駄な時間なように思える。どうせなら、柴咲コウとか、今宿麻美とか、そんなかわいい子を待っていたかった。こともあろうに、むさくるしい、僕の友人。待つってことは、きっと、待ち始める以前から始まる行為なんだろうな。だとしたら、「まえ」の世界で何とかして、「いま」の世界で柴崎コウとか今宿麻美とか待って、いらだちながらも、ぬくぬくした顔してたのかもしれない。所詮、男の子だし。

エミリディキンスンが待ち続けた明日は、きっと今日と変わらなかったんだろうと思う。平坦で、目に見えない変化に覆われた毎日。切り刻まれるような焦燥感とか、走り出したくなるような切迫感とか、何にも振り払うことなんか出来なかったんだろうな。でも、すごく、穏やかで、どこからも逃げやしない微笑で、「明日」を待ってたんだと僕は思う。だって、次に来る未来なんか変えなくても、充分だよ。見えはしないかもしれないけど、世界は笑ってる。世界の微笑と対峙するまで僕らは待つしかないいのだから。

二時間待ちの友人が来て、僕はあきれた顔をした。仕方ないから友人も申し訳なさそうな顔をした。所詮、僕らは友人だ。僕が待った時間も、友人が待たせた時間も違いはしないだろう。僕はそう思うことにして、不機嫌に街を歩き出した。
「遅すぎるよ」と、僕は5分に一回のペースで友人に呟いた。そのたびに友人は申し訳なさそうな顔をした。

次の世界が来るまで、どっちにしたって僕らは待ち続けるんだ。


散文(批評随筆小説等) 人が待つもの4 Copyright チャオ 2005-05-02 13:42:47
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