ドク・ワトソン(Doc Watson)は、アメリカン・フォークやマウンテン・ミュージック、そしてヒルビリーやブルーグラスの流れを受けたカントリー音楽のみならず、広くアメリカン・ミュージックの世界では歴史的な人物だ。
彼がカバーしてよく知られるようになった曲の一つに、ザ・デルモア・ブラザース(The Delmore Brothers)が1933年にリリースした、ディープ・リヴァー・ブルースがある。
(雨よ降れ 流れて行け
雨よ降れ もっともっと降れ
深い川のブルースだ)
八代亜紀の昔のヒット曲『雨の慕情』を思い出しますね。彼女は若い頃からジャズ・ヴォーカリスト志望で、ブルース好きの熱心な洋楽リスナーでもあったし、当時は周囲の作詞家や作曲家にとっても洋楽はバイブルだっただろうから、もしかしたら『雨の慕情』の歌詞は、ディープ・リヴァー・ブルースの影響を受けているのかも知れない。この曲が入ったアルバム『Doc Watson』は1964年の発表、『雨の慕情』がレコード大賞を受賞したのは1980年のことだ。
「雨々ふれふれもっとふれ」
私のいい人連れて来い、とは歌っていないが、その代わり二番ではこう歌っている。
(マイ・オールド・ギャルは
私の古き良き仲間
彼女の歩く姿は水鳥に似ている
深い川のブルースだ)
水鳥が鷺や白鳥だと、優雅で気品のある老婦人だ。でも私の住むこの辺で水鳥と言えば、鴨やアヒルのイメージが一般的。ポッコリボディのチンチクリンだ。なんだか微笑ましいですね。
ところが、二番の後半ではこう歌っている。
(誰も私のために泣いてくれる者はいない
魚達はドンチャン騒ぎしながら
みな何処かへ去って行ってしまった
深い川のブルースだ)
これはどういうことだろう。誰もいないって? マイ・オールド・ギャルは、私の古き良き仲間は、私のために泣いてくれないのか? ポッコリボディのマイ・オールド・ギャルが、魚達とドンチャン歌い踊りながら、何処かに去って行く光景が目に浮かぶ。逃げられたのか? 熟年離婚か? 先立たれたのか? 自分から去った? いや、直接彼女が去ったと歌っているわけじゃないんだけど、どうも腑に落ちない。ここらへんのことをドク・ワトソンは、どう思いながら歌っていたのだろうか。
ボブ・ディランもライ・クーダーも憧れたドク・ワトソン。使用アコギは「Gallagher」。伝統的アメリカン・フォークソングの伝道者にして、フラット・ピッキングの名手、ドク・ワトソンは盲人だった。生まれつきじゃなくて、子どもの頃の怪我が原因だったらしい。
(もしも私のボートが沈んでしまったら
これで一巻の終わり お陀仏ってわけだ
さあ皆にさよならを言おう
深い川のブルースだよ)
どんどん暗くなってゆく。アップテンポの陽気な曲が多いイメージの白人カントリー音楽とは言え、ブルースですからね(十六小節の)。しかしまだお陀仏というわけではないらしい。
(私の古いボートを返しておくれ
まだ浮かんでくれるなら
それを漕いでマッスル・ショールズへ帰ろう
そのうちまたいい時もあるだろうさ
深い河のブルースですよ)
ブルースですね。仄かな希望を歌うところも。マイ・オールド・ギャルは、私の古き良き仲間は、待っていてくれるかな? ともあれこのような次第で、ディープ・リヴァー・ブルースの二番の歌詞の後半部分は、英語の教養豊かな人やアメリカ人にとっては、たぶん謎でも何でもないんだろうという気がするけれど、英語の不得手な私にとっては、ちょっぴり謎なんです。
*ネット某所にこの文章を投稿したところ、マイ・オールド・ギャルは「私の古いボート」の比喩ではないかと解釈した人がおり、言われてみればそうだなと今は思っています。
*()内はDeep River Bluesの歌詞(拙拙拙訳)
*Doc Watson:Deep River Blues
ttps://www.youtube.com/watch?v=6VAbrnjdtYw