メモ
はるな
春はみじかくて、すぐ終わってしまう。恋人の背に物語が咲いて育っている。知らないまちの空はどことなく高くて、咲きはじめたばら、パンの匂い、錆、信号機、そういうものに救いを求める。
あたらしい部屋は広くてあかるくて、無理やり持ってきた鉢植えたちもみんな咲いた(そしていくつか散った)。かわいいゼラニュームのおててみたいな葉っぱを揉んで、ままこのにおいが好きでしょ、と嗅がせてくれるむすめ。雨の日は不機嫌で、電気をつけないで泣いているむすめ。夫のシャツをいそいでとりこみながら、でも、家のなかのにおいは引っ越しまえと同じだと思う。そのうちのにおい。住んでいるにおい。
人々は相変わらず争っている。変わったのは自分で、それが本当に起きているということを知っている、ということだ。いつも遠くにある世界から、世界のさまざまな困難から娘を守るためには、自分がそこへ行かなければならない。娘から世界を遠ざけることはできない。
春は胸のつまる季節だ。転ぶ直前の心持ちに似ている。長いこと、手をつけない、と思ってた。
でもいまは、転ばないように速度を上げている。走って走って、転びたくないと思っている。
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