この春は地獄からやって来た
ただのみきや

他人の勧め

すべて他人
それがいい
他人にはやさしく
他人には親切に
甘えず礼儀正しく
家族恋人友達
いらないなにも
欲しくない
世界は他人
旅人のように
景色の片隅に間借りして
異星人のように
習俗文化を眺めている
それでいい
他人と他人
時折触れ合う
記憶はおぼろ
時に鮮烈
それも創作
飾られたり
埋葬されたり
一方的に愛したりもして
甘いリンゴ
頬張りながら
去っても行ける
とっても無責任
だから他人
それでいい





バンドネオンとカンフー論者の薔薇色の日々

空は再びかげり
おそらく今にも雨が降るだろう
残雪は白昼夢
淫らなしどろもどろが
白樺の天秤を揺らしている

その目が万物を磨き上げたのだ
すべてに映り込んだ己の鏡像を見ろ
静寂はざわめきだ
蚕のように音を食むものたちの

ああ如雨露の中で溺れる蜘蛛
光と影を一つの言葉に綴り合せる
神話のお針子よ
見知らぬ寂しさに水をやり
会話の絶えた日影で腐らせろ
咬み付くことしか知らない盲目の犬の
嗅ぎ分ける子午線にそって
鳥の影を駆け抜けさせろ
想像に過ぎない底なしの厚みから
天井にゆらめく波紋の照り返し

澄んだ油の中へ沈んでゆく黄金の男
顔を一枚はがして髪にハナカマキリを飾った女

掛け声を揃えて亀甲縛りにした憲法9条で
時代の凱旋門に翻る微笑みの処女膜を破ろうとする
肥満の僧侶とプリマドールを演じた劇団員たちの
ポケットの中に広がる青空の神経剤ノビチョク
ああパントマイムパントマイム落下する蝙蝠たち
ハリエンジュに架かったまま自分の脳から何を食った
白紙に溺れる睫毛から這い出してくる裸の女の
未来まで埋め立てられた視界
平和の進軍ラッパに吸い込まれていった子供時代に
言葉の額縁の中に映っていたのは偶像のように澄まして
事実を省かれた自画像ではなかったのか
壊れた冷蔵庫を内側から叩く音
絡まった樹海を庵に編みながら本当は
膝の上に幼いミイラを乗せているじゃないか
干乾びた力のない指で袖を引くもの
むしろ腹話術の人形は理性を着こなした大人の方ではなかったか
幼心の甘く饐えたにおいが今
中華鍋を振る音と青椒肉絲に消されてゆく
渦巻く蟻の群れ 紋様とリズム
軽やかに紫色の指を鳴らしながら
肝臓は翼を得て大空へ舞い上る

微睡みを活けた頭蓋を一つへその上に乗せて
ラッコのように午後の光にたゆたう者
きみが指さすものが次々消えて行くことに
何ら疑問も持たずタトゥーを入れ続けるといい
美しい呪縛のような一編の詩を絞首刑にして





新入生テロリストになる

開いたばかりの木蓮をゆらす風に頬をあずけて
なにを聞きいている
遠い潮騒か 自分の想いか
思い描けなかった明日が今日になった時
なんだかわからないけど違っていた
無視されているのか監視されているのか
未知の秩序が埃っぽくにごっていた
精密ドライバーを持ち出して
きみは貝をこじ開けようとした
自分の中にあるはずの光を確かめたかった
歯がゆい蝶のように見つけられなかったものに
さわれる気がしたあの抱擁
すこしだけ鋭利な何かを求めた始まりのめまい





遺書抜粋

自分の生前供養として
石を積むように言葉を積んだ
賽の河原の鬼たちも
記号の塔は崩せまい
金剛不壊の愚かさよ





クジャクチョウ

光の窓が開いていた
玄関前のコンクリートに
一羽の蝶が止まっている
翅はそろえてしっかり立てて
風がすこし触覚をゆらしたが
あの青と緋の眼は閉じたまま
朝にまぎれた小さな夜



                《2022年4月24日》









自由詩 この春は地獄からやって来た Copyright ただのみきや 2022-04-24 15:12:27
notebook Home